台湾鉄路紀行 第三日前半(台中~集集)
第三日 (台中~台南)
成追線
台中(タイジョン)の朝を迎えた。部屋は狭かったが造りは新しく快適だった。ロフトベッドだったので窓はない。なので、朝の明かりで目覚めるのではなく、アラームの音で朝を知る。
朝食は前日の台北(タイペイ)のホテルと同様にバイキング形式で、コーンを煮込んだスープが美味しかった。
三日目、火曜日の朝は台中から西部幹線の山線と海線を結ぶ成追線(チェンジュイシェン)に乗りに行く。線名が付いているくらいだから、それなりの長さのローカル線に思えてくるが、実態はそうではない。山線の成功(チェンゴン)と海線の追分(ジュイフェン)とを結ぶ途中駅のない路線である。
ホテルから台中駅に向かうと駅前は通勤ラッシュとなっていた。鉄道駅のことではなく、道路のことである。途切れることなく次々とスクーターがやってくる。駅前には信号付きの横断歩道があるが、もし信号がなければ渡れる自信はない。
自動券売機で海線の大甲(ダージャー)までを区間車(チュージェンチャー)料金を選択して61元で購入する。台中駅のホームは三面あるが、ドーム型の屋根が大きいためか数字以上にホームの規模が大きく思える。隣のホームには台北方面に向かう自強号(ツーチャンハオ)が停車している。私が昨日台北から乗った列車と同じ型である。その脇に海線直通の区間車がやってきた。大きな正面窓の下に二つ目のヘッドライトを持ち、その下に黄色の楕円形の縁取りがしてある。その楕円形が少し突起した形となっているので鳥のくちばしのようでもある。何とも愛らしいデザインの電車だ。
車内に入ってみると、ロングシートとクロスシートが混在したセミクロスシートタイプであった。クロスシートは日本の車両のように四人掛け向かい合わせではなく、二人掛け座席が背中合わせに外側を向いている。そのため、クロスシートに座ると隣のロングシートに座る人の横顔を見るような着座位置となっている。ロングシートに座る人は落ち着かないだろうと思われる造りだが、四人向かい合わせて窮屈に膝を突き合わせるよりも足元は余裕がある。他人と膝を突き合わせるか、他人の横顔を見るかの違いだが、さほど混んでいない今は、この台湾式のセミクロスシートの居心地は悪くない。
台中8時45分発の列車番号2604次は台中市内の高架線を都市近郊電車の空気を乗せて走っていく。空は青空だ。暑い一日になりそうだ。
台中から三つ目の駅烏日(ウーリー)で東側に廃ホームのような遺構が見える。駅周辺は都市の景観であるから、駅の利用者増で拡張がされて廃棄されたものだろうか。事実はわからない。ここは2020年末に開業予定の台中MRT緑線の駅が出来ることになっている。駅舎は鉄筋造りながらそれなりに古そうだが、ここに最新の電車がやってくるのである。MRT開業後はこの駅舎はどうなってしまうのだろうか。そんなことをふと思う。
成追線が近づいてきた。この短絡線の位置関係を簡単に説明すると、Yの字の右先端に成功(チェンゴン)駅があり、左先端に追分(ジュイフェン)駅がある。そして、下端が彰化(チャンファ)だ。その左右の先端を結ぶ路線が成追線ということになる。
9時01分に成功を出ると、列車はしばらく山線の線路と並走する。周辺は市街地のはずれといった景色で、やがて線路は大きく右に曲がりながら山線から離れていく。背丈の高い草の中を分け入っていくように曲がっていった線路に、すぐに左から海線の線路が近づき、成追線はあっという間に海線に繋がっていった。なんとも味気ない短い路線であり、やはり短絡線である。成功、或いは追分の構内の線路の一部のようでさえある。だが、こんな短い短絡線も台鉄の路線の一部であり、しっかりと路線名まで付いているのだ。
成追線は時刻表を見ると一日十一往復の区間車が走っている。台中と海線沿線とを結ぶための大事な路線なのだろう。
列車は追分に着くと反対方向から来る自強号とすれ違うために停車した。ホームに人影は少ない。台中駅とその周辺に存在した朝の喧騒とはまったく異なる静かでのどかなひとときの中を、特急列車は慌ただしげに通過していった。
