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台湾鉄路紀行 第四日後半(高雄市内)

   高雄捷運環状軽軌

 再び高雄(カオション)駅にやってきた。コインロッカーにしまった荷物はまだそのままに、私はMRTの乗り場へ向かい、紅線に乗り込んだ。
 15時38分発の電車でMRTの高雄駅である高雄車站(カオションチャージャン)を発った私は、15時48分着の凱旋(カイシュアン)で電車を降りた。この勇ましい駅名は、すぐ近くを通る道路「凱旋四路」から付いた駅名で、その道路に面して駅前広場が設けられている。
 ICカード一卡通(イーカートン)が残高不足となっていた。とりあえず60元をチャージしたが、3元不足していたので、残高は57元となった。
 エスカレーターの脇に高捷少女(カオジェシャオニュ)の立て看板がある。駅構内は白を基調とした明るいもので、設備も新しくきれいだ。地上に出ると、周囲は市街地だが緑も多い。街路樹が多いことに気づく。アーチ状の屋根を持った歩道橋があるので上がって景色を眺めると、駅のすぐそばに広大な公園があった。そして、緑に溶け込むようにライトレールの駅がある。
 高雄のライトレールは2015年に暫定開業し、2017年に正式開業となった。運営はMRTと同じく高雄捷運(カオションジェユン)で、将来は環状線になる予定であることから環状軽軌と呼ばれている。
 凱旋駅のすぐ傍にあるライトレールの駅は前鎮之星(チェンジェンチーシン)という。今私が歩いた歩道橋の名前から名付けられたそうである。
 ライトレールという乗り物は簡単に言ってしまうと、近代的な路面電車といった形状の電車で、高雄のライトレールは全長の短い車両五両をつなげた連節式の電車となっており、その電車が路面や専用軌道の上を走る。
 駅には改札口はなく、歩道からホームへはフリーアクセスとなっている。ホームには切符の券売機もあり、切符で乗車すると30元だが、ICカードで乗車すると10元となる。
 レトロな印象を受ける路面電車と違い、ライトレールは近未来型の電車であるから、色々と造りが斬新だ。電車のエクステリアデザインを担当したのはイタリアの有名デザイナージウジアーロで、大型ガラスの流線形の前面に、車内は偶数号車がロングシート、奇数号車がクロスシートと席種を混在させた造りとなっている。
 地下鉄(MRT)の路線カラーは赤とオレンジであったが、ライトレールは黄緑で、線路も芝が敷き詰められ、電車の車体色も白地に緑であるから、緑の多い都市景観にも似合っている。
 16時04分、緑の線路の上を緑と白の電車が走ってきた。ドアの開閉は自動ではなくボタン式となっている。車内に入ってすぐの所にICカードをタッチする機械が設置されている。座席や壁は白を基調としていて明るい車内だ。前鎮之星を出て4分でこの電車の終点であり、このライトレール線の起点駅である籬仔内(リーズーネイ)に着く。
 籬仔内は大きな交差点の近くに位置していた。交差点には何台もスクーターが並び、周囲は商店やマンションが並ぶ賑やかな場所だった。低床型の電車に合わせて低く造られたホームの脇には街路樹が並ぶ。
 特に行ってみたい所も浮かばず、交差点の賑わいだけを眺めて再び車内に戻ることにした。ジャージ姿の女子高生が何人も乗り込んできたが、通学ラッシュというほどでもない。
 籬仔内に来たのは、要するに高雄ライトレールの全線に乗ってみたかったからであるが、折り返し便で一気に終点まで乗り通すのも味気ない。どこかで途中下車をしようと思う。7分の滞在で16時15分、私はクロスシートに腰掛けて籬仔内を離れた。
 路線図を眺める。夢時代という名の駅が気になる。電車は市街地から少しはずれ、広々とした空地を左窓に展開させて、16時24分に夢時代(メンシーダイ)に着いた。女子高生たちもここで降りた。
 駅のホームの南は空地だが工事用の柵で道が閉鎖されているから、ここに巨大な建築物が立つのかもしれない。今は西日を浴びて土と雑草が黄昏の色に照らされている。線路と並行して道幅の広い道路があり、北の方角に横断歩道を渡ると、そこに大きなショッピングモールが立っていた。これが夢時代であることは、ホーム上の駅名板に記載された英語の駅名が、台湾国語読みの「Mèngshídài」ではなく「Dream Mall」となっていた事で気づかされている。
 ショッピングモールは二つの建物で構成されているようで、奥の建物の階上には観覧車の姿が見える。手前の建物は薄い茶色の落ち着いた色彩の壁で、店名は統一時代百貨とある。一階に並ぶ店の構えはまさに高級デパートそのものであった。
 とりあえずエスカレーターで一番上の階まで行き、飲食店の通りを眺める。日本でも馴染みのある店舗もある。私は日本のショッピングモールの景色を思い出した。
 このショッピングモールは統一夢時代(Dream Mall)という名で、統一夢時代というショッピングモールに、百貨店も併設されていると私は解釈した。総合商業施設として世界で十一番目の総面積の広さを誇るのだそうである。

