ピート・シェリー/ルイ・シェリー『ever fallen in love-the lost Buzzcocks tapes』(12)
オートノミー
Autonomy
「アイ・ドント・マインド」のB面
ソングライター:スティーヴ・ディグル
これがバンドでとり上げられた最初のスティーヴのオリジナル曲、そして当時彼唯一のオリジナル曲?
まあ、「ファスト・カーズ」を共作してもいるけどね。ハワードが脱ける前にはでき上がってたよ。エンディングのソロは僕のアイデアだ。
ちょっとしたデュエットになってます。
掛け合いだね。僕は「受け」の方。
トニー・ウィルソン、ジョー・ストラマー、二人のお気に入りだったんですよ。
ジョー・ストラマーから聞いたの?それともスティーヴの本を読んだの?〔笑い〕
ライヴではずっと定番です。
この曲のノリが好きだな。『ウィリアム・テル序曲』を思い出すよ。リズムが似てるからね。
ラッセル・クラブでのファクトリー主催の夜会はあの当時に催されるようになりましたけど、ハワードは『24 Hour Party People』の、あのクラブのシーンで見事な演技を見せました。[1]あなたに出演依頼はなかったんですか?
監督のマイケル・ウィンターボトムから端役ででませんかって手紙で打診されたけど、断ったよ。どんな役だったかは憶えてないな。
この頃はティラー・ボーイズThe Tiller Boysのメンバーとしても活動してますね。その初ライヴは第一回目のファクトリー夜会用に制作された、夜会の象徴ともいえるポスターでも告知されてますけど、ライヴは夜会が終わった後にようやく、だったんですよね。
イベント優先だったからね!ティラー・ボーイズは僕とエリック・ランドム、フランシス・クックソンがメンバーで僕らは音楽的嗜好が合ったんだ。エリック・ランドムは元々バズコックスのローディで、フランシスとは1977年5月13日、ウェリントンにあるパル・ホールでのバズコックスのライヴで出会ったんだ。彼は学生で、マンチェスターのラフターズでよく見かけてたんだ。
ティラー・ボーイズは、ニュー・ホルモンズが運営していたビーチ・クラブというナイト・クラブで結成された一夜限定のユニットだった。マンチェスター出身のダンスユニットでティラー・ガールズthe Tiller girlsっていうのがいて、そこからティラー・ボーイズと名付けたわけさ。
キャロルっていう女の娘がいて彼女はストレトフォードにあった公営住宅に住んでいたから、僕らはよくマンチェスターのレンチthe Ranch(訳注:ピザ屋)に寄ってから彼女の家に泊まりに行った(当時僕はレーに住んでいて、夜外出してからレーに戻るには、ちょっと距離がありすぎたんだ)。もう一人、フラン・テイラーって男がいて、エレクトリック・サーカスでよく見かけていて、僕らのローディになった。
キャロルが公営住宅を引き払ったんで、僕ら四人、僕にキャロル、フランシスとフランはゴートン[2]に家を借りることにした。家賃は週に14ポンド。二年半住んだ。エリックがちょくちょく家にやってきて、やがて僕らは音楽をつくるようになり、じゃあバンドをやろうという話になった。バズッコクスはこの頃にはトップ・クラスの大きいライヴ・ハウスや劇場で演奏するようになっていた。僕ら四人はトニー・ウィルソンとよしみを通じるようになった。トニーはよくゴートンの辺りに来ていて、ファクトリー・クラブがオープンするって言ったんで、ならそこのステージに立たせてくれ!って頼んだんだよ。ファクトリー・クラブにはミニ・ポップスというドラム・マシーンがあって、僕らにはたくさんのテープ・レコーダーがあった。ゆくゆくはこれがグルーヴィー・レコーズの元手になるんだ。僕はギター、エリックもギター、フランシスは主にドラムとテープ・ループをやった。当日は会場のイスを全部、ステージとフロアの間にうず高く積み上げたもんだから、客はステージを見れなくなっちゃって僕らはヒンシュクを買ったよ。だからリチャード・ブーンに「演奏中」と書いたA4サイズの紙をイスに貼らせておいた。そうしておいて大量のノイズをまき散らしてやった。
僕はテープ・レコーダーを操作し、つぎはぎしたテープを流し続けた。終わる毎に巻き戻してはテープを「演奏」し続けた。バーでドリンクを注文してるとハワードが言ってきた。「ステージにいたんじゃなかったのか!」って。ちょっとした試みだったわけさ。「実験的な」道具を使ったインストだった。ヴォーカルは全くなしだった。
後に僕らはスタジオに入ってEPを作った。『Big in the Jungle』というタイトルだった。
そういった活動とバズコックスとの活動は、どうやって調整していたんですか?
そう。僕らは年がら年中ツアーをしたりスタジオにいるってことはなかった。思い返してみると、テレビは夜中にはやってなかったから中途半端に時間が余っちゃって。バンド練習には充分じゃない時間だったんだよ!じゃあ余興でもってなるさ!
「オートノミー」をライヴで演るとき、別の歌詞を歌ってるんだって判ってるんですよ。
そうなのかい?
いつも同じところで客の一人と目を合わせて、歌うんですよ。「僕は‥僕は君が欲しいんだ‥僕の上に乗っかっている君がon top of me」
そうさ。僕とスティーヴでやるジョークさ。いつもやってるよ!
[1] 『24 Hour Party People』 ファクトリー・レコーズ近辺を舞台にした、マンチェスターの音楽的交流をテーマとするコメディー映画。(コメディアンのスティーヴ・クーガン演じる)トニー・ウィルソンは(トニーいわく)「ライトバンの後部座席で盗人にフェラチオ行為に勤しむ」妻リンジーに振り回される。リンジーはトイレで「ハワード」に情交される仕返しを喰らう。本物のハワード・デヴォートは配管工の役で洗面器の清掃をしていて叫ぶ。「何が起こってるのか判らん!」当然、映画で描かれていることは殆んどがフィクションである。確実なことはトイレのシーンがジリーズ・ロックワールドで収録されたことである(あそこのトイレは綺麗とは言い難かった)。
[2] ゴートンGortonは街の東側に位置し、七十年代は明らかにみすぼらしく、学生や創作関係者に愛惜された南部地域よりはるかに魅力に欠ける土地であった。