見ずや君 あすは散りなむ花だにも 力のかぎり ひとときを咲く
大正美人のお一人、九條武子の一首。
中学生の頃、お稽古の帰りに紀伊国屋でぶらぶらと時間を潰すのが大好きだった。ふと手に取った歌集「九條武子 歌集と無憂華」短歌など学校の授業でしか触れることのなかった私がなぜこの本を持ち帰ったのか思い出すことも出来ないが、何度も開いては閉じ、そして、ハッとする短歌に出会うという不思議な歌集。雲の上の方なのに、歌を詠みながら彼女の視点や指先に触れるもの、足元にあるものを自分が体感しているように共鳴した。
この歌に生きる力を頂いたと思っている。そして、目に入る花、その花を見る私が変わった。
書道の展覧会の作品として、この歌の下の句を画仙紙に思い切って書いてみた。先生は、発想は良いが技術が追いついていないと、バッサリ。歌のことや書体について、先生と交わす言葉が心地良く、貴重な時間を過ごしていたと思う。
もう20年も前のこと、あの頃はやりたいことがたくさんあり、書道どころではなかった。恋愛も、旅行も、、。令和二年、力の限りとはいかなくても、心に思うことを一歩一歩、進められる年にしようと思う。
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