 店内は涼しかった。高雄の町は湿気を感じさせ、少し歩いただけで汗ばんでくるほどで、それは夕方になっても変わらないままだったのだ。
 もっと店内で涼んでいたい気もしたが、私は夢時代到着後30分の滞在で、16時54分の電車で先に向かった。
 電車は海に近い所を走っている。広大な空地の脇を走っていた車窓は、巨大マンションが林立する風景に変わり、その先に高雄85大樓(高雄スカイタワー)が見えてきた。凸型の高きビルは八十五階建てであり、高雄の新しいシンボルといえる。
 旅運中心(リュユンジョンシン)(Cruise Terminal)というクルーズ船のターミナル最寄り駅が現れた。車内は駅に着く度に乗客が増えてくる。観光客と思われる身なりの人が多い。旧高雄臨港線の操車場を転用してホームを造ったという光榮碼頭(グァンロンマートウ)(Glory Pier)という埠頭の脇の駅を過ぎると、やがて高架となって高雄を代表する川である愛河(アイホー)を越えていく。その先の高架駅の真愛碼頭(ジェンアイマートウ)(Love Pier)に着いた。高架線だと周囲への見晴らしがよく、降りてみたくなる風景だとも思う。
 この辺りで降りて愛河沿いを散歩するか、埠頭を名に冠する駅が続いているので埠頭散歩をしてみるか、どちらにも心惹かれたが、腰を下ろしたままでいるうちに電車は発車し、すぐに高架から地平へ下りていった。
 地平に下りた電車は、倉庫街をリノベーションして造られた駁二芸術特区(ボーアーイーシュートーチュ)の傍を走っていく。古い煉瓦の倉庫や、その倉庫敷地がアートスペースになっていて観光客で賑わっている。倉庫の壁に色鮮やかなイラストが描かれ、地面には大きなオブジェが立つ。そこを電車が走り抜けていくのだ。その距離感はライトレールならではの密接度といえるだろう。電車が旧倉庫街の景色の中に入り込んでいるかのようだ。
 駁二芸術特区への最寄り駅である駁二大義(ボーアーダーイー)で乗客の多くが降り、同じくらいの人数が乗り込んでくる。駁二芸術特区の景色の中をゆったりと走っていった電車は駁二蓬萊(ボーアープォンライ)を発車すると、倉庫街の中を左に右にと直角に曲がっていきながら広大な芝生の脇に出た。右窓に広がるこの緑地の中に客車や機関車が停まっているのが見える。電車はその敷地に合わせて右に大きく曲がると終点の哈瑪星(ハマセン)に17時14分に到着した。

