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「見えざる手」とは―アダム・スミス『国富論』①

本来ならアダム・スミス生誕300年に当たる昨年(2023年)に取り上げるべきトピックであったと思うのだが、私の思考がまるで整理されず、今日までずれ込んでしまった。ちなみに『国富論』は1776年3月9日公刊とされているから、出版250年まで、あと2年弱である。さすがにそのときまで待っていると、投稿する意欲がなくなってしまいそうだから、今回こうして公にするのである。
 その『国富論』が、いたるところの行論に矛盾を生じ、ときに破綻を示していることは、古今東西の経済学史研究者、経済学者の中でさんざん言われてきた。しかしそういう経済学史の専門知識に乏しい私には、いちいち誰がどういう批判をしたとか検証することなど、とうてい無理である。だいいちそんなことをする意欲はまるでわかない。それよりも『国富論』の内容そのものを味わうことを優先したい。なに?素人の戯言だと?内田義彦も言っているではないか。素人の目を大事にせよと。
 今、矛盾に破綻と述べたけれども、人間というものはその行動に矛盾と破綻を常にきたす存在である。一部の隙もなくうまくやりおおせる人間などそうはいない。いや、人によってこれは完璧だと声を上げる対象はあるのだろうが、万人がそう認めえるものなどない。そして完璧とされているものは、永続はしない。必ずほころびが生じ、いびつなもの不完全なものと化す。それに、完璧とされるものは飽きられる。それが人間行動の常である。
 前にも記したけれども、人は不完全なものやいびつなものに惹かれるものである。不完全なものには、人のイマジネーションを入り込ませる余地がある。共感—道徳感情の理論!—を与えてくれるのである。そんなの逃避であり自慰行為だよとそしる人もいるだろう。だが人間は弱いのである。いびつだらけなのである。逃避の部分を設けていないとやりきれなくなるものだ。そして弱い部分を持っているからこそ、人間は守ってもらおうと法を作り、統治機能を作り、ひいては安定した暮らしを得ようと経済を考えるようになったのだ。人間は自らを弱き者と自覚していたからこそ、今日の隆盛—この文言についてはいろいろと異論も出るであろうが、今回は触れないでおく―を築くことができたのである。
 脱線してしまった。『国富論』の、その論理の矛盾に破綻、いびつさに凸凹したところに、さらにはあっちこっちに脱線するところに、今の私は惹かれる。こんなことを言うとスミス研究者でない奴からはなにを生意気なと、再びおしかりを受けるに違いないが、その、凸凹ぷりに私は『国富論』~スミスの、人間的なぬくもりを感じてしまう。杓子行事なグラフに数式、抽象的にすぎるカサカサに干からびた、退屈きわまりない議論をてんこ盛りにした現今の経済学の本からは、まず見出しえない人間の体温、喜怒哀楽の表情を描き出していることを、見出すことができる。だからこそ、公刊からほぼ250年を経てもなお、広範な読者によって読み継がれているともいえるだろう。
 そんな『国富論』を、一介の素人ではあるが、40年近く断続的に読み親しんできた。これを機会に『国富論』について勝手気ままに書き散らしてみたくなった。自分なりに熟成させてきた意見を、中間報告としてまとめたくもなった。もとより本稿は専門の経済学史論文とはかりそめにも言えない。文字通り穴だらけの雑文である。学史研究者からは笑われ、歯牙にもかけられぬ内容であろう。だが素人だからと言って、ほれ引っ込んでいろ、はいわかりましたそれっきり、なのは芸がない。素人にだって発言の場はあっていい。どこまでうまくいくか分からぬが、ここで躊躇していてはつまらない。
 今回取り上げたいのは、「見えざる手invisible hand」である。アダム・スミス『国富論』と聞くと、まず金科玉条のように出てくる文言が「見えざる手」ではなかろうか。そして「自由主義」という文言がセットになって、スミス~『国富論』のイメージを漠然と形作させているのではないか。
 意外なことに、世間一般では有名な「見えざる手」は『国富論』中、一か所しか登場しない。『国富論』全5編の中でも後半、第4編第1章の中にひっそりと置かれている。

「・・・・かれは、他の多くの場合と同じく、この場合にも、見えざる手に導かれて、自分では意図してもいなかった一目的を促進することになる。かれがこの目的をまったく意図していなかったということは、その社会にとって、かれがこれを意図していなかった場合に比べて、かならずしも悪いことではない。社会の利益を増進しようと思い込んでいる場合よりも、自分自身の利益を追求するほうが、はるかに有効に社会の利益を増進することがしばしばある。社会のためにやるのだと称して商売をしている徒輩が、社会の福祉を真に増進したというような話は、いまだかつて聞いたことがない」[1]

