見出し画像

Magazine Graphic Infinity #1

昨今、「エディトリアルってこうでなければならない」って決められ過ぎだと思ってるんですよね。
世の中にどんな出版物があって、今までどんな世界が繰り広げられてきたかも知らないくせに「普通は〇〇ですよね。〇〇じゃないとおかしいですよ」ってのが多過ぎですから。
世の中にはいろんなデザインがあるんですよ。本当は。笑

出版が苦境とか雑誌が売れないとか最近よく聞きますが、マガジンは受け手のことを考えて作られてる、という勘違いが横行していてね。
その受け手のために考えてるという勘違いが実は激しい抑制を産むし、逆に受け手が望んでない無難さを良しとしているケースがほとんどでね。

慣習。
惰性。
思考停止。
狭い価値観。

マガジンをつまらなくしているのは送り手の方なんですよね。
それに気がついてない編集者、ディレクター、経営者ばかりになっちゃったから、マガジンが面白くなくなったって言われるんです。

****

マガジンが魅力的だった時代は、マガジン・デザインはコミュニケーション・ツールだと考えられてた時代でもあってね。
そうなれば、送り手がビジュアルにメッセージを込めるのは当たり前だし。
それを受け取った側が「かっこいい」とか「かわいい」とか「素敵」とかのポジティブな反応を生み出し、マガジンを宝物にしたりカルチャーに育てたりといった、送り手と受け手間に生まれた感性の交歓こそが、マガジンにおいての送り手と受け手との間で交わされる最良のコミュニケーションのはずなんですけどね。
マガジンは決して情報提供のためだけのツールではなく、物としての付加価値を生み出していましたし、それにはビジュアルに込めたメッセージはとても大きな役割を占めていたんです。
今は情報はスマホやインターネットがあれば事足りるわけです。
ならば、わざわざ紙に残すものは情報ではないと思うんです。
それは、メッセージであり、物として成り立ち愛される、あの時代のような自由な匂いに溢れたデザインなのではないか。
そう考えれば、今の時代こそ、自由に、創造をメッセージとして送り出すべき時代なんじゃないのかと思うんですけどね。

****

時に、自由なデザインはデザイナーのオナニーだと攻撃するディレクターがいますが、それはまったくの的外れなんです。
こうした方が受け手にはいいに決まってる」ので
それを「逸脱するクリエイティブは受け手には必要ない」のだから、
クリエイターがその道に反して提示するものは「送り手側のオナニーである」という理論。
これの何がいけないか、もはや明確ですよね。w
そもそもの「こうした方が〜いい」というスタートが間違ってることに気がつかないんです。まあこれこそが送り手側のオナニーなんですけどね。笑
そしてその理論が間違いだと指摘されたら多分こう言うんです。
「そのメッセージとやらを理論立てて説明せよ」と。
誰でも語れる理論で作り上げたものが受け手にメッセージとして届くはずがないんです。
そんなもので届くものはただの情報であって、メッセージでもなんでもないわけですから。
「理論や理屈ではないメッセージ」こそクリエイターは受け手に提供しなければならないはずなんですよね。



*****

出来るだけ自由に、送り手としてメッセージを込めたデザイン作品をチョイスして並べてみました。
ぼーっと色んなALOHADESIGNを眺めながら、受け手として何かを感じてくだされば幸いなんですけどね。。。笑

エディトリアルはもっと自由であるべきだし、
もっと受け手側の受け取るという力やセンスを信じてあげないと失礼だとなぜ思わないのでしょうね。
もっとデザインは自由なんだよ、という匂いや楽しさを感じていただければと思います。

#2はまたいずれ。w



いいなと思ったら応援しよう!

ALOHADESIGN
こんな時代だからこそ、魅力的なことをやってきた人の今とこれからへの想いを聞きたい!これから何かを目指して進もうとしている人に、そこに立つ人の願いのような想いを届けるべく、WEBマガジン「STAY SALTY」を作りました。想いを同じくする方のサポートよろしくお願いいたします。