   哈瑪星鉄道文化園区

 哈瑪星(ハマセン)駅の周囲は広大な芝生となっていて、そこに錆びた線路が幾本も延びていた。先ほど車内からも見えたように、廃車となった鉄道車両が置かれている。ここは「哈瑪星鉄道文化園区」という名の鉄道公園で、かつて存在した高雄港(カオションガン)駅の跡地に造られた公園である。
 ライトレールのホームは高雄港駅跡の中に位置していて、降車客のほとんどが連絡通路を渡って芝生の方へ向かう。ホームは対抗式になっていて、一旦下り用ホームに停車し乗客を降ろした電車は前進して引上線に入ると、ポイント切り替え後に向きを変えて上りホームに入線して折り返すようになっていた。両ホーム間に設けられた連絡通路には、誘導と安全確認を行う警備員が立っている。引上線の先も軌道敷地は確保されており、将来この先に線路は延びていき、いずれは環状線の路線形になる予定である。
 高雄港駅の跡地はとても広い。犬を散歩させている人、ジョギングをしている人、凧上げを楽しむ人、ここは市民の憩いの場となっていた。
 朱色に白いラインの入ったディーゼル機関車がいる。蒸気機関車が二両佇んでいる。海の方角に向かって歩いていくと、ライトレールの車内から見た旧型客車がいる。白と水色の明るい塗装の車体は錆びが浮いて物悲しい姿であった。隣にいる紺色に白いラインの旧型客車もかなり錆びが浮いている。35SP32426と車体番号が白字で書かれてある。インターネットで調べてみると、1966年に日本の川崎車両で造られた客車だとわかる。どちらの客車も車内には入れない。
 蒸気機関車が留置されている場所に移動してみる。DT609と車体番号が書かれた赤い銘板を付けた機関車は1929年に製造された国鉄の9600形蒸気機関車で、つまり日本統治時代の車両である。塗装は褪(あ)せているが四軸動輪の勇ましい姿は迫力がある。流麗なタンクの曲線に沈み始めた黄昏の太陽が重なり、車体を鮮やかに照らしている。
 蒸気機関車がいる場所は高雄港駅のホームと駅舎が保存されていた。蒸気機関車だけでなくディーゼル機関車や有蓋(ゆうがい)貨車も留置されている。駅舎は「旧打狗駅故事館(ジウダーゴウイーグーシーグァン)」という資料館となっていた。館内には貴重な展示物があるようだったが、あいにく訪問時間が遅く玄関は閉まっていた。
 高雄港駅は1900年に打狗停車場として開業した。その後、1920年に高雄駅、1941年に高雄港駅と改称を繰り返し、2008年に廃止された。
 打狗とは高雄の旧地名である。台湾語では「ターカウ」と発音し、平埔族(平地系原住民)マカタウ族の言葉で「竹林」を意味する。この地名が高雄に改称されたのは日本統治時代の1920年で、「犬を打つ」という字面を避けて「ターカウ」という発音に似た「高雄」という字を当て「たかお」と読ませたことによる。戦後も高雄という地名は残り、発音が台湾国語になって今に至っている。
 ホームのはずれに、先ほどの蒸気機関車より少しだけ小ぶりな蒸気機関車がいた。CT259という車体番号で、1938年に日本で製造された国鉄のC55形蒸気機関車である。写真を撮っているとカップルから声を掛けられた。手にはデジカメが握られている。写真を撮ってほしいという。私は快く引き受け、機関車の前に立つ二人を撮影し、カメラの背面液晶で撮影結果を確認してもらった。地元の大学生だろうか。笑顔で頭を下げていく二人を見送り、私はMRTの駅に向かった。

