台湾鉄路紀行 第一日(桃園~台北)
第一日 (桃園~台北)
桃園機場捷運
白い雲を抜けると飛行機の窓下に、青い海と黄昏の淡い色に染まる陸地が広がった。陸地には田畑に寄り添うように人家が点在している。どうやらここは農村らしい。海岸線に白い三枚羽根の風車(ふうしゃ)が何本も並んでいるのが見える。羽根は夕陽を浴びて、海に向かって止まっているかのように佇んでいる。
私を乗せたスターフライヤー7G801便はゆっくりと高度を下げ始め、陸地に近づいていく。遂に台湾に来たのだなと私は実感した。台湾の鉄道に乗ってみたい。町を歩いてみたいと思い、ガイドブックを買い、台湾鉄路局の時刻表も買ってプランニングをしたのは二十年ほど前の話だった。まだ日本国内に行きたい場所が多く、後回しにしているうちに、台湾は民主化が急加速してIT大国になり経済発展を遂げた。その間に、業者を頼らずとも一人でインターネットを駆使して航空券から宿の予約までも出来る時代へ、世界も変貌を遂げていた。
機内は五十人ほどしか乗客がいない。多くは日本に観光に来た台湾人のようだ。出発地の北九州空港のロビーで聞こえてきた言葉に日本語は非常に少なかった。新型感染症の話がアナウンスされ始めている。日本と台湾を行き来できる機会は今を境に当分訪れないかもしれない。私がそう思いながら渡航に踏み切ったように、彼ら彼女らもそう感じながらの帰国かもしれない。どんな思い出を日本で得られただろうか。皆の表情は総じて明るい。
神奈川県に住む私が北九州を出発地に選んだのは、スターフライヤーの機内食がとても美味しいという評判を聞いていたからだ。この航空会社は北九州市に本社を構える会社で、残念ながらスターフライヤーで羽田空港や成田空港から台湾に向かう便はない。
機内食は評判どおりだった。和食メニューで量より味付けを追及したその内容はとてもよかった。食後のコーヒーもおいしい。快適な空の旅であった。だが、私の右二席も、前後三席も空席である。
定刻15時55分より15分ほど早く出発していた飛行機は、定刻より10分早く17時30分に桃園(タオユェン)国際空港第一ターミナルに到着した。そっと地面に触れるような滑らかな着陸であった。台湾と日本の時差は一時間だから、六時半になっている腕時計を一時間巻き戻した。
入国手続きに長い列が出来ると聞かされていた桃園空港のイミグレーションは閑散としている。並ぶことなく入国審査となり、この旅で初めて日本語以外の言葉を発した。「Sightseeing?」と訊ねられ、そのとおりだと答えた私に、審査官のいかつい青年は表情を硬くしたまま、ここに連絡先を書くようにと手元に置いていたスターフライヤーの航空券を裏返した。初海外である私が、渡航記念に大切に保存しようと思っていた航空券の裏側に、渋々とスマートフォンのメールアドレスを記述した。
荷物検査はノーチェックであった。鞄の中の大量の日本製インスタントラーメンを没収されている台湾人少女がいる横で、係員が「お前は行っていい」と言いたげに仕草し、私はあっけなく到着ゲートの外に出ることが出来た。
桃園空港に着いたらまずは、台湾の通貨を入手しなくてはならない。空港内の銀行カウンターで日本円を両替するよりも、ATMを使ってクレジットカードによるキャッシングをした方が手数料が安く済むと聞いているのでATMを探し、早速台湾の通貨を引き出すことにした。台湾の通貨は「元(ユェン)」あるいは「ニュー台湾ドル(NT$)」と呼ばれる。今は1元が約3・6円くらいである。
出発前にATMキャッシングについて予習してきた筈だったが、私が調べた方法とは画面が少しだけ違うように感じられる。困惑しながらなんとか1000元札を七枚手にすることが出来たが、既に私は雰囲気に飲まれている。海外にいるのだということを必要以上に意識して浮き足立っている気がしている。