9時40分、区間車は大甲(ダージャー)に到着した。降りる人も乗る人も若干いる。昨日、莒光号(ジュークアンハオ)の車内から見かけたように、ホーム上には黄色の縁取りが施された赤い中華提灯が並んでいる。太く丸い柱と厚い屋根の重厚なホームから改札を抜けて駅舎に入ると、小ぶりながらもいくつもベンチが並ぶ駅だった。
駅前広場に出てみると、白い三角屋根を連ねた駅舎であることがわかる。駅舎の前にイラスト入りの観光案内板が立っている。大甲四城門とあり、どうやらこの地にかつて城があったことが窺える。駅舎の煉瓦の壁には城についての壁画が説明付きで掲示されている。
大甲はタロイモの名産地だという。町中にはタロイモを使ったデザートやアイスクリームを食べさせてくれる店もあるというが、そこまで歩いて食べに行く時間はない。ただし、慌てて乗り換えるほどでもなく、ゆっくり歩けるほど時間がないというだけだ。なんとも微妙な時間の余らせ方だが、今日の予定は、このあと乗るローカル線が主目的であるのでタロイモは諦める。
駅舎内のベンチの肘かけには、クリーム色とオレンジに塗り分けた台鉄の機関車を模したデザインが施されている。駅舎の入口の床に書かれた構内案内図には「大甲」と書かれた小判を持った猫のイラストが添えられている。この招き猫はホームの案内板にも描かれてあった。駅のマスコットキャラクターなのかもしれない。色々と飾り付けが施された駅の演出に、関係者や地元の人々の駅に対する愛情が感じられて、降りてみてよかったと思える駅であった。
大甲からは莒光号で縦貫線の旅に戻っていく。自動券売機に向かうと、あることに気づいた。左は紙幣の使えない券売機で右が使える券売機なのだが、紙幣が使える方は現金投入をしなくてもボタン操作ができる。つまり、列車や行先など一通りのボタン操作を済ませると金額が表示されるので、それを見てから現金投入できる。硬貨専用の券売機だと、投入金額が足りている区間までしかボタンが押せないから、予め運賃表で金額を確認するか、それが面倒な場合は多めに金額投入する必要がある。次に降りる二水(アーシュイ)までの莒光号の切符は119元(約430円)であった。
駅舎に面した第一月台(ユエタイ)(1番線ホーム)に入り、莒光号を待つ。自販機があるので15元の紙パックのグアバジュースを買う。台湾に来てからまだ南国らしい果物の味を楽しんでいないことを思い出した。
莒光号は機関車が牽引する客車列車だが、やってきたのはクリーム色とオレンジの台鉄カラーの機関車ではなく、区間車電車に施されている青のカラーリングよりも濃い、紺色の電気機関車である。E213と型番の入ったプレートを掲げたこの機関車、よく見ると先頭部分に日本の南海電鉄のロゴ入りマークが入っている。南海電鉄の関西空港特急ラピートとのコラボレーションカラーなのであった。
集集線
莒光号(ジュークアンハオ)は台湾南部に向かってひた走っていた。10時09分に大甲(ダージャー)を出たこの507次莒光号は空いていた。昨日海線に乗るために彰化(チャンファ)から乗った莒光号が空いていたので、大甲駅では普通の券売機で切符を購入して「自願無座」とした。特急である自強号(ツーチャンハオ)と比べると速度が遅いからか、停車駅が多いからなのか、莒光号は空いているようだ。
昨日乗った莒光号は折り戸式の手動ドアの古い車両だったが、今乗っている客車は片開きの自動ドアだ。ただし、見た目も内装も大差ない。乗り味も似ている。駅を発車する時、機関車が引っ張る軽い衝撃のあと、ゆっくりと動き出す感触は客車列車のそれである。日本では観光列車でしか味わえなくなってしまった感触だ。
彰化の手前で山線と合流すると、その先は景色は町から農村へ移っていく。水田には田植えをしている人の姿も見える。彰化からは走る路線名が縦貫線(ゾングワンシェン)(南段)となる。11時17分に出た員林(ユアンリン)は思いのほか町であったが、車窓は護岸されていない川を越えたりしながら、のどかな景色を展開した。
11時36分、二水(アーショイ)に到着した。ホームから東の方角を眺めると、留置線に停められた有蓋(ゆうがい)貨車の遥か向こうに山が連なっている。これから、あの山の方に向かって走るローカル列車に乗る。
