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100本ノック

僕は少年野球の指導者をやっていました。
小学4年生の息子の入団を機にコーチとして入閣して息子の卒団まで