 私自身はというと、大学時代に『国富論』に接し、「見えざる手」の文言を見出した時、どうにも釈然としないものが残った。見えざる手?人間にはどうすることもできない力ってこと?そんなもんを経済分析に持ち込んでいいのか?まるでどこかの宗教じゃないか。それに見えざる手って、頭の中で描いただけの、文字通り目に見えない、触れることのできない、あやふやな、抽象的な概念だ。これでもって社会の実相などとらえることはできないだろう(これを俗に演繹的思考という)。真の科学的行為とは、実際にこの世にあって五感でとらえることのできる具体的な対象・データをもとになされるものでなければならないはずだ(こちらは帰納法的思考という)[2]―このステイトメントこそが近代社会の生誕を画したのであり、スミスはこの近代社会(的思考)の到来を世に知らしめた、その最大級の貢献者であったはずなのに―もちろんスミスだけが、その貢献者であったわけではない―、そんなスミスが、「見えざる手」などといういい加減な(!)概念を持ち出してくるとは・・・・。この煮え切らない感情はずっと私の中で残り続け、自分なりに「見えざる手」への意見を有するようになったのは、ここ数年のことである。
 「見えざる手」は、『国富論』全5編の行論において相いれない概念である。『国富論』全編で述べられることそのものすべてが、実は「見えざる手」を否定するのである。経済・社会活動~人間の行動全般において「見えざる手」の介入は、一切許されない。そこには必ず人間の意図が介入してくる。人知の及ばぬこと、つまり人間の意図が存在しないこと、人間のあずかり知らぬこと、かかわりのないこと、は経済・社会活動においてはあり得ないのである。そもそも、人間が意図して行う行為が経済・社会活動である、という前提がなければ、経済・社会を論ずることはできない。だから見えざる手という、人間の意図が入り込めないとされる概念を持ち出された刹那、議論は破綻する。『国富論』は、人間の意図した行為を分析した書である。だから人知の及ばない「見えざる手」が入り込める余地はない。先の引用文を、より整合性のある文章に鋳直すならば、「かれにとって意図していないことであっても、別の人にとってそれは意図したことなのであって、すべては人間の意図した(たくさんの種類の)行為の結果生じる現象が、総じて社会の利益を増進することに連なる」、となるのではなかろうか。
 もちろん、経済・社会には、ときには誰にとっても予測不可能な現象がしばしばおこるが、それにしたところが経済・社会活動は人間が起こすものなのであって、人知の及ばぬもの、すなわち「見えざる手」によるもの、ではないことに変わりはない。様々な人間の意図する行為、その行為を生み出す人間の感情が寄り集まった中からつくりだされるものが、経済・社会活動なのである。そうであるから、経済が、社会があるところ、人知は必ず及んでいるのである。大塚久雄は『社会科学の方法』の中で、群衆がいったん雪崩を打って動き出すと、その中にいる一人一人の人間の思惑ではどうにもならず、予期しなかった方向に流されていくしかないというたとえを出し、そういった個人のそれぞれに異なった思惑を持った人々が集まるとあらぬ方向に人々を、ひいては社会を動かすと―場合によっては望まぬ、あるいはよからぬ方向に行くこともあるがと―述べているが、これはスミスの言う「見えざる手」の、格好の具体例たりうると同時に、人間のいるところ、つまり経済・社会があるところ、人間の意図は、その意図する内容は人それぞれ異なるにしても必ずあり、経済・社会が巨大化してその動きは個人の考え及ばぬ領域にまで達するとしても、それは決して人知の及ばぬことを意味するものではないという、スミスが気づくことのなかった部分をも、知らしめてくれる。[3]
 なぜ、スミスは「見えざる手」を持ち出してきたのだろうか。それはスミスといえども時代の制約からは逃れられないということを端的に示すものである。彼が近代社会の到来を知らしめたのは事実ではあっても、己の身すべてを近代社会の中に浸していた中から、かのステイトメントを発したわけではない。彼が生きた18世紀ヨーロッパは近代と近代以前の、両方のエレメントが混在し、近代と近代以前の区分けが明確にされえない混とんとした状況下にあった。「見えざる手」とは、近代以前という、消え去りつつあるマギー―というか、端的に迷信としてもよいであろうか―[4]を、彼の口吻でもってあらわした概念といってよい。だからこそ、近代社会を描こうとした『国富論』の中では存在できない概念なのであり、これを使ってしまったのはスミスの中で、近代と近代以前の様々なエレメントが完全に整理されえないまま混在していた証左なのである。
 だが、この精緻とはいえない、整合性に欠ける行論が、人間の経済・社会活動の多面性と不確実性を見事にとらえていることを、いやむしろ、このことの方に、私は深い感銘をおぼえる。一人一人の人間にとって、想定外の出来事、納得できない仕打ちは常に起こりうる。いかにして相手から有り金をふんだくってやろうかと企む奴がいたと思うと、俺のモノは誰にも渡さぬと相手を拒絶し逃亡する者もいる。ろくに働きもしないくせにお上からたんまり施しを得てふんぞり返っているクズもいる。人間は自己愛self- loveに基づいて思考し行動する自分勝手な生き物である。それでも社会は存続し動く。一人一人の人間の、ときにしようもない行為を、行為を生み出す感情を、エナジーにして容赦なく呑み込んで、社会は動いていくのである。それらはすべて、一人一人の人間の意志によってつかさどられている。そのさまを凸凹しながらもときに冷徹に、ときにユーモアを交えて全5編、私が所有している中公文庫版なら3巻本にして計1170ページ[5]を費やして描いているからこそ―文庫版には多くの図版や脚注、さらには原著各版の異同[6]や翻訳史についての小論が付されているからこれだけのページ数になったのだが―、『国富論』は恒常的な鮮度を保っているといえる。経済学の生誕を高らかに宣言した『国富論』は同時に、人間群像を活写した絵巻でもあるのだ。
 アダム・スミスというと自由主義思想の伝道者であり、他者からの干渉は一切されない経済活動—他者には政府も含まれる―を奨励している、そこに漂うのは楽観的な人間像であり社会像である、と一般的にはされている。私も読み始めたばかりのころは、そういう言説を盲目的に受け入れていた。ところが『国富論』を読み返していくうちに、はるかに複雑で、多面的なスミス氏[7]の姿が浮かび上がってきたのである。これについては稿を改めて、次回に取り上げることとしたい。