二水から山地に向かって集集線(ジージーシェン)という路線が出ている。全長は29・7キロで途中駅も五駅しかないのだが、台鉄の支線の中でもっともローカル線らしさの溢れる路線であるようだと予備知識を持っている。
集集線にも、昨日乗った内湾線(ネイワンシェン)のような一日乗車券が存在する。私は窓口に向かった。
「ジージーシェン、ワンデーチケット」
駅員は頷き、私が差し出した100元札を受け取った。一日乗車券は90元であった。
二水の駅前広場は小ぶりで、狭いロータリーに植えられた椰子の木の向こうに随分と古びた四階建てのビルがある。振り返って平屋の駅舎を眺めると、駅名板に蒸気機関車が描かれていた。山の眺めを仰ぎ見る小ぶりな駅。地方の町にやってきたのだという感がある。
これから乗る集集線の列車は二水始発ではなく、縦貫線の一駅手前にある田中(ティエンジョン)から出る列車である。先ほど莒光号の車内から停車中の列車を眺めている。なので、慌てることはないのだが、ホームに出て山を眺めながら列車を待とうと思う。
二水駅の通路は跨線橋ではなく線路下の通路となっていて、壁には墨画などが展示されている。台鉄に乗り始めて二日目だが、駅ごとに何かしらの趣向を凝らしていることがわかってきた。それもアート方面の演出に力を入れているように感じられる。車両のラッピングもまた然り。そういった演出を上層部が奨励しているのかもしれない。
ベンチに座って待っていると、12時00分発の集集線2713次がホームに入線してきた。山間を走るローカル線ではあるが意外にも四両編成であった。集集線は非電化なので電車ではなく、内湾線と同じ型の黄色とオレンジのラインの入ったステンレス車体の気動車だ。
二水のホームで待つ人も少なかったが、田中から乗ってきた人も少なく、車内は空いている。ドアが開くと女性車掌が降りてきた。ホーム隣の線を縦貫線の自強号が通過していくのを見届けて、集集線のドアは閉まった。
空は青く、山は緑に包まれている。陽気は日本の初夏を思わせ、車内はもちろん冷房が効いている。私の近くにはTシャツ姿の白人男性二人組が座っている。彼らは楽しげにスマートフォンを手に持ち、撮影はせずに何やら談笑している。
僅かな客を乗せた列車は左カーブして縦貫線から分かれていくと、果実農園の中に入っていった。先の尖った太い葉が地面の上に並び、その向こうには背丈の高い細い木が上の方にだけ葉を茂らせている。バナナの木だろう。
水田が広がる縦貫線の景色から一転して南国の景色となり、私は車窓に釘付けとなっている。座席がロングシートなので身をよじらないと景色を眺めにくいのが難点だが、幸い車内は空いていて隣人はいない。私はカメラを手にしたまま風景を見入った。
ひとつめの停車駅は源泉(ユアンチュアン)という駅名であった。三角屋根の壁の腰部が煉瓦造りの小さな駅舎は無人駅のようである。車掌は運転室からドアの開閉を行うのではなく、客室内に入り、ドア横にあるボタンに鍵を挿してドアを開けた。珍しい方式である。台鉄のローカル運用の車両には、このような装置がドア横に設置され、車掌が車内からドアの開閉を行えるようになっているようだ。
源泉とは近くに清流がありそうな駅名だが、実際、集集線は濁水渓(ジュオシュイシー)という台湾で一番長い川の北岸を走っている。濁水とは清流とはほど遠い名であるが、紛れもなく田舎の澄んだ川だろう。そう思わせるくらい景色はのどかになってきた。人家は減り、線路の周りは果実畑ばかりだ。ちなみに、濁水渓という名の由来は、黒の粘板岩(スレート)の粉末が混じった川の水が急流でそのまま沈下せずに流れていたことによるという。
次の駅はその川の名が付いた濁水(ジュオシュイ)で、小さな集落の中に設けられた駅であった。かつてこの駅から台湾糖業鉄道の路線が延びていたという。サトウキビから砂糖を作り、それを売る会社である台湾糖業が、かつて台湾南部にいくつものサトウキビ鉄道を建設した。サトウキビは台湾の南部が名産地である。
沿線は少しずつ山間に入っていく。続く龍泉(ロンチュアン)では貨物用の線路が分岐している。景色はより緑が濃くなってきた。線路の近くまで木々や草が生い茂り、列車はバナナの林の中に吸い込まれていくように走っている。
