一人で結果までいった実験は一人のものだが、結果をみんなで体験した実験は、みんなのもの
母は、料理が得意だった。フルタイムで仕事をし、基本的には父よりも長時間勤務しながら、ご飯は毎食、お弁当まで基本的に冷食を使わないで作っていた。すごく凝ったものを作る、というよりは、仕事帰りに会社の隣にあったデパートの地下の食品売り場で、閉店間際の魚介類や肉類を買ってくる時もあり、牛テールの煮込みとか、牛タンの塩焼きとか、時たま食べていたし、自宅で白魚や車海老の踊り食いもした。マグロや鯛のカマの塩焼きとか、あら煮とか、刺身とか、思い返すと田舎の街場の子どもなのに、美味しいものを結構いっぱい食べさせてもらった。
また、一日30品目!みたいな話を聞きつけてきては、それに挑戦!みたいなこともやっていたし、試しにこれを作ってみた、という実験的なものもあったが、基本的には、皆おいしかった。
日々の時間との闘いの中で作る料理の味は、基本的に台所で味見されていないことが多く、食卓では、よく冗談で「毒見してみて」という言葉も聞いていた。さて、今日は、どうだろう?という視点が食卓にはあった。
ある日、それ以外のメニューのことはすっかり忘れてしまったけれど、テーブルに深緑色のどろっとした液体が深皿に入れられて出てきた。いつものように「いただきます!」と家族で食事をスタートして、その深緑色の液体をスプーンで口に入れた時、頭の中にたくさんの「???」が浮かんだ。
何なのかわからないけれど、甘苦い。
「母ちゃん、これ、何ね?」
「あ、どがんやった?試しに作ってみたとばってん(どうだった?試しに作って見たんだけど)」
そう言って、母も一口。そして、次の瞬間。
「あ、だめやったねー。こいは、食べんでよかー(だめだったね。これは食べなくていいわ)」
そう言って、全員の皿を自ら台所に下げた。
聞いてみると、パンプキンスープを作ろうとしたが、栄養がありそうな皮の部分を捨てるなんて、と思って、皮まで全部ミキサーにかけたらしい。そうして、謎の深緑色の液体は出来上がった。
彼女の実験は味見をせずに食卓に登らせたことで、一人で完結せずに、私たち家族の実験になった。この経験のおかげで、かぼちゃを蒸すたび、思い出し、皮の部分は、オレンジ色の部分とは別に「つまみ食い」することになっている。