見出し画像

弾けないけどな・・・・ギブソン・レスポール・ジュニア・プレイヤー考

 ロックを聴くようになってから、中断の時期も長くあったが40年あまり。バンドの中でギターを弾く人への憧れは常にあった。とりわけギブソンのレスポール・ジュニアを弾いている人に。ちなみに私の初恋のギターはSGであり[1]、こちらも大好きであるのだが、ことロックやパンクのくくりで言うと、断然ジュニアでないとサマにならんわなあという固定観念から未だに逃れられないでいる。いけないことなのだろうが、19歳の時からこういう思考に定まってしまっていて、改める気はてんでないのである。
 何故なのか考えてみたら、やはり基本はこの人なのである。最初の取っ掛かりはストーンズのキースだったが、それは雑誌でたまたま見た写真であって、音楽はそこに絡んではいない。ビジュアル・プラス・音で言うと、つまり決定的に影響を与えた人となると―


このジュニアを、ディー・ディー・ラモーンはぶっ壊したのか・・・・。

 彼こそが私にとっての№1レスポール・ジュニア・プレイヤーとなる。ジョニー・サンダース。いまさら説明不要なロックンロール・アイコンである。彼のバンド、ハートブレイカーズのレコード・ジャケットに載っていたジュニアを弾く姿に一発でほれ込んでしまったのである。私にとってのギター~ギタリストの、たぶん一番大きな根っこはここなのだろう。もちろん、ジョニーに出会う前から好きで聴いていたバンドなりアーティストはいたけれども、それはギターだけでなくバンド全体の音なり歌なりの、総合的な意味で好きであったわけで、ことギター~ギタリストに特化して言うと、根っこにあるのはジョニー・サンダース、より厳密にはハートブレイカーズ時代のジョニー・サンダースになるのである。しかしである。もし、ジョニー・サンダースがハートブレイカーズでジュニアを使っておらず、例えばフェンダーのストラトなんかを使っていたら?てんでピンとこない。ストラトを弾くジョニー・・・・ありえねえよなあ。残された写真でレスポールのスタンダードを持つジョニーを見たことがあるけれども、これも違和感がある。ニュー・ヨーク・ドールズのセカンド・アルバムではレスポール・スペシャルを持っているが、スタンダードよりはいいが、やはり違うのだ。私にとってのジョニー・サンダースは圧倒的にジュニアを弾く人なのである。


   1984年の、ハートブレイカーズ再結成のライヴから。このよれよれ具合。興味のない人が見たら、何だこりゃ、お粗末な演奏だと笑うだろうが、私にとってはこれもオツである。やはりジョニーにはジュニアが似合う。

 ジョニーには、性的な匂いが、肉感的生理的な匂いが漂ってこない。中性的であり、下手な生臭さが全く漂ってこない。それゆえに死して30数年がたった今でも、残された写真や映像には透明感と儚さがある。それが時間の経過による彼へのイメージが風化するのを、断固拒否する。かつて渋谷陽一氏が述べておられたように、「人間の情緒を最もダイレクトに表現できる機能を持って」いながら、「肉声ほどの生々しさはなく、もっと微妙な抽象化能力を持っている」、「サックスほど肉声に近くなく、キーボードほどドライでないという、まさに理想的な位置に」[2]いる楽器であるギターを、彼が選択したのは象徴的であったと言えよう。
 ジョニー・サンダースの、ジュニアを持った佇まいにほれ込んでしまった私は、以来、ジュニアを持つ他の人間を、否応なく意識することになった。当然だが、あくまでも私の規範の中で、「かっこいい」プレイをする人を、である。ところが案外いないのだ。自分の好きなギタリストでジュニアを積極的に使っている―あるいはいた―人が。パンク人脈の中にはそれなりにいるだろうと思っていたが、これまたいない。いや少ないのだ。人気ある機種じゃなかったのか。やはり同じレスポールでもスタンダードやカスタムよりは、という事なのか。それともたまたまか。私の聴く音楽のテリトリーが極端に狭いのも理由の1つとしてあるのだろう。
 そんな中で挙げていくと、まず、レズリー・ウェスト。まあ、ルックスは・・・・だし、聴いたのはマウンテン時代だけだが、飛び出してくるギターの音はかっけーの一言だ。「ミシシッピー・クイーン」なんて今更ベタだが、やはり名曲だし、あのギターのフレーズ、音は歴史に残るだろう。[3] 映像を貼り付けようかとも思ったが、この人は有名だし、その気になればいくらでも映像は見つかるだろう・・・・と、投げやりになってしまうが、今回はパンク系にフォーカスしたいからである。ではなぜわざわざ、と訝しむ向きには、注[3]をという事で。 
 他に同時代の人としては、スティーヴ・マリオットも一時期ジュニアを使っているようだが、具体的にどの時期で、どの作品なのかは判然としない。『ロッキン・ザ・フィルモア』では、写真を見る限りエピフォンのコロネットだと思うから本稿では該当しない。こちらもレズリー・ウェスト同様に映像はなし、と乱暴に割り切る。
 さて、では本稿で積極的に扱うつもりのパンク時代の人にフォーカスすると、2人しか思いつかなかった。その2人とは―ちなみに早々にばらしてしまうが、クラッシュのミック・ジョーンズではない。クラッシュのデビュー時、確かにミック・ジョーンズはジュニアを使用していたし、その音は確かにジュニアの音なのだが、今の私はめったにクラッシュを聴かなくなっており、思い入れもない。こんなことを言うと、クラッシュのファンやパンク原理主義者からは反感を買うだろうが、私の指向なのだから仕方ない。反感を持つ人は、こんな雑文は相手にしないであろうから、気にせず進む。

 

スティーヴ・ディグルはジョニー・サンダースを意識してこのギターを手に入れたのだ‥‥と、勝手に記しておこう!

