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『ジョンの魂』はパンク・ロック・アルバムである

   表題の一言で充分だと思ってしまう。が、それでは芸がないし別の機会にも触れたように、あまりに素っ気ないと誤解を招くことが大いにありうる。ということで数語を費やすことにする。いやしかし、ジョン・レノンである。怖いよなと思う。ビートルズは(とりあえず)全曲レコードを集めて聴いたけれど、ソロまではロクに聴いていないのだ。なんせすごい作品の数だろう四人集めると。ポールなんてウィングスを含めると何枚アルバム出してるのよってことになるし、リンゴなんてここのところ毎年のように新作出しているようだし、ジョージはあの三枚組なあ、ちょっとしんどいわなあ、とか何とか言って、数えるほどしか(否、数えるほども)聴いていない。そんな私にはまともに語れやしないのだけれど、でも、『ジョンの魂』には思い入れがあるのだ。但し、これは私の勝手なホザキである。人それぞれの『ジョンの魂』があるであろう。あくまでも私の『ジョンの魂』観である。
 今、『ジョンの魂』をCDで聴いている。2000年に出たヴァージョンである。本当はレコードで聴きたいのだけれど、針飛び起こしまくりで使用不能になってしまっているので仕方ない。このCDはボートラが2曲入っていて、今となれば貴重なのかもしれないが、私には蛇足だ。『ジョンの魂』にはボートラは不要である。あの11曲で完璧な世界を創っているのだ、余計なマテリアルは入れてほしくはなかったというところだ。まあ買ったときは、お、得した、と思ったけれど、今となってはそういう気分なのである。
 『ジョンの魂』は15歳の秋、初めて聴いた。ビートルズを全曲聴いた後、ドアーズにハマる、その間隙に聴いた。なぜあの時期にビートルズの他のメンバーではなく、ジョンの、それも皆が良く知っている『イマジン』ではなく『ジョンの魂』であったのだろう。まだ彼が亡くなった時の記憶が生々しく残っていたからまずジョンを、ってなったのか。それもあるだろう。だがもっと本源的な感情がそうさせた、と言えばいいのであろうか。
 当時の私は家でも学校でも行き場が全くなくなっていた。本稿の主題から離れすぎてもいけないから詳しくは述べないが、毎日が苦しくってたまらなかった。救いを求めたくてもそんなものはどこにも見つからなかった。唯一の慰めはビートルズのレコードを聴くだけの、そんな日々だった。『ジョンの魂』を、「最初のビートルズのソロ」に選んだのは、そんな、ガキの直感だったのかもしれない。1983年。ミック・ジョーンズがクラッシュからクビになり、80年代初頭を彩ることになるデュラン・デュランにカルチャー・クラブが大当たりし、それでも70年代後半の残り香が僅かに残っているかな、という、個人的にはそんな時代であった。
 『ジョンの魂』は、よく衝撃的な、という表現で評価される。私にはそんな作品には感じられなかった。ただただ、感動したのである。何にか。歌詞が、恐ろしく簡単な英語ばかりであったのである。英語の成績がいつもクラスでドンケツのほうであった私でも、辞書を引きながら読めたのである。そして、その言葉は、私にやさしかった。たとえ四文字言葉を使っていても、ビートルズを信じないという言葉があっても、あくまでもやさしかったのだ。

God is a concept
By which we measure
Our pain
I’ll say it again
God is a concept
By which we measure
Our pain

神は、俺たちの苦痛を計る
ただの、ものさし
もう一回言うよ
神は、俺たちの苦痛を計る
ただの、ものさし

 アルバムから一曲選べとなったら、これを今は選ぶ。「ゴッド」である。神は苦痛を計るものさし、その後で、ジョンは自分の信じないものを次々と挙げていく。そして、俺はビートルズを信じない、信じるのは自分とヨーコだけと歌う。「これがほんとのことさ」と。15歳の秋、この言葉を知ったから、40年後の今に到るまで、私は宗教にのめり込まず、特定のイデオロギーに対し懐疑の姿勢を保つことができた。「全ては疑いうる」これはマルクスの有名な言葉だが、マルクスに出会う前に、私はジョン・レノンの言葉と出会っていたのだ。

When you’re by yourself
And there’s nothing no-one else
You just tell yourself
To hold on

お前が独りきりで
誰もいない時
自分に言うんだ
しっかりやれと

 歌詞も簡潔だが、音も呼応するかのように簡素だ。ジョンの歌とギター/ピアノの他は基本ベースとドラム(はい、リンゴ・スターです)だけ。夾雑物一切なしの、純粋な言葉と音だけのアルバムだ。「ロックとしての表現の質は、へばりついた贅肉を削ぎ落とし、本質だけ、必要最低限の核だけをいかに効果的に提示できるか=いかにスリムにしていくか、ということにかかっている」(小野島大「ドクター・フィールグッド パンクへの導火線となった飾り気ない音作り」⦅『レコード・コレクターズ』1990年3月号、所収⦆、34ページ)この、ドクター・フィールグッドを評した言葉はそのまま『ジョンの魂』にも当てはまるであろう。そして、このシンプルネスはパンクの重要な方法論の1つであったことに思いを致すとき、『ジョンの魂』はパンクたりえると思うのだ。
 さらに、私にとってパンクたりうる規範として、自分の内なる感情を恥部も含めて思いっきりさらけ出す音楽、と別の機会に述べたが、『ジョンの魂』は完璧にその要求にこたえている。ゆえに、私にとって『ジョンの魂』はパンク・ロック・アルバムなのである。こんなことを言ったらパンク原理主義者はせせら笑うであろうか。ビートルズ~ジョン・レノンのファンは眉を顰めるだろうか。
 もう一言。「ゴッド」へのアンサー・ソングとして、バズコックス(ピート・シェリー)の「アイ・ビリーヴ」がある、と勝手に私は考えている。ピートが「ゴッド」を意識して「アイ・ビリーヴ」を作曲したことを裏付ける資料はない。個人的な推測にしか過ぎないが、両者の曲の構成は酷似しているし、作者の内なる感情~苦悩をそのままさらけ出しながらも音楽として昇華しえたところに、「ゴッド」が70年代最初の年に、「アイ・ビリーヴ」が70年代最後の年にそれぞれ発表されたことに、両者の結びつきを感じずにはおかない。ピートがビートルズ、ジョン&ヨーコの大ファンであったことも考え合わせると、荒唐無稽な推測とも思えないのだ。どうもピートのバイオグラフ本『ever fallen in love 』を読んだばかりであるからそっちのほうに頭が行ってしまっているというのもあるのだけれども、どうしても私はこの考えを捨てることができないのである。悲しいかな、ジョン、ピート共にこの世を去った今、これに答えてくれる人はいない。


「アイ・ビリーヴ」収録のバズコックスのアルバム『ア・ディファレント・カインド・オブ・テンション』