   美麗島

 ライトレールの哈瑪星(ハマセン)駅から旧打狗駅故事館(ジウダーゴウイーグーシーグァン)の近く、道路に面して地下に下りる大きなガラス張りの入口があった。ここがMRT橘線(Orange Line)の西子湾(シーズィーワン)駅の入口だった。西子湾は橘線の起点駅である。
 ここも他の高雄MRT駅のように改札に萌え系キャラ「高捷少女(カオジェシャオニュ)」の立て看板がある。ホームの造りも他駅同様にフルスクリーン式のホームドアとなっていた。
 17時48分に西子湾を出た電車は、さして混雑もないまま7分で四駅先の美麗島(メイリータオ)に到着した。美麗島は橘線と紅線(Red Line)が交差する高雄MRTの主要駅のひとつであり、それゆえに構内はそれなりに通行人が多い。
 美麗島という美しい単語は台湾の異称のことであるが、駅名の由来となったのは1979年に起きた美麗島事件という民主化運動から来ている。台湾の民主化を唱えた雑誌の名前が「美麗島」であった。有志たちが世界人権デーに合わせて行ったデモが警察と衝突し、逮捕者を出した。逮捕者はのちに釈放される。釈放された時期は、本省人初の台湾総統となった李登輝(リーテンホイ)の時代のことである。釈放後、その人たちが民進党で活躍し今に至る。台湾の民主化に大きな影響を与えたというこのデモ、その実行源の雑誌名が駅名に付けられる時代になった。
 美麗島駅は直径140メートルという、地下円形駅としては世界第二位の大きさを誇る。コンコースにある直径30メートルの巨大な円形の天井と、それを支える二本の柱にはステンドグラスが張り巡らされ、そこに光之穹頂と名付けられた色鮮やかなパブリックアートが施されている。イタリアのステンドグラスアートの芸術家Maestro Narcissus Quagliataによる作品で、四年の歳月を費やして制作されたという。青、緑、黄色、赤など多彩な色を組合わせて描かれたこの作品は「祈り」を表現している。虹を思わせる鮮やかな色は徐々に変化していく。辺りには美しい調べが流れている。ふと、端の方に視線を向けると、女性ピアニストが生演奏していた。なんとも優雅な地下鉄駅だ。夕方のラッシュ時にさしかかっている時間帯だが、流れている空気はとても穏やかなものである。
 地上に出てみると、そこは大きな交差点であった。駅の出入口は山を思わせる大きなガラス張りの屋根が架かっており、外から眺めても美しい地下鉄駅である。
 周囲は繁華街で飲食店が多い。「福田」という日本人の名前みたいな看板を掲げた店もある。今夜はこの美麗島周辺で夕食にしようと思っている。

 ICカードの残量が7元になっていた。チャージしてもいいのだが、切符で地下鉄に乗ってみたいとも思った。切符、つまり乗車券のことだが、台湾の地下鉄は紙の切符ではなく、プラスチック製のトークンが乗車券となっている。高雄車站(カオションチャージャン)までは20元なので10元硬貨を二枚入れると、青いトークンが出てきた。これを自動改札機にタッチして入場する。
 紅線のホームに下りた。座席が塞がり、立客が少し出るほどの混み具合。18時18分に美麗島を出た電車は2分で隣の高雄車站に到着する。台北MRTもそうだったように、高雄MRTも主要駅では日本語の案内放送も流れる。美麗島も高雄車站も「びれいとう」「たかお」とアナウンスされ、乗換線の案内も日本語で流れる。
 トークンは下車時は自動改札機の投入口に入れる。台鉄の切符と違い、トークンはそのまま機械に回収される。
 さて、高雄と周辺地域の手ぶら周遊はここまでとなる。MRTの改札付近のコインロッカーに仕舞っていた荷物を取り出し、待合室のベンチに座って少し休んだあと、18時43分の紅線で再び美麗島に戻る。18時45分に着いた電車を降り、橘線の連絡階段を移動してホームに出る。今夜の宿は美麗島から二駅めの文化中心駅が最寄りである。18時50分に橘線に乗り込み、3分で文化中心に着いた。案内放送での駅名呼びは台湾国語の「ウェンファジョンシン」ではなく英語の「カルチャーセンター」呼びであった。
 文化中心駅の周囲は町の中心街といった風景で、出口を出ると賑やかな交差点があり、大統百貨和平店というデパートも立っている。飲食店も多く、今日は夕食を求めて彷徨(さまよ)う展開にはならないだろう。
 宿は文化中心駅から少し歩く。位置的には台鉄の民族(ミンズー)駅の方が近いが、こちらの駅は明日の朝に利用する予定である。
 今夜の宿の宿泊料金は今回の旅でもっとも安く、日本円で2145円となっている。どんな宿だろうかと、少し身構えてやってきたのだが、構えが小さく建物の造りが古いだけで、部屋は割と広くて、寝るだけなら十分な内容の宿であった。ただし、備えつけのテーブルは狭く、テレビがテーブルの上に壁から吊り下げられている構造なため見づらく、快適な部屋と喜ぶほどでもない。私は荷物を置き、夜市の情報をスマートフォンで確認すると、早々に外出した。
 先ほどと同様に乗車券(トークン)を買って乗車する。文化中心から美麗島までは20元で、20時21分に橘線の電車に乗り込み、3分で到着した。
 美麗島駅の周辺は飲食店がいくつもあるが、私は歩いてすぐの六合夜市(リウホーイエシー)に向かった。ご飯ものが食べたい。台湾名物のひとつである魯肉飯(ルーロウファン)(豚バラ肉ご飯)の美味しい屋台があると下調べしておいた。
 六合夜市は有名な夜市であるので賑わっていた。歩行者天国となった道路の真ん中に屋台が並んでいるが、道路の両端にも飲食店が並んでいる。屋台は飲食だけでなく、入口近くには雑貨の屋台もある。目的の魯肉飯の屋台は出口近くにあるようだが、今日は休みなのか何度確認しても見つからなかった。
 入口近くまで戻り、もう一度各屋台を物色する。台北の夜市と比べると海鮮料理が多い気がする。港町だからだろうか。看板に米の文字が見える屋台を見つけたので注文してみる。店主が手にして鉄板で焼き始めたのはトウモロコシであった。予想外の品であったが、空腹なので問題はない。値段は50元。
 あとで知ることとなるのだが、トウモロコシは台湾国語で玉米(ユーミィ)という。買ったトウモロコシは甘いタレを塗って焼いたもので結構おいしかった。だが、大きすぎて一気に食べるのは手間取った。私はトウモロコシを一旦袋に入れると、別の屋台の物色を始めた。お椀サイズの麺を売っている屋台がある。看板に写真つきで品目を紹介している。酸辣粉70元が気になり注文して、屋台に備え付けのカウンターで食べることにした。出てきたのは、春雨(はるさめ)にチャーシューと刻みネギなどが入ったもので、ツユにぴりっとした酸味と辛みがある。品名のとおり、どうやら酢とラー油が入っているらしい。酸辣粉(サンラーフェン)というのは四川料理で、中国大陸では結構ポピュラーな料理であると知ったのは帰国後のことである。
 私が酸辣粉を食べ始めると、店主も鍋からすくって座って食べ始めた。時刻はすでに夜9時を回り、客足はだいぶ落ち着いてきた。食後、喉が渇いてきたので近くのセブンイレブンに入りビールを買った。キリンの一番搾りで44元、そして明日の朝食用の35元の菓子パンを買う。台湾ではパンを麺包(メンパオ)と呼ぶことも知る。
 美麗島駅の入口近くの街灯の下に、少し腰掛けるのにいいパイプフレームがあり、そこに座ってビールを飲みながら夜風に吹かれてトウモロコシの残りを食べた。夏の夜のような湿気と気温、そして風の柔らかさだった。

 美麗島から電車に乗ったときは、ちょうど22時00分であった。3分で文化中心に着く。まだ町は街灯が明るい。駅からホテルに向かう途中のセブンイレブンで15元の麦茶を買う。ラベルには「麥仔茶」とある。一緒に18元のCity No.1というチョコレート菓子も買う。これは日本のポッキーのようなもので、ホテルの部屋で食べたところ、甘さは控えめな味で、その分、麥仔茶は甘い麦茶であった。


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