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命は誰のもの

反出生主義という考え方、概念があるのを知ったのは大学の授業でだった。

この世の苦しみは全て生まれてきたことに原因がある。生まれてこなければこの苦しみはなかった。だから自分は産まない。周りの人も産まないでほしい。

苦しいから死んでしまいたい、というのとは少し違う。とにかく産まなければいい。産まなければ誰も苦しまなくて済む、という考え方である。

この概念が出てくる小説として授業中に紹介されたのが川上未映子氏の「夏物語」だった。それ以来いつか読んでみたい本だったのだが実物を見てその分厚さに驚き、読み通せるか少し不安になった。

でも要らない心配だった。わたしは10日くらいで読んだ。前半は主人公の姉が豊胸手術をしたいと娘と一緒に上京する話。この前半はいい意味でくだらなくて不気味だ。何かに憑かれたように豊胸手術について語る姉とある時から急に喋らなくなった娘。娘がノートに綴る心境。コミカルだけど、どこか切ない。

後半はそれから数年後が舞台。内容は深刻なのだが、ちょっとSFチックというか、もちろん現実に起きていることを元に書かれているのだが、なんだかそんなテイストがある。

AID

非配偶者間人工授精

物語はそのAIDで生まれ、大人になってからそのことを知り、自分の本当の父親は誰なのかと世間に訴える男性と主人公が軸にさまざまな人物が交錯しながら進んでいく。その中に善百合子というやはりAIDで生まれた女性が出てきて、この人がかなりディープに反出生主義を語る。

ーどうしてこんな暴力的なことをみんな笑顔でつづけることができるんだろうって。生まれてきたいなんて一度も思ったことのない存在を、こんな途方もないことに自分の思いだけで引きずりこむことができるのかーp522

この言葉は重い。たしかにみんな「生まれてきたい」と思って生まれてくるわけではない。子どもがほしいと願い、あるいは思いがけず妊娠してしまったり。多くの人はそんなふうにして出産する。要するに母親の方の都合である。

産みたいから産む。

そこに生まれてくる子どもの意思は存在しない。

子どもは成長する過程でいろんなことに傷つき苦しむようになる。それは誰も避けては通れない道だ。苦しみたくなかった。傷つきたくなかった。なぜ自分を産んだのか、ともし子どもに言われたら……。わたし自身そんなことは一度もなかったけれど、もしそう問われても、ただ驚き戸惑うだけで何も答えてやれないだろうと思う。あるいは「ごめんね」と謝ってしまうかもしれない。

生まれる前の子どもの命を握っているのは母親で、生まれてからは子ども自身の命になる。

でもそれって変なことだと思う。

命ってそもそも誰のものなんだろうか。自分の命は本当に自分だけのものなんだろうか。そして生まれる前は本当に母親のものなんだろうか。

命は誰のものでもない。

わたしはそう思う。

子どもは「授かりもの」とよく言うけれど、この感覚に近い。命は誰かから授けられるものなのである。つまり【自分のもの】ではない。

だから自殺も間違っているし、産む産まない選択も(複雑なケースがあることは承知しているが)間違っていると思う。命はコントロールできるものではないからである。

この作品の主人公は誰かに恋しても、その人とセックスすることが苦痛でたまらない。でも自分の子どもがほしい。それでAIDについて調べ、第三者に精子提供を受けて妊娠することを思いつく。

これを姉に話したところ「アホちゃうか」と大反対されるのだが、このひとり妊娠のアイディアに取り憑かれたようになる主人公の姿は前半部分の豊胸手術に夢中になる姉の姿とオーバーラップする。このためにあの前半部分があったのかとここまで読んで呆然とした。

主人公が最後にどんな選択をするかはぜひ読んでみてほしいので明かさないけれど、わたしはこの反出生主義にはやはり違和感がある。産むことがエゴだとしたら産まないこともまたエゴだと思うからだ。

兎にも角にも、いろんなことを考えさせてくれる作品だった。オススメします。






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