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『銃後の女性たち〜戦争にのめりこんだ“普通の人々”〜』
8月14日土曜日21時〜放送のNHKスペシャル『銃後の女性たち〜戦争にのめりこんだ“普通の人々”〜』のナレーションをしてきました。
国防婦人会がどういう風に始まって、瞬く間に女性たちがそこに参加して行ったのか、全く知らなかった。何故、女性がそこに参加したかったのかも、とても理解できた。自己決定権のない窮屈な家制度から大手を振って出られる社会参加だったのだ。自分が当時に生きてたら、入ってるかもしれない。
その自己決定を求める気持ちが組織になり、個人ががんじがらめになって、また動けなくなる、本心が出せなくなる。善意で始まった出征兵を敬いサポートする母性の動きは、取り返しのつかない大きな渦に巻き込まれていく。
その渦中にある時、私たちは止まれるのか。当時の「戦争」に匹敵する今のイシューは何なのか。小さな違和感を見逃さない、横並びを求めない(同調圧力かけない)。
沖縄やアイヌの方言を奪う政策にも国防婦人会が関わっていた。
ドキュメントでは、国防婦人会に奔走した女性の子供たちが(今は90代)当時を、戦後を、今を話してくれます。
息子を戦場に出して一人前、という価値観からは、今は脱していると信じるけど、金銭的にしっかり働いていないと一人前じゃない、というのは、何十年か後に振り返ったら、脱してるだろうか。
今回発見された資料や肉声テープから見えることと、今、ようやく毎日の懺悔と祈りを教えてくれる帰還兵のおじいちゃん。男女差別、家制度、さまざまに考える1時間。ご覧ください。
『銃後の女性たち〜戦争にのめりこんだ“普通の人々”〜』
かっぽう着にたすき掛け。戦時中のドラマでたびたび登場する「国防婦人会」の女性たち。新たに発見された資料や取材から、戦争を支えた女性たちの意外な「思い」が明らかになった。女性の活躍の場が少なかった時代、国防婦人会への参加は「社会参加」の機会だった。「社会の役に立ちたい」と懸命に生きた女性たちがなぜ自身を抑圧するようになったのか。戦争に協力していった女性たちの、これまで語られてこなかった心の内に迫る。
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