桃園空港から台湾一の大都市である台北(タイペイ)市は少し離れていて、高速バスで約一時間ほどかかる距離なのだが、2017年春に桃園空港と台北を結ぶ桃園機場捷運(タオユェンジ-チャンジェユン)という鉄道が開業した。私はこの鉄道に乗るため、空港ビルの地下にある駅へ向かう。私の訪台の一番の目的は「台湾交通部鉄路管理局の全線に乗る」ことである。この空港連絡鉄道は台鉄ではないが、そこに鉄道があるのであれば、バスよりもそれを優先したい。
台湾の地下鉄はMRT(Mass Rapid Transit)と呼ばれていて、この空港連絡鉄道も桃園MRTと呼ばれている。MRTは現金でも乗車できるが、交通系ICカードでも乗ることが出来る。その名は「悠遊卡(ヨウヨウカー)」という。日本語では「悠遊カード」、英語では「EASY CARD」という別称も用意されているが、私は切符売場の手前に机を出して販売していた係員の青年に「ヨウヨウカー プリーズ」と人差し指を出した。
先ほどの空港入国審査の青年と雰囲気の似た青年は、チャージ金額だという風に言い添えて電卓に200と入力してみせた。私は500元チャージしたいと思っていたので、電卓に500と打ってみせたが、ここはあくまでカード販売コーナーである。チャージを自由に行える場所ではない。200元は既にチャージ済みの金額のことなのだ。理解して私は財布から1000元札を一枚取り出して彼に渡した。しかし、返ってきた釣り銭は500元札一枚と100元札が二枚である。
「200元?」
日本語で尋ねてみたが、彼は首を横に振るばかりである。私は気づいた。ICカードなのだから新規購入の際はデポジット代がかかる筈である。日本だと一枚につき500円だ。鉄道に乗りに来た鉄道ファンが、そんな基本を忘れている。
「デポジット?」
私の問いに彼は小さく頷いた。
桃園空港第一ターミナルに接している駅の名は機場第一航廈(ジーチャンディイーハンシァ)という。エスカレーターで地下ホームに降りると、そこはガラスに覆われた密閉式のホームドアが並んでいる。待つほどなく快速に相当する直達車という電車がやってきた。
私のそばにいた白人男女が電車を指して誰に尋ねる訳でもなく「ウーライ?」と声を上げている。烏来(ウーライ)という温泉地が台北の郊外にある。確か台北のMRT駅からバスで行く筈だが、その最寄り駅が思い出せない。だが、やってきた台北方面の電車に乗ることは正解ではある。説明しようかと思案していると、聡明そうな顔つきの台湾人青年が丁寧に行き方を説明し始めた。その英語は、きれいな発音であった。
直達車には専用車両が使われており、固定式の二人掛け座席が並び、座席脇には充電用のUSB端子が備えられていた。18時10分に駅を出た電車は、すぐに地上に出ると人家があまり多くない風景を快走し始めた。飛行機を降りた頃は淡い夕陽の色に染まっていた空も、空港内で30分が経過した今は既に夜の色である。
車内は空いていた。陽が沈んでしまえば、ここがどこであるのかという感慨も薄れ、日本の都市近郊の電車に乗っているような錯覚を覚えるが、時折聞こえてくる車内放送は紛れもなく日本語ではない言語であり、プラスチック製の座席の質感も日本の電車とは大きく異なっている。
その座席の色も、銀色の車体に巻かれた帯の色も紫である。桃園機場捷運のイメージカラーであるようだ。ちなみに台北MRTは青である。
途中駅で多くの乗車があることもなく、電車は再び地下に潜って18時48分に台北車站(タイペイチャージャン)に到着した。車站とは駅のことであり、駅名に「駅」と付いているのは、ここに台鉄(タイティエ)や高鉄(カオティエ)こと台湾新幹線の駅があることを意味しているからだ。もっとも、この台北車站駅、台鉄や高鉄の駅からは少し離れていて、MRTの台北駅と北門(ベイメン)駅の間あたりに位置している。私の今夜の宿はMRTの中山(ジョンシャン)という駅が最寄りだが、北門駅からも行けるので比較的空いていそうな北門駅を目指した。
台湾の地下鉄も日本と同様に路線別に色が設定されている。北門から中山に向かう路線は緑色で、路線名は松山新店線(ソンシャンシンディアンシェン)という。台北車站も北門も通路は広く、天井も少し高い。地下鉄駅特有の圧迫感はさしてない。