  1人目は、バズコックスのスティーヴ・ディグルである。『シングルズ・ゴーイング・ステディ』のジャケットで彼が抱えているギターを見て、「わかっているなあ」と思ってしまうのは、私だけであろうか。バズコックスの専売特許とも言いうる電気のこぎりbuzz-sawギターの確立に、ジュニアが果たした役割は非常に大きい。あのギザギザした、それでいてウェットになり過ぎないトーン。ジュニアならではの特性が見事に発揮されたプレイをスティーヴ・ディグルはしている。最初の解散間際、81年のドイツでのライヴでも、しっかりとジュニアを弾いていた。最近はフェンダーのテレキャスターを専ら使っていて、ちょっと残念だが。

 

    このギターで曲は「ボーダム」である。言うことないじゃないか。この頃のディグルは今よりもヴォーカルに専念する機会が少ないゆえか、よりギターを丁寧に弾いていると思う。このライヴは全曲貼り付けたいほどの出来栄えで、解散間際のささくれだったメンバーの心情がプラスに働いていて何度でも観てしまうのだが、あえて「ボーダム」だけにしておく。


70年代の半ば、イギリスでこのギターはいくらで売られていたのだろうか。

  もう1人は、先だって散々述べた999、そのリード・ギター、ガイ・デイズである。私が999の1stアルバムを買おうと決めた最後の決め手は、裏ジャケットにガイ・デイズがジュニアを抱えて立っている写真が使われていたからである。デイズの弾く姿は実にクールである。70年代パンクのギタリストで、これほどカッコよくギターを弾ける人は、ちょっと見当たらない。[4]もちろん見かけだけではない。そのプレイも、サウンドメイクも、上手いの二乗。デイズのジュニアは、よりメタリックなトーンだが、これもジュニアならではである。999のバンドサウンドは、バズコックスのように一聴して「ああ、奴等だ」と判るだけのインパクトには欠けるが、キャリアを積んだだけのことはある、腰の据わった演奏を展開する。

 

 

  「ジ・オールド・グレイ・ホイッスル・テスト」出演時のもの。ここで演奏した「ホムサイド」の歌詞がBBCの検閲に引っ掛かり、バンドはBBCに出入り禁止、曲も放送禁止になったという、いわくつきの演奏である。[5][6]しかしこれだけ動きながら、プレイに乱れが全くない。さすがである。このライヴではもう1曲「レッツ・フェイス・イット」を演奏していて、これも気合が入った内容である。
 私が好きで、気合を入れて聴いてきた人の愛器は、例えばウィルコ・ジョンソンはテレキャスターだし、ミック・テイラー―ストーンズのギターだった人ね―はSGに(レスポール)スタンダードだし、ピーター・グリーンもスタンダード、ジョニー・ウィンターはファイア-バード、ザ・フーのピート・タウンゼンドはSGのスペシャルだった。ダムドのブライアン・ジェイムスにキャプテン・センシブルはSGのスタンダードで、ローズ以降のブライアンはテレキャス・・・・。レスポール・ジュニアって、知名度はあるがマイノリティなギターなのかもしれない。[7]



[1] 中2の頃だったと思うが、ビートルズの「ペーパーバック・ライター」のヴィデオ撮影中のジョージ・ハリスンが、赤のSGスタンダードを持っているのを見たのがきっかけである。

[2] 渋谷陽一『ロックは語れない』、新潮文庫、1986年、198ページ。

[3] ダムドの「ニュー・ローズ」のイントロだが、ごく最初期のアレンジが、もろに「ミシシッピー・クイーン」である。ダムド最初のライヴを収めた音源―YouTubeで簡単に視聴できる―で確認できる。このことは、パンクが決して60年代ロックを全否定しているのではないことへの証左になるだろう。

[4] ヴォーカル兼ギターなら、オンリー・ワンズのピーター・ペレットが一番である―個人的な見解である。

[5] ピート・シェリーも自己のソロ曲が同性愛的であるとして放送禁止になり、今に到るまで解決していないと聞く。

[6] バズコックスはジョン・ピール・セッションやトップ・オブ・ザ・ポップスなど、BBCの複数の番組に幾度も出演しているが、999はジョン・ピール・セッションには78年に1回きりの出演であり、トップ・オブ・ザポップスには一度も出演していない。BBCへの出入り禁止、そして放送禁止が、999の活動をアメリカ中心にした、おそらく最大の原因であったと思われる。

[7] レスポール・ジュニアはチューニングが合わせにくい、ノイズが多いなどが、扱いづらいイメージにつながっているのだろうか―くりかえすが、あくまでも素人の戯言である。