やがて景色は広がり、沿線でもっとも大きな集落であり線名にもなっている集集(ジージー)に着いた。集集駅の構内はこれまでの駅よりも少し広く、乗客も少し降りていった。ここは後で降りてみようと思っている。
集集を出ると線路と並行するように細い並木道が続き、沿道には飲食店が集まっているのが見える。この道は廃線跡でもあり、レールも残っているという。集集線がまだ軽便鉄道だった時代のものである。集集線は1921年に台湾電力の発電所建設のための資材運搬鉄道として開業した歴史を持つ。
やがて線路の周囲の景色は狭くなり、斜面と濁水渓の間の狭い部分へ線路が挟まれいていくと、少しばかりの平地が現れて水里(シュイリー)に到着した。私の乗っている車両にいた白人二人組はこの駅で下車していった。水里は日月潭(リーユエタン)という湖の最寄り駅であり、集集線が観光鉄道として存続している要因がこの湖でもある。日月潭は駅からバスで20分ほどの距離にある。
ここまで水に因んだ駅名の多かった集集線の線路は、山と山が迫り谷を形成する地形に吸い込まれていく。トンネルが現れ、抜けたところにコンクリート造りの朽ちかけたような古い建物が木々の間から見える。何の建物かはわからない。辺りは人家はほとんどない山深い場所である。予備知識がなくとも終点が近いことは景色が知らせてくれている。
12時50分、終点の車埕(チゥーチェン)に着いた。広々とした構内は、かつて貨物用の線路があった名残りだろうか。一面の島式ホームの奥は鋭い傾斜で山がそびえ、山の手前にはダム湖がある。駅の裏も斜面で、木造のこげ茶色の駅舎を出ると、狭い駅前広場から延びる細い道も坂となっていた。
乗ってきた列車は10分で折り返す。ゆっくりしていこうかとも思ったが、駅の周囲は店も家も少ない。だが、駅には土産物屋もあり、軽く時間をつぶすことくらいは出来る駅である。
駅舎は板壁の木造駅舎で、無人駅でありながらよく手入れされ、柱や屋根の茶色も綺麗な光沢を放っている。待合室には木製の長椅子が置かれ、古めかしい駅舎によく似合っていた。
ホームと駅舎の間に、おそらく使われなくなったと思われる側線が数本あり、観光客がそこに下りて記念写真を撮っている。空の青さと山の斜面の緑が眩しい。夏の避暑地にやってきたような錯覚をおぼえる眺めなのは、風景のよさだけが理由ではないだろう。私はこの山の空気を動画に残しておきたくなり、キャリーケースから4Kアクションカムを取り出し、夏の風景に向かってカメラを向けた。
集集駅前
列車番号2714次、10分後に折り返す列車に乗った乗客は僅かであった。今日は火曜日だが、週末はもう少し賑わうのだろう。集集線は観光鉄道としての事業投資が計画されており、縦貫線と高鉄の彰化(チャンファ)駅とを結ぶ田中線という路線も建設される予定になっており、完成の暁には高鉄彰化駅から集集線への直通運転が開始されるという。
13時18分、二駅めの集集(ジージー)で私は降りた。ホームの半分くらいにしか屋根が架かっていない。雲ひとつない青空から暑い光が降り注ぎ、じりじりと肌を刺してくる。暦の上では冬だというのに日焼けしそうである。
集集駅は瓦屋根を乗せた白っぽい木造駅舎で、小ぶりな造りが好ましい。駅前広場は駅舎の大きさの割に広く、駅前通りにはコンビニエンスストアから土産物屋などが並んでいて明るい風景であった。
その駅前広場の隅から歌が聴こえてくる。
「あ~な~た なぜなぜ わたしをすてた」
日本語である。初老の男性がスタンドマイクの前でアコーディオンを弾きながら歌っている。男は続いてまた日本の歌を歌い出した。
「し~らかば あおぞら みなみかぜ」
「あのふるさとにかえろかな かえろうかな」
伸びのある声でふるさとへの想いを歌う彼の、帰りたいふるさとはどこなのだろうか。それとも、ここ集集の人なのか。
足を止めて聴く者はいない。人通り自体も少なかった。駅舎の外には壁を背にして、木の長椅子が組まれてある。そこに座って、柴犬と一緒に日陰で休んでいる人がいるくらいの、のどかな眺めなのだった。そんな駅前広場に小型の蒸気機関車が静態保存されている。線路沿いに通る歩道には、道に埋めこまれるように軽便鉄道時代の細いレールが延びていた。
