「黒子的プレイヤー」から卒業→フィールドチェンジします
長年のクセは沁みついて無自覚。
気づいたらついやってしまう。
無意識にそこに向かってしまう。
私にとってのソレは、
「誰かの想いを代弁したり翻訳したりして広く届けること」。
長年、メディア界で著名人の話を聞き書きして、コンテンツ化し様々な媒体で届ける「架け橋」をしてきた。
その「職業病」で、専門性を普遍的な言葉に換えたり、モヤモヤと言葉にならない想いを明瞭化したり、つい無意識にやってしまう。
「黒子的プレイヤー」での楽しさと安心
私自身が「リスペクトできる人やコト」の想いや魅力という「無形」を具現化して「カタチ(有形)」にするのは悦び。
それを受け取った世の中の人が心動いてくれた瞬間は、陰の「仕掛け人」になれたような醍醐味。
もちろんコンテンツの主から感謝されることも嬉しかった。
私自身は、クレジット表記はされるものの、名前を表には出しにくい「黒子」だった。
関わる人たちからは、「もっとあなたが前に出たらいいのに」とか、
「自分の名前で本を出したほうがいい」と勧められることはあったけれど、「黒子」でいることが嫌いじゃなかった。
私にとっては、自分が大っぴらに出ない安心感でもあったのかも。
「当たり前ではなかった」ことに気づいた
おかげ様で、心動かされる人やコトには恵まれ、ピンと来たものには携われてきたと思う。
もちろんこれからも出会うだろう。
でも、その類まれな経験や、蓄積された刺激や学びの財産は、「当たり前」ではなかったらしい。
「その経験を話してほしい」と言われることが増えてきたのだ。
これまでの私は、自分の目の前のことに必死すぎたし、自分が「できてない」ことや、「次はもっと」みたいな好奇心ばかりにフォーカスし、他者のフラットな視点がなかったのかもしれない。
それに、誰でも「その人だけの経験」は尊い。
だから私は自分を語ることに気が引けてしまう。それでも。
私がしてきた経験は「当たり前ではなかった」ことに気づかされた。
これまで必死で走ってきた道のり。
自分が走れたことにも、その道のりにも、道々で関わって力をくれた人々にも感謝しなければ!
同時に、
その経験を「渡す」「伝える」役割があるのかもしれない。
そんな気持ちに目覚めると…。
「黒子的プレイヤー」が窮屈になってきた
マスメディア業ではやりきった。
それと、もう数年も前から、私自身が既存のマスメディアにはもう魅力を感じなくなり、アドレナリンも出なくなった、というのも本音。
「誰かの黒子」はもう充分やりきった。
そろそろ「私が旗振り」をしていく時。が来たかもしれない。
「かもしれない」とか言い淀んでいるのは、苦手だから(苦笑)。
まずは私自身の性格も「我が我が」にどうしてもなれないから。
「やりきった」とは思ってても、やっぱり長年の「黒子グセ」はなかなか抜けないもの(そこが慣れてて安心だからね)。
実はこのnoteでも、何度か「新しい取り組み」の匂わせ的な記事を書いたこともあり、「やるやる詐欺」のまるでオオカミ少年。
今思えば、頭の中にイメージはあっても、実際の私は、黒子的プレイヤーを完全には手放せていなかったせいで、中途半端だった。
そんな模索の中でも、様々な人と話していると、自分の中に「伝えたい大事なこと」「あったらいいなのビジョン」が核としてある。
それを真正面から感じてみたら、なんだか黒子的プレイヤーでいることが、窮屈になってきた。
「安心」がついに「窮屈」に。吹っ切れた。
これで晴れて卒業だ!
本当に手放せた。
ちゃんと手放せたら、ちゃんとフェーズが変わる
不思議なものだなと思う。
生半可の手放しでは、やっぱり中途半端なものしかやって来ない。
「手放したつもり」じゃなくて、心から手放したかどうか、神様は見ているのかな。
心から手放すのは難しいし、怖いし、時間がかかる。
私もそうだったように、頭でわかっていても、クセで戻ってしまうから。
それでも、クリーンなエネルギーになるって、意外と大事。
いよいよ私自身のビジョンを伝えるフェーズの幕開け
私自身がずっと模索していた「軽やかに愉しく自分を活きる」への具体的な解決策をテーマに楽しい場づくり。
黒子的プレイヤーを本気で卒業した頃から、似たような思いを持つ、個性的な仲間も少しずつ増え、いま実現に向かっている。
このnoteもそろそろ衣替え。
これからは、いよいよその内容も語っていく予定です。
Coming Soon!