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ピート・シェリー/ルイ・シェリー『ever fallen in love-the lost Buzzcocks tapes』(16)
エヴァー・フォーリン・イン・ラヴ(ウィズ・サムワン・ユー・シュドュントゥヴ)
Ever Fallen in Love(With Someone You Shouldn’t’ve)
シングル
B面:ジャスト・ラスト
録音:アドヴィジョン・スタジオ、フィッツロヴィア、ロンドン
発売日:1978年9月8日
プロデューサー:マーティン・ラシェント
スリーヴ・デザイン:マルコム・ギャレット
この曲が生まれるきっかけは、あなたがエディンバラのホテルにいたときに映画『野郎どもと女たちGuys and Dolls(訳注:公開は1956年)を観たことだったということですが。
その通りさ。バリー・アダムソンがベースで参加したツアーのときだったね。外出して夜食にハギスhaggis(訳注:羊・子牛の臓物をオートミールなどに混ぜ、その胃袋に詰めて煮た料理)を摂った。当時のホテルはまだカラー・テレビが各部屋に設置される前で、一階のラウンジに一台カラー・テレビがあるだけっていう時代だった。ラウンジの片隅が小さいバーになっていて、僕は一パイント(訳注:約0.57Ⅼ)のジョッキに入った古い銘柄のビールを飲(や)りながら、マーロン・ブランドとフランク・シナトラの出てる『野郎どもと女たち』をテレビで観ていた。フランク・シナトラがネイサン・デトロイト役で、その恋人で踊り子のアデレイトが、もうずいぶんつき合ってるのに一向にプロポーズしない彼に業を煮やして、とうとう言うんだ。「あんたは誰かしてはいけない相手と恋に落ちたの?アタシはずっと待ちぼうけ」って。僕は思った。「イケるよこのネタ」とね。コーラス部分は基本映画のセリフをまんま使った。
次の日、運転手のピート・モンクスが郵便局に用があるっていうんでクルマの中で待ちながら歌いだしをどうするか考えた。最初は「君は僕の穏やかな気持ちを追い払うpiss on」にしてたけど、「はねつけるspurn」ほうがいいって思い直した。そのほうがラジオ1でかけてもらいやすいからね。当時の僕は、もし人が同じ考えにまとまれば、世の人間関係は劇的に良くなるだろう、不平を言うからおかしなことになるんだという考えに支配されていた。
他の曲もそうだけど、この曲は聴き手に語りかける感じにしようとした。きちんと韻を踏む形でね。
誰か特定の人を歌ったんですか?
いや、特定の人物を歌ったことはない。そんなことをする必要は感じないよ。不特定多数を対象とした方が、大いに説得力があるってもんさ。
多くの曲、特にラヴ・ソングは人の心の移ろいを扱うものさ。なぐさめがなけりゃ人との関係なんて上手くいかなくなるさ。
イギリス・チャートに登場した曲で一番長いタイトルっていうのは本当のことなんでしょうか?
いや、他の曲じゃないのかい?マスコミのでっち上げさ!
正式タイトルは「Ever Fallen Love(Whith Someone You Shouldn’t’ve Fallen in Love With)(訳注:誰かしてはいけない相手と恋に落ちたのか)」だけど、七十年代のフェイセズの曲でもっと長いタイトルのヤツがあるよ。「You Can’t Make Me Dance,Sing or Anything(訳注:おまえの歌でも何でもすることに、俺は振り回される)」だよ(といっても、これでも短縮してあるんだけど)。[1]
メジャーとマイナーのコードを一手に行き来するところとか、万人に受け入れやすいですね。
2004年にニューヨークでⅬA出身のアドードThe Adoredっていうバンドに出会った。アドードの二曲にバッキンング・ヴォーカルで参加した(それはレコード化されたよ。2006年の「フラットパック」ツアーにもサポートを務めてもらった)。リハのとき、最初の曲でギタリストがコードを鳴らしたら、アドードのメンバーが全員僕を思わせぶりに見てね。一人がこう言った。「わかりませんか?」僕がさあと言ったら、「Ⅽシャープ・マイナーですよ。『エヴァー・フォーリン・イン・ラヴ』のコードですよ!」って返されたんだよね。
ある意味まちがえた出だしで始めているというか。Bに続けて、そしてEにチェンジ。それをくりかえし弾くんだけど、そこが間違いやすい所なのかもしれない。YouTubeでこの曲の弾き方を見せていた人がいたけど、まるっきり間違えてたよ。手の込んでない曲だからかえってコピーが難しいんだろうね。その男はときたま指を動かしてた。ピッキングしながらね。僕とスティーヴの間ではコードのやりとりはうまくやれてるよ。Eの所でスティーヴがリフを弾きだし、僕も続いてリフを弾く。すごくシンプルなんだよ。ソロもないしミドルの八小節もない。ヴァースにコーラス、それにEのリフが入るだけだからね。[2]
メジャー・コードで迎える最後の部分ではそれまでとは趣が変わります。「いまいましい、また争うことになるんだ」とあるように、悲痛なものですけど。
僕はいつだってハッピーな音楽が好きさ。たとえ手首を切り裂くなんて歌詞を含んでいるにしてもね。
ファイン・ヤング・カンニバルズの「エヴァー・フォーリン・イン・ラヴ」のカバーはどう思われます?