[1] アダム・スミス、大河内一男監訳『国富論』Ⅱ、中公文庫、1978年、120ページ。

[2] ただ、スミスは帰納法的思考を全面的に肯定していたわけではなかった。帰納法的思考を象徴する学問である政治算術について、「私は政治算術をあまり信用していない」(スミス『国富論』Ⅱ、250ページ)とそっけなく述べた文言にそれが表れているのだが、本稿のテーマとずれるので、これ以上は触れないでおく。

[3] 大塚久雄『社会科学の方法』(『大塚久著作集』—以下、『著作集』と略—第9巻、岩波書店、1969年、所収)、14-15ページ、参照。ただし、大塚の文章はスミス~「見えざる手」をテーマとしているわけではないが。

[4] この表現については、大塚久雄「魔術からの解放」(『著作集』第8巻、所収)、参照。

[5] 私の本は3冊とも1986~87年に発行されたものである。

[6] 『国富論』はスミスの生前、第5版まで出され、それゆえ『国富論』の原著決定版は第5版とされてきた。我が国での翻訳も第5版を底本にして行われるのが基本とされてきた。だが2007年に公刊された日本経済新聞出版社版(山岡洋一訳)は、スミスの死の翌年(1791年)に登場した第6版を底本にしているのが注目される。最近のスミス研究では、この第6版の校訂もスミス自身が行っている可能性が示唆されている(アダム・スミス、水田洋監訳、杉山忠平訳『国富論』1、岩波文庫、2000年、5ページ、参照)。

[7] スミスは肩書が嫌いだったらしく、『道徳感情論』の著者名には単に「アダム・スミス」とだけ記すよう出版社に要求している(田添京二「『国富論』各版の異動について」、スミス『国富論』Ⅲ、所収、446ページ、参照)。実際、それを裏付けるスミス自筆の書簡が現存している(田中秀夫+坂本達哉編『イギリス思想家書簡集 アダム・スミス』、名古屋大学出版会、2022年、180ページ、参照)。しかし『国富論』の扉には恭しく、その肩書が付されることになった。いわく「法学博士、ロンドンならびにエディンバラ王立協会員、スコットランド関税監督官、元グラスゴー大学道徳哲学授」・・・・いやはや長ったらしい。これを見たスミスはどう思ったのであろうか。