昼食を摂りたい。観光地であるようなので飲食店は少しある。ただし、先ほど車内から見かけた、線路沿いの観光客向けの綺麗な店に向かうには多少距離があった。私は駅前通りともいうべき商店街を歩き始めた。線路と並行するように延びている道路に、土産物屋と飲食店から洋服屋まで雑多な並びが短く延びている。
飲食店は開いているのかどうか定かではない店が多く、入る店を決めかねているうちに、やがて店の並びが途絶え始めた。田舎町だから店の数自体は少ない。暑くて距離を歩く気もせず、店が見つからなければ駅前のファミリーマートで済ませるしかないと思い始めた時、牛肉麺(ニョウロウミェン)の店があることに気づいた。
店内は大衆食堂風の造りで黒いテーブルがいくつか並んでいる。エプロン姿の気の良いおばちゃんが出てきそうな雰囲気だが、働いている店員は皆若者だった。運ばれてきた牛肉麺は細めの平たい麺に、日本の醤油ラーメンより濃厚な味わいのスープの中に、煮込んだ牛肉と野菜が入っているというものだった。昨夜台中(タイジョン)で食べたカレーライスもそうだったが、牛肉はよく煮込んであり柔らかい。空腹もあって箸はすすんだ。私は初日の台北(タイペイ)の夜以来、台湾の料理によく使われるスパイスである八角の匂いも気に入っている。この柔らかな刺激の香りがないと物足りなく感じ始めているくらいだ。だんだんと台湾の食事に馴染んできている気がしている。
148元(約530円)を払って店を出ると、駅前のファミリーマートに向かった。喉が乾いたのだ。牛肉麺は美味しかったが、甘いものが飲みたくなってきた。私は35元の紙パックのレモンジュースを買い、駅舎の外の壁に寄りかかるようにして、木のベンチに座った。先ほどのストリートミュージシャンの初老男性はまだ歌っている。演目はいつしか日本語の歌ではなくなっていた。
午後の駅舎はどこか時計の速度が緩い。昔ながらの小さな窓口、木枠の改札、木の長椅子。何十年と変わらない景色なのだろう。相変わらず暑い日差しに包まれた集集駅のホームに立ち、列車を待つ。やってきた集集線2716次、14時38分発の列車は鮮やかな黄色にラッピングされた車両だった。側面に「NATIONAL JIJI MUSEUM 國立集集美術館」と大書されている。車内に入ると座席に新聞紙面がラッピングされ、床にはひまわり、壁には虎やバナナが描かれている。そういえば集集駅の改札の脇にも虎のマスコットが飾ってあった。
外装だけでなく内装までラッピングして統一感を出すのが台鉄流らしい。昨日乗った内湾線(ネイワンシェン)の「山歌列車」もそうであった。内装までもが鮮やかな黄色に彩られたこの集集線の列車は、南国情緒あふれる窓外のバナナ畑をゆったりと走り抜け、縦貫線との乗り換え駅二水(アーショイ)に15時10分に到着した。
二水で次の目的地嘉義(ジャーイー)までの切符を買う。乗るのは普通列車である区間車(チュージエンチャー)なので71元と安い。昼下がりで閑散としたホームにやってきたのは、特急電車のような流線型の正面デザインを持つステンレス車体の近郊型電車だった。この電車も朝乗った区間車と同様に、ロングシートの方を向いた着座位置となっている二人掛けクロスシートを備えている。
15時22分に二水を出た2183次区間車は仕様こそ近郊型だが、始発駅を出てからすでに5時間ほど走ってここまで来ている。日本ではほぼ消滅したロングラン鈍行列車が台湾ではまだ健在なのである。区間車だけで台湾を一周する旅もしてみたいと思う。実行するとしたら、自強号(ツーチャンハオ)も莒光号(ジュークアンハオ)も停車しないようなローカル駅で降りながら、あてなく町歩きをしてみたい。そんなことをふと妄想する。
車窓は昨日回った台湾中部と比べると随分とのどかなものとなった。二水と嘉義の間では一番大きな町である斗六(ドウリウ)でさえ、駅を出てすぐに線路沿いは草地となった。斗六には雲林県立斗六野球場という国際大会も開催している野球場があるのだが、車内からだと確認できなかった。地図を見ると駅周辺の町中にあるようだった。