谷川俊太郎さんがいなくなったら、日本の詩人は途絶えるのではないか、と友人が言った。
詩人を名乗る人はまだいくらか居て、たしかに新しい時代の詩は日夜生み出されているかもしれない。でも昭和の文学少女である私たちには、たとえば中原中也や石川啄木を思い浮かべるようには現代の詩人を思い浮かべることが難しく、もしかしたら詩人は絶滅危惧種なのではないだろうかという気がしてしまうのだ。
私の谷川俊太郎さんの詩との出会いは「ことばあそびうた」だった。父が子供たちのために買ったのだろう、物心ついたころには書棚にあって、毎日のように引っ張り出してきてはその詩を声に出して読んだ。私にとってそれは遊びだった。
ことばで遊ぶ、そんな簡単なことを私たちはしなくなった。初めは音で、次に想像力をもって、そして表現と格闘しながら。私たちはそうしてことばで遊んできたのではなかったか。大人になった私たちは、心の中の石ころを取り出してはことばにすることを覚えた。誰かに伝わるように、溶けて消えそうな何かを永遠にどどめておこうとするかのように。
私が好んで読むヨーロッパの文学作品の中では、登場人物がたとえば雨の街を詩を誦じながらそぞろ歩く、というような場面が時々出てくる。今、私たちにも人知れずそんな日常があったら、カラカラな日々というものが少ししっとりするのではないかと思わずにいられない。
そんなことを考えていたら谷川俊太郎さんの訃報が飛び込んできた。穏やかにひっそりと世を去っていったそうだ。衝撃とともに、これは、私たちは、詩を書かねばなるまいよ、そう思った。上述の友人と、詩の往復書簡でも始めようと話していた矢先だ。
だから詩のお手紙を書き始める。呼び水として好きな詩を紹介するところから。もう決めていたから俊太郎さんはまたいつか。白ヤギさんからお返事くるかな。
ご存知のとおりここしばらくの間、ずっと死というものについて考えていたのだけどね、その傍らでずいぶんと昔に出会ったこの詩を思い出していました。
詩のような音楽を奏でるこの人の詩を送ります。
あなたには訳は必要ないと思うけど、五木寛之さんのことばを借りれば「創訳」とでもいいますか。私はこう受け止めたとでもいいますか。