空港から台北車站までの運賃は160元で、カードの残金は40元となった。これでは心許ないので北門駅で200元ジャージする。北門から中山までは一駅だが20元という安さだ。日本円に換算すると約70円となる。
今日は日曜日とあってか松山新店線の電車はさして混んでいない。路線名の松山は空港のある町で、新店は原住民族タイアル族の集落がある温泉地烏来の最寄り駅であることを今になって思い出した。
北門から2分で中山に到着した。ここは台北MRTの主要路線である淡水信義線(タンシュイシンイーシェン)が交差している駅だけあって、人の往来が多い駅だった。改札を出て、エスカレーターで少し上がると、スクーターと車のエンジン音が響く地上に出た。
中山
気温は少し高いが湿度はさほどでもない。夜風が少し心地いいほどだ。南京西路(ナンチンシールー)の大きな交差点の前に立ち止まると、信号待ちのスクーターが次々と増えていくのが見えた。周囲はビルが建ち並び、その多くは商業ビルだ。交差点を北に曲がり、屋根の付いた歩道を歩く。台湾の町の商店街の歩道はこのように屋根が付いていることが多いらしいのは予備知識として持っている。今は強い日差しもない夜で雨も降っていないから恩恵は受けていないが、コンクリートの屋根が覆う歩道はどこか懐かしさを漂わせている。日本の都市、特に地方都市が失いつつある商店街文化が健在であることを示す風景だからだろうか。そんな風景の中に「モスバーガー」の赤い看板が光っている。
台湾の旅初日の宿は、通りから少し路地に入ったところにあった。想像していたよりは綺麗な構えである。周囲はビルだらけで、「大飯店」という名を掲げた建物もあるような地域だ。大飯店とはホテルのことである。私が今夜泊まる宿も大飯店を冠した名だが、建物の幅は小さい。駐車場を併設していないからだろう。西洋建築の小ぶりな旅館といった佇まいである。
私は周囲の様子を窺(うかが)ってから、パスポートケースから慎重にパスポートを取り出し、スマートフォンに予約サイトの予約完了画面を表示させて大飯店の自動ドアに向かった。
フロントに立っていたのは女性一人だった。日本語が通じるホテルだと予約サイトの説明にあったが、一応英語で今夜の予約をしている者であることを伝えようとした。それを遮るように女性は笑顔で言った。
「日本語で大丈夫ですよ」
私からパスポートを受け取った女性は端末のキーを叩いて予約を確認すると、マスクを取ってくださいと言った。この旅は自宅を出た時から、外では常にマスクを着用している。台湾の人達も同様で、MRTの車内に於けるマスク着用率は9割くらいであった。だが、このフロント女性はマスクをしていない。現状としては台湾よりも日本の方が新型感染症の感染者は多く、警戒される側は日本人である。気を遣いながらマスクを取った。女性はパスポートの写真とを見比べ、OKですと言いながらパスポートを返却した。
今回の旅の宿代はクレジットカード決済にしているが、今夜の宿だけは別サイトで予約したので現金決済となっている。私は財布から1000元札と500元札を一枚ずつ取り出し、代金1424元を払った。部屋は二階で、朝食はこのロビーの奥だという。見ると、間口の狭いホテルだが奥行はそれなりにあった。
日本円で5000円を超える宿代だが、今回の旅で泊まる宿では一番高い。それでも台北の中心部にあり、MRTの駅から徒歩数分という立地であることを考えると相場としては安いホテルだった。安い理由は部屋に入ってすぐに理解できた。狭いのである。ドアから入ってすぐに壁の突き当たりとなり、左にベッドが置かれている。壁に設けられた窓の下は今歩いてきた路地で、格別な眺めでもない。窓とベッドの間は一人が通れる隙間しかなく、その窓の下に細いテーブルや冷蔵庫などが置かれているのであった。その左奥にトイレとバスルーム。中に入ってみると、左にバスタブとシャワー、洗面所を挟んでトイレとなっている。バスタブにシャワーカーテンが付いているのと、清潔感があるのが幸いである。
