早期療育は誰のため?
療育に通うきっかけ
我が子は2歳4ヶ月の時から療育に通っている
必要な支援は乳幼児期から受けることがbetterだから
という意見もある一方で
まだ小さいからわからない、もう少し成長を見守りましょうという自治体が多い気がする
我が家の場合は
ハイハイもしない
歩くのも遅い
模倣がない
応答しない
発語がない
もう明らかに一般的な2歳児とは違う我が子を前に
この先どうやってソーシャルスキルを身につけていけばいいか
彼にとってベストな環境は何なのか
できる・できないではなく、彼の興味を広げるため
専門家に聞きたいと思ったし
適切な支援があるとすれば早く受けたいと思っていた
まず1ヶ月半検診で様々なことを聞かれ、心理士さんとのセッションへ
2、3回セッションをし、2歳を過ぎてまだ発語が出ないので療育に通ってもいいと思いますと言われあれよあれよと色々な手続きを済ませて通い始めた
「もう少し様子を見ましょう」
「男の子だから発語が遅い可能性があります」
「3歳まで話し始めない子もいるからまだわからないですよね」
など様々な見解があった
もう少し様子を見ましょうって
すごい他人事だよね
と思ったりもした
障害というキーワードに違和感
比較的、様々な状況や考え方に柔軟であると思っていた私でも
「発達障害」というワードには未だに納得いっていない
「障害」という言葉のインパクトが強すぎて、今でも容易に使うことはない
しかも生まれつきの脳の特性で治らない、そもそも病気ではない
ということにもしっくりこず
なんで脳が違うのか
どうしてそうなっているのか
そもそも障害とはどういうことか
(だんだんニーチェみたくなってきた、、、、)
ここが全く理解できていない
受け止める、受け入れるという言葉もあるけれど
この先、共存していく
ただそれだけである
療育支援が必要なのは、本当は誰なのか
療育は障害を治すためでも発達障害だと認めるものでもない
※そもそも病気ではないので、治すという概念はない
療育の支援が必要なのは子供達ではなく私たち保護者なのではないか
と強く感じている
親だからしつけをしないといけない
親だから子供の面倒を見るのが当たり前
自分1人でなんとかしなきゃという考え方
特に発達特性の子を持つ親は早急に手放すことをオススメする
うちの子はまだ早いかも
いやまだちゃんと私たちでみます
保育園や幼稚園で目をかけてもらっているから大丈夫
と思っている方々がいたら声を大にして言いたい
専門家による適切な支援がどんなに素晴らしいものか
言っても伝わらない、声が届かない
そんな我が子に伝えるために
色々な知識を駆使して
様々な環境を設定してくれる
前にできなかったことができるようになったら
とっても褒めてくれるし
嫌がったら本人がやる気になるまで待つか
課題設定を変更してくれる(環境調整)
どうやったらスムーズにできるか、安心して過ごせるか
こうやったらわかりやすいんじゃないか、喜ぶんじゃないか
と先生達が子供のために一生懸命考えてくれている
療育セッションの間は
他のスタッフが当日の課題の説明をしてくれたり
最近の彼の状況を共有したりして
「こういうことがあって困っている」
「これがお気に入り」など親も話せる場所がある
それに対してアドバイスや違う視点もいただける
これは私1人では決して辿り着けない
複数の専門家や大人が息子のことを見てくれているから
特性も理解し共有してくれていて
皆んなに育てられている
私たち親子が通っている療育先はそういう場所
これは逆に定型発達の子供たちには用意されていない場所でもある
※本当は全国各地に誰でも入れるそうゆう居場所があれば救われる子供達がたくさんいると思う
わからなくて当然!だからこの場所がある
おそらく発達特性のある子の親は
定型発達の子を見れば
無意識に比べてしまうこともあると思う
周りの目もすごく気になると思う
どうして普通のことができないの?
まっすぐ歩けないの、手繋げないの!
(我が家の例、、、笑)
と日常的に怒ったりすることもある
怒っても本人に伝わらないから
これまたこちらとしては辛い
でも私たちは今までそうやって育てられてきたし
怒られたらやったらダメなんだな、ということを学んできた
でもそれと同じ伝え方じゃ伝わらない
理解できない子なだけなのだ
だから私もあなたも、
うちの子もあなたの子も
み〜んな
決して何も恥ずかしがる必要はない
わからなくて当然
わからないから調べる
わからないから聞く
わからないから外に助けを求める
わからないから適切な支援を受ける
ただそれだけ
早期療育は共存の一歩であり
私たち保護者や周りの人と本人を繋ぐために
重要な場所であると私は思う