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いたい映画
情報を見てすぐ見たいと思った映画だった。俳優さんが出て演技をするんじゃなく、ドキュメンタリー。カメラを回しているのはある家族の長男で撮ろうと思ったきっかけはお姉さんの雅子さんの統合失調症。
雅子さんが発病したのは大学生の時。夜中に突然叫び出して止めようとしても止まらない。救急車を呼んで精神科を受診したけれど、お父さんは「精神病ではないと言われた」と言って連れ戻してくる。でもまた叫び出す。もう病院には行かない。毎日同じことの繰り返し。
この初期の頃のことは弟であり制作者である知明さんの語りの形で説明される。カメラを回し始めたのは映像関係の学校に入ってから。でも家の中で回したのはお姉さんのことが心配だったから。病院に行かせない両親のもとですでに10年以上が経過していた。
知明さんにはわかっていた。お姉さんは統合失調症で、両親は頑なにそれを認めようとしないこと。このままではお姉さんは良くならない。なんとかしてあげたい。その一心でカメラを回す。時には両親との話し合いも撮影する。
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医学博士のお父さん、研究者のお母さん。お姉さんの異常を認めないのはお母さんの方。知明さんの提案にのらないばかりか、とにかく自分たちがいかにすごい存在なのかを延々と語る。英国で創刊された紳士録「フーズフー」に名前が載ったのだとか、家の一室に研究室があることだとか、要するに自慢である。
自分も夫もこんなにすごい賢い人間なのだ。その子どもが精神を病むなんてありえない。絶対に違う。認めない。はっきりは言わないけれど心の内が透けて見える。そして最初に叫び出した時に夫が言った「医者からは雅子は100%健康だと言われた」という言葉を何回も繰り返す。
このお母さんも我が子がなんらかの病を抱えていることはわかっている。でも絶対に認めない。そして知明さんを攻撃する。「あんたは何にもわかってない」と。
ひどいと思う。
プライドばかり高くて何をやってるんた。
子どもが可哀想だ。
もちろんそう思う。
でも
同時に痛いのだ。
わたしもかつてはこういう母親だったからだ。わたしには3人子どもがいるが長男には発達障害がある。何かおかしいな、と思ったのは発語。3歳になっても言葉らしいものは話せない。また喋れなくてもうなづいたり首を振ったりするようなコミュニケートも取らない。
おかしいと思ったけれど「絶対障害などではない」と思っていた自分がいた。これは個性だ。いつかきっと喋る。異常などではない。映画の中のお母さんと同じくわたしも頑なにそう思っていた。
幼稚園には普通に入れた。ところがトラブル続きで言葉もあまり出ない。幼稚園の先生から「どういう育て方してきたんですか?」と非難めいたことを言われ傷ついた。でもそこで初めて専門家に頼ろうと思いつき、区の相談窓口に行った。
「お母さん、今まで1人で大変でしたね」
カウンセラーから優しい言葉をかけてもらって涙が溢れた。
ただこの頃はまだ「発達障害」という言葉があまりポピュラーではなく、「自閉症」という障害しかなかった。自閉症の検査はしたのだが、結果は「自閉症ではない」。この時ホッとしたことを覚えている。何らかの障害はあるはずなのだが、やはり心のどこかで「異常じゃない」「障害じゃない」と思い込んでいた。いや、思いたかったのだ。
映画の話に戻るが、雅子さんの奇行を防ぐためにお母さんは玄関に南京錠をかけるようになる。外には出られない。軟禁状態である。これを知明さんがたしなめてもお母さんはやはり聞く耳を持たない。雅子さんは髪の毛もぐしゃぐしゃだし着替えもあまりしないようになる。見るからに荒んだ状態だ。
しかしそのうちにこのお母さんに認知症状が出るようになる。実印を盗まれた。外から何者かが侵入してくる。そして雅子さんが叫び声を上げると「覚醒剤の禁断症状だ」などと言う。
医師に相談すると雅子さんは入院させた方がいいと勧められ、それを両親に伝えるとあっさり承諾される。しかしこの時発症からすでに25年も経っていた。
母親の死後、雅子さんは治療の甲斐があって落ち着いた様子で外に出て自分の好きなものを買ったりできるようになる。しかしそんな矢先、肺がんステージ4と診断されてしまう。
もっと早く治療が行われていたら。雅子さんは何気ない日常をもっと楽しむことができたのに。両親のエゴのために家に閉じ込められ、長い間病に苦しんだ。
本当に切ない。
タイトルの「どうすれば良かったのか」は映画のラストで知明さんがお父さんに聞いた言葉だ。これに対するお父さんの答えにわたしは驚愕した。
「失敗だとは思っていない」
お父さんは結局のところ、まだ雅子さんの病を受け入れられていないのだ。いや、受け入れたくはないのだろう。現実からずっと目を背け続けている。
賢く美しい娘。
自分の中では病に苦しむ雅子さんは存在しないことにした。だから葬式でも「一緒に論文を書いていた。充実した人生だったと思う」なんてことを言ってのけるのだ。雅子さんはまるで透明人間だった。
とても痛い、そして切ない映画だった。
最後にわたしの長男のことだが、色々あったけれど今はSEとして会社に勤めて働いている。発達障害は治るものではないので、いまだに一緒に外に遊びに行くような友達はいない。結婚も多分無理だろう。それでも飼っている犬や猫には優しいし、一緒に旅行に行ったりしている。
あの時、カウンセラーのところに行って良かったと今も思っている。そしてあの時、自分だけでどうにかしようと思っていた自分を初めて許せた。
雅子さんの両親は最後まで自分を許せなかった。それはとてもつらい苦しいことだったと思う。可哀想だな、と思う。1番可哀想なのはもちろん雅子さんなのだが。