少々の気疲れを感じてはいるし、機内食を食べたのは夕方なので、あまり空腹でもないが夕食に出かけようと思う。行先はすでに決めてある。その行先に近いことが、このホテルを選んだ理由のひとつでもあった。
寧夏夜市
先ほど歩いてきた道を再び歩き、交差点を渡って西側に出た。中山(ジョンシャン)駅の入口近くに日本の100円ショップがあった。どんなものを売っているのか気になった私は中に入ってみた。
店内は軽快なポップスが流れている。歌っているのはおそらく台湾人歌手である。売っている品は日本とさして変わらず、日本語で書かれた商品タグが付いた商品も多い。台湾で生産しているのではなく、日本から輸入しているのだろう。値段は100円相当という訳ではなく49元なので約180円であった。
中山駅の入口に掲げられた駅名看板は赤と緑の地に字が書かれてある。この色はこの駅を通る路線のラインカラーで、何線の駅なのかということを一目で確認できるように配慮されている訳だ。日本の地下鉄駅の駅名看板の場合、白地にラインカラーをワンポイントで添えてあるデザインが一般的だから、それと比べると少し派手目な駅名看板だが、入口としての機能を考慮するとこれくらいの色使いにするのが正解だとも思える。大通りに面したビルの店看板も概して大文字でわかりやすく色彩も鮮やかだ。
ホテルを出てから15分ほど経過した頃、大通りから分岐して斜めに奥に延びていく道が現れた。入口に赤いネオンサインで寧夏夜市とアーチが掲げられている。その向こうに人の賑わいが夜の街角を照らしている。
台湾の町には夜市(イエシー)という文化がある。夜の通りに屋台が並ぶのだ。ここ台北は大都会だけに多くの夜市が開催されているが、寧夏夜市(ニンシャーイエシー)は素朴な佇まいで活気のある夜市だと評判であった。
さして幅の広くない道の中央部に屋台が向き合って並んでいる。入口付近の屋台は飲食店ではなく遊戯関連の店で、スマートボールの小型台を並べた店、的当ての店などがあり、子供連れの家族客で賑わっている。そういった、何かをプレイして景品を得るという類いの店だけでなく、ぬいぐるみを直に売っている店もあり、カップルが足を止めたりしている。
そうした遊びの店を抜けると、いよいよ飲食店である。店頭にフルーツを並べたジュース店もあれば、様々な具を並べて煮込んでいる店もある。歩いているうちにすえた臭いが鼻を刺激した。それが何の臭いであるかは確認に行かなくても理解している。臭豆腐(チュウドウフ)という、台湾では割とポピュラーな食べ物の臭いである。豆腐そのものを発酵させている訳ではなく、酸味の強い漬け汁から臭いが発生しているのだという。さすがに訪台初日でこの刺激的な料理に手を出せる勇気はない。
夜市では肉の入った丼ものとタロイモの団子が食べたいと思っていたが、行き交う人々の熱気と、初めての台湾での飲食とあって勝手が今一つわからず、気持ちは後退していくばかりである。日本時間で16時台に機内食を食べてしまったこともあり、夕食時だというのに空腹感に乏しいこともある。
寧夏夜市は肉飯ものの店がさほど多くなく、インターネットで出口付近に美味しい店があるという情報を得ていたが、この日は存在しなかった。思案しているうちに時間だけが過ぎていく。入口に向かって引き返してみるが、結局何ひとつ買えないまま、遊戯ものの店の場所まで来てしまった。
考えてみれば、私はまだ台湾に来てから買い物らしいことをしていない。買ったものといえばICカードの悠遊卡(ヨウヨウカー)くらいであった。買い物への経験値を付けるため、私は夜市の道の端に立っているファミリーマートに向かった。夜市の道は商店街になっているので、屋台が並ぶ外側にも店舗が並んでいる。
喉が渇いていた。私は台灣啤酒(タイワンビージョウ)(台湾ビール)を一缶買ってみた。35元である。この緑色の缶の飲み物は台湾ではポピュラーなビールである。日本円に換算すると発泡酒並みの値段だが、台湾の人はあまり酒を飲まないので、夜市でビールを飲んでいる人は見かけない。店のメニューにもないのである。
