見出し画像

フルート発表会。音が出なかったあの日

50歳手前で人生初のフルート発表会。
音が出なかった。

その経験があって、今だから言えることがある。

何かに挑戦することは、
成功しても失敗しても、同じだけ価値がある。

挑戦する、それ自体にこそ価値がある。
自分を心からほめたいと思えるのも、
挑戦することの価値を教えてくれるのも、
成功した時よりむしろ、失敗した自分。



フルート発表会から、逃げた過去

大人になってからの『発表会』って、積極的にチャンスを作ろうとしなければ、なかなか向こうからはやってこない。
子どもの頃は、イヤと言うほど、“向こうから”やってくるのにね。

30代半ば、フルート発表会に出なければいけなくなった。
同年齢の方と2人で演奏する予定だった。
それでも、どうしてもイヤだった私は、
運よく!たまたま引っ越すことになり、
それを言い訳に発表会を断った。

薄っすらと、自分が『楽器の発表会』トラウマを持っていることに気づいていた。
だから、逃げることができて安心した。


トラウマの原因。小学校1年生、固まったピアノ発表会

トラウマの原因となったのは、小学校1年生の時。
初めてのピアノ発表会。

演奏の途中で、頭の中が真っ白になり、文字通り『固まった』。
弾き直すこともできないまま、退場。
どうでもいいから、一刻も早くその場から立ち去りたい・・
そう思った記憶がある。


トラウマの不思議

学校の音楽発表会とか、
音楽の授業で、一人ずつみんなの前でリコーダーのテスト、とかは
平気と言うよりむしろ得意だった。

人前で話すのも、仕事でたくさんやってきたので大丈夫。

だから、あのピアノ発表会を思い出させるような『楽器の発表会』、というのが私にとってのトリガーで、
トラウマ発動するらしいのだった。

なんか、トラウマって不思議。


逃げきれなかったフルート発表会。音が出なかった

違う先生のもとで、再びフルートを習い始めた49歳。
3,4か月たった頃だったろうか、先生から発表会の話を聞いた時、
「今年はまだ早いと思うので、来年出ますね」と逃げようとした。

先生曰く、
「イヤだからと言って発表会から逃げるお母さんと、失敗しても挑戦するお母さん。お子さんのためには、どっちがいいでしょうかね?」
「たとえお子さんの前で失敗したとしても、お母さんは逃げずに挑戦したよ、と胸を張って言えるお母さんのほうが、お子さんにとってもいいですよね?」

ごもっとも。


というわけで、発表会への挑戦が決まった。


本番当日は、習っている経歴が短い順、ということで
私がトップバッター。
その日まで聞いてなかったような・・。


リハーサルの時から、足がすくみ、全身ガクガクブルブルしていて、
先生が励ましてくださっていた。

大好きな『カヴァレリア・ルスティカーナ 間奏曲』を選んだ。
曲の出だしから、音が出なかった。
緊張がピークに達し、力めば力むほど音は出ない。
パニック!

中盤からやっと落ち着きを取り戻し、
というか、開き直り
不安だったラストの高音のほうが、
本番ではちゃんと出せた。


翌年の発表会。

人は失敗から学ぶもの。

翌年の発表会では、格段に落ち着けるようになったし、成長できたなと思えた。
あの時逃げていたなら、できなかったこと。
人生初のフルート発表会は、楽器の発表会恐怖症に対し、“暴露療法”として役に立ったみたい。


成功することが、挑戦することの目的ではない。
このことを、はっきりと示してくれたのは、失敗した自分。

失敗してまでも、
失敗する危険を冒してまでも、挑戦した自分だから。
(ちょっと大げさだけどね☆)