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「イクメン」の理想と現実 ー 産後うつになった今、思うこと

「父親の育休」「イクメン」が当たり前になった世の中

最近では、「父親の育休」や「イクメン」という言葉が、
すっかり当たり前のものになってきた。

育児は夫婦共同で行うもの。
「家事も育児も平等に負担し合うことが理想」だと、多くの人が言う。

それは、理想論としては正しい。
しかし、現実はどうだろうか?

実際に育児に関わっていると、その理想の延長線上に、私のような「産後うつ」の症状を抱える父親が増えているのではないか と感じる。


「気づいたほうがやればいい」は破綻する

夫婦で育児を分担する際、
一番トラブルになるのは、「曖昧な役割分担」だ。

例えば、
「忙しいときは、気づいたほうがやっといて」

これは、一見すると柔軟でいいルール に思える。
しかし、実際には、これが破綻の元 になる。

なぜなら、「やった」というレベルや認識にズレがあるから だ。

どんな夫婦でも、価値観が 完璧に一致することはない。
「自分では十分やったつもり」でも、相手から見れば 「足りない」 ということが起こる。

これが、小さな不満の積み重なりとなり、いずれ爆発する。


「役割分担」を明確にすることで、余計なストレスを減らす

うちの場合は、なるべく「干渉しない」ように役割を分ける ことにした。

✅ 私の担当
🔹 トイレ掃除、お風呂掃除
🔹 朝・昼・晩の食事作り(妻が育児につきっきりで料理できないため)
🔹 お風呂に入れる

※ 料理に関しては、私は得意ではないので、「適当なものになるけどゴメン」とあらかじめ妻に伝えてある。
※ 土日は、私が子どもを見ている間に、妻が料理を作る

✅ 妻の担当
🔹 オムツ替え、ミルク
🔹 お風呂の着替え
🔹 寝かしつけ(タイミングによって私もやるが、基本的には妻)

こうしておくことで、「よっぽどのことがない限り、お互いのやり方に口を出さない」 ルールができた。
と言っても、ガチガチに決めたルールではなく、暗黙でそうなっているし、できない時は相談したり助け合っている。


それでも起こる「価値観のズレ」

役割分担を明確にしたとはいえ、
やはり 「育児のやり方の違い」 でトラブルが起こることはある。

例えば、ミルク作り

妻は几帳面で潔癖 だから、
🔹 毎回しっかり洗う
🔹 計量は正確に

一方、私は「まあ大体でいいや」と思ってしまう
🔹 多少粉の量が違っても大丈夫だろう
🔹 さっと洗えばOK

こういう 「価値観の違い」 が、どうしてもぶつかる。


「イクメン」というプレッシャーが、父親を追い詰める

最近の世の中では、
「育児に積極的に関わる父親」こそ素晴らしい という風潮がある。

「育児に参加しよう!」
「夫婦で家事・育児を平等に!」

それは間違ってはいない。
でも、そこにプレッシャーを感じる父親もいる。

「ちゃんと育児しなきゃ」
「もっと頑張らなきゃ」

そう思ってやっていても、価値観のズレで 「やり方が違う」 と指摘される。

そして、こういう考えが生まれてくる。

🔹 「あれ? もしかして、自分は必要ないんじゃ?」
🔹 「どうしたらいいのか分からない」
🔹 「家が怖い、妻が怖い」


「育児に関わること」が、父親の産後うつを生む?

昔の家庭では、
父親は仕事、母親は育児 という形が主流だった。

今は違う。

父親も育児に関わるのが当たり前になった。
でも、それによって、
「どう関わればいいのか分からない父親」 が増えているのではないか。

育児に関われば関わるほど、
妻のストレスをダイレクトに受け、
価値観のズレが露呈し、
「何をしても正解にならない」と感じる。

こうして、「イクメンを目指していた父親」が、気づけば産後うつになってしまう。


じゃあ、どうすればいい?

役割分担を明確にする
「気づいたほうがやる」ではなく、明確な担当を決める

お互いのやり方に過度に干渉しない
育児のやり方に正解はない。細かい違いを責めない

「イクメン」=完璧にやろうとしない
「できることをできる範囲でやる」くらいの気持ちを持つ


まとめ:「育児を一緒にやること」は大事。でも…

父親の育児参加は、間違いなく大切なこと だ。

でも、その中で、
「父親としての役割をどうすればいいのか」 という悩みが、
新たなストレスを生んでいるのも事実だ。

だからこそ、「イクメン」という言葉に縛られすぎず、夫婦でお互いに無理のない形を探すことが大事 だと思う。

「育児に関わること」は素晴らしい。
でも、それが原因で 「家が怖くなる」 というのは、本末転倒だ。

「完璧なイクメン」ではなく、「無理せず続けられる父親」 でいること。
それが、父親の産後うつを防ぐ一番の方法なのかもしれない。

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