ビールが温くならないうちに何か買ってみようと思い立った私は、人が並んでいない屋台の中から人の良さそうな青年のいる屋台の前に立った。牛肉を角切りにしたものを売っている。サイズは大中小とあり、私は店先に掲げられたメニューの小と書かれた部分を指して「シャオ(小)」と中国語で頼んだ。青年は小さく笑顔を作り、「スモールね」と答え、スパイスをどれにするかを訊ねてきた。メニューの写真を眺めてみる。赤いものは唐辛子だろう。私は四番と番号が振られた薄い茶色のスパイスを選択した。
寧夏夜市の入口の方にいる。夜市はいくつものテーブルと椅子が用意され、椅子のない店でテイクアウトで買った品を、ここで座って食することができるようになっている。テーブルの上にビールを置いて、焼きたての串の熱さを手で持て余しながら席に着き、ビールを飲みながら牛肉の角切りを食べた。写真で見たかぎり、もっともマイルドな味かと思われた四番のスパイスは想像よりもずっと辛く刺激的だった。ビールのやや薄味な風味がよきバランスとなっているのは偶然である。
結局、初めての台湾夜市で買ったのはこの牛肉の角切りだけに終わり、不完全燃焼のまま私はホテルまでの帰路に就いている。スモールサイズを買ったつもりだが、思いのほか腹は満たされた気がする。だが夕食としては少々物足りなくもある。値段も100元だったから懐も全然痛んでいない。だが、どこかの店に入る気力は萎えつつあった。雰囲気に飲まれた状態で私は夜風を浴びながら大通りを歩いた。コンビニエンスストアで夜食を買おう。ホテルの予約サイトの説明文に確か、セブンイレブンがすぐ近くにあると記載されてあった気がする。
ホテルの前まで来た私はセブンイレブンがありそうな方向を探した。その時、「おでん」という立て看板が視線に飛び込んできた。出かける時は気づかなかったが、ホテルの向かいに飲食店があったのだ。
「おでん」
予期せぬ場所で遭遇した日本語に、思わず単語が独り言となって口を衝いた。
「おでんあるよ」
店先に一人のおじさんが涼んでいた。日本語で声を掛けられたことへの困惑はあったが、ここで夜食を食べてもいいと思えた。
「ウチは居酒屋だからおでんだけという訳にはいかないけど」
「酒もお願いします」
私は言いながら入口に向かっていた。
「生ビールでいいね」
店主はカウンターに招きながら飲み物の注文を取り、おすすめを説明した。マッシュルームとネキ巻の串焼きをそれぞれと、きびなごの揚げ物を注文した。
「どこから来たの?」
「日本です」
それはわかるよと店主は苦笑いした。神奈川県からだと答えた私に、自分は横浜出身だと店主は答え、店内に居たただ一人の客は相模原だと教えてくれた。ここは日本人向けの居酒屋なのであった。中山はホテルの多いエリアであり、そういう需要もあるのだろう。
ひとしきり日本の話題を語り、午後10時となったところで店を出た。初めての台湾に戸惑う夜に、日本人が経営する店に偶然入ることが出来たのは幸運だったかもしれない。
ホテルの部屋に戻り、シャワーを浴び、椅子に座って落ち着きながら明日の予定を思案した。今回の旅は各日の宿泊地は決まっているが、昼間は大体の行程しか決めていない。私の目的は台鉄こと台湾鉄路管理局の全路線に乗ることだから、効率よく乗っていくことが大切である。台湾島の面積は九州と同じくらいの規模で、鉄道網も日本のJRと比べたらシンプルだが、効率よく鉄道の旅をしようと思うと、なかなか手強いものとなっている。幹線から分岐するローカル線はいずれも行き止まりの線形で、終点まで乗ったら起点まで引き返す必要がある。列車の時刻をよく確認して、巧く乗っていかないと途中下車も捗らないだろう。
行程作りの参考にと、日本の書店で購入した台湾時刻表を持参していた。日本の鉄道ファン有志が制作した同人誌だが、誌面デザインは日本の時刻表に似せてあり使い勝手の良い一冊である。この時刻表を開き、明日の行程を大まかに立てた。明日はさっそく台湾のローカル線に乗る予定である。