ローランド・ギフトはスティーヴの弟フィル・ディグルとハルにある、同じ美術カレッジ出身で、フィルはローランドに部屋を又貸ししてたんだって。ファイン・ヤング・カンニバルズはこの曲をライヴでずっととり上げてたんだそうだよ。カムデンのブレックノック・ロードにある有機食材店でバンブルビースっていう店があるんだけど、そこのレジで順番待ちをしてたら僕の目の前にローランドがいて、で挨拶したら、「あなたの『エヴァー・フォーリン・イン・ラヴ』をレパートリーにしてます」って言ってたね。カンニバルズはジョナサン・デミの映画『サムシング・ワイルドSomething Wild』用にこの曲をレコーディングしていて、所属のロンドン・レコーズはシングル発売するって広言していた。カンニバルズの意志ではなくて、レコード会社が決定したことだったのさ。
カンニバルズのヴァージョンはチャートの9位まで上がった。僕らよりずっと上だった。何せ僕らは12位止まりだったから!
ファンの多くはあのヴァージョンを嫌ってますけど。
カンニバルズらしいサウンドでよい出来だったと思うな。大ヒットしてアルバムはよく売れたし、その印税は1989年のバズコックス再結成に役立ってくれたよ。
あなたの曲をカバーしたいときはどうしたらいいでしょう?許可とかを求めるとか?
いや、歌詞を変えなければいいよ。ある人がハワイアン風なヴァージョンを作ったんだけど、タイトルは「Ever Fallen in Love with a Hula Girl? フラ・ガールと恋に落ちたの?」だった。
歌詞をメチャメチャにしたカバー・ヴァージョンもありましたよ。
ノイセッズがジョナサン・ロスのショウに出演して、ウィル・ヤングはこう歌ったんだ。「誰が悪いのかwho’s to blame」実際の歌詞は「何が悪いのかwhat’s to blame」だったんだけど。誰が悪いのかはわかってるさ。僕じゃあないってことさ!
ヌーヴェル・ヴァーグのヴァージョンはどうでした?
あれも良かった。あんな風にアレンジされるなんて予想もしなかった。盛んに宣伝されたおかげでたくさんの人に認知されることになった。パンク・ロックなヴァージョンを好まない人でもあれなら気に入るよ。どんなアレンジにも耐え得ることが証明されたということだね。
『シュレックShrek』(訳注:2001年アメリカ制作のアニメ映画)のヴァージョンはどうでしたか?
アメリカのシンガー・ソングライター、ピート・ヨーンが映画で歌ったヤツかい?周りがどうこうしようが、否でも耳に入るさ。
何故、本家のヴァージョンを使おうとしないんでしょうか?
バズコックスでは利がとれないと思ったのかもね。オリジナル・ヴァージョンより新しくレコーディングした方が安上がりだともいえるよ。前に聞いたんだけど、「エヴァー・フォーリン・イン・ラヴ」の名を宣伝に使うのと、曲のオリジナル・ヴァージョンそのものを使うのとで、製作者側は二重に同じ金額の出費を強いられるらしいんだ。著作権使用料は一件につき25万ポンドなんだってね。ほんの一、二年前の話だけど。
シングルにするっていうのは誰の考えだったんでしょう?
基本的に僕らだけど、アンドリュー・ラウダ―の意向でもあったんだ。
『ラヴ・バイツ』のレコーディング中の週末だった。恋人とか大切な相手と一緒に皆してロンドンのウェスト・エンドへとショッピングにくり出していた。その日をマーティンと僕は「ヴォーカル・デイ」-ヴォーカルのレコーディングに専念する日に充てていた。「エヴァー・フォーリン・イン・ラヴ」に即して言うと、最初この曲にバッキング・ヴォーカルはなかった。『B’dum B’dum』、あの番組を観ればわかるけど、あそこではバッキング・ボーカルは入ってないよね。それで僕とマーティンは何度かバッキング・ヴォーカルを重ね録りした。三声ハーモニーみたいにしてね。クロスビー・スティルス&ナッシュとはちがうけど。一日かけて満足のいく出来栄えになった。そこへ他の連中が帰ってきたからマーティンは「これを聴いてみろ」って言って―彼はいつもモニターをとんでもない音量にしてたんだけど―レコードになる予定のラフ・ミックスを大音量で鳴らした。皆唖然としてた。こいつはシングル決定だと思ったね。
ジョン・ピール追悼記念に再レコーディングされましたよね?
アムネスティ・インターナショナルが、長年業界で貢献してきたジョン・ピールへのトリビュートとしてチャリティ・シングルを出そうと持ち掛けてきたんだ。遺族は聴き継がれるに耐えうる曲として「Teenage Kicks」ではなくこの曲を選んでくれた。ジョン自身もお気に入りだったから、全員一致で決まりとなった。それである日曜日の朝、ロンドンのスタジオにグラスゴウ出身のダットサンズThe Datsunsやエル・プレジデントEl Presidenteと一緒に入った。一定のテンポを保つようにしておいて、他のミュージシャン用にガイドラインとなるベーシックなギターを付け加えておいた。僕が帰った後の一部始終を聞いたよ。エルトン・ジョンにロバート・プラント、ロジャー・ダルトリーにデイヴ・ギルモアが参加した。エルトン・ジョンはわざわざ海を渡ってまでして参加してくれた。オールスターキャストだよ。でも皆別々に作業したから、一斉に集まったわけじゃなかったんだけどね。
もう一人、ギターが加わるはずだったんだけど、レコードには入ってないんだ。(ギャング・オブ・フォーのメンバーでこのレコードのプロデューサーの)アンディ・ギルが言うには、ただ一つを除いて申し分のない仕事だったんだって。「すばらしい出来だ。けど中間にギター・ソロが入っていない」のは、くだんのギタリストが「俺のギター・ソロがなかったら、全て台無しだぜ」ってほざいたもんだから、ギター・ソロが削除されちゃったのさ。アンディ・ギルが「全て」削除したんだ。
2005年の『イギリス音楽殿堂』でジョン・ピールは物故者終身功労賞に選出されて、そのお祝いに14人編成になってバズコックスはプレイした。ジェイミー・コラム、ピーター・フック、アンディ・ギル、ダットサンズに、もちろん僕にスティーヴにトニーとフィルもいた。曲は「エヴァー・フォーリン・イン・ラヴ」で、テレビで一部始終中継された。僕らは最後の登壇だった。急な出演依頼で、昔の名前でって感じだったんじゃないかな。
スリーヴ・デザインはどうです?
イメージにピッタリだった。赤と青の配色が気に入ってるよ。アモン・デュールⅡのセカンド・アルバム『PHALLUS DEI 神の鞭』(訳注:本作は実際にはファースト・アルバムである)にも同じ配色が施されているし、マルコムはティラー・ボーイズの「Big Noise from the Jungle」のスリーヴにも同じような赤と青が放射するデザインをとり入れてたね。[3]
「エヴァー・フォーリン・イン・ラヴ」はシルバー・ディスクに認定されましたね。
マーティン・ラシェントの書斎の壁に一枚飾ってあった。-25000枚プレスされたのに僕は持ってないんだよ。何でかね!(訳注:当時のイギリスでのシルバー・ディスク認定はシングル25万枚。ここで25000枚とされているのは誤りと思われる)
[1] 正式タイトルは「You Can Make Me Dance ,Sing or Anything(Ever Take the Dog for a Walk,Mend a Fuse,Fold Away the Ironing Boad,or Any Other Domestic Shortcomings)(訳注:⦅犬を散歩に連れて行こうが、ヒューズの修理をしようが、アイロンをかけようが、家であれこれ失敗をやらかそうが、⦆歌でも何でもお前のやることに、俺は振り回される)。フェイセズのラスト・シングルとして1974年の暮れにリリースされた。フルの正式のタイトルは歌詞の中には登場しない。
[2] スティーヴ・ガーヴェイは自らのベース・パートについてこう語っている:「大抵『ペダル』は使わなかったし基本的なフレーズを弾くようにしていた。例外はあるけどね。一番わかりやすいのが『エヴァー・フォーリン・ラヴ』だ。曲にノリを持たせるようにしたけど、余計なことは一切しなかった。必要以外のものは何も要らないと感じたからね」
[3] マルコム・ギャレットの発言:「マルコム・デュシャンは大好きだったね。『エヴァー・フォーリン・イン・ラヴ』のスリーヴを制作しようというときにリチャード・ブーンが『Fllattering Heats』(訳注:うち震える心臓たち)をベースにしたらってアイデアを出してきた。彼は電話で説明してきて、私は素描を作った。デュシャンの現物を見たことはなかった」2018年刊行のピートの『Collected Lyrics』(訳注:『全歌詞集』)の表紙には素描のハートが使われたが、その色の配列は逆になっており、一層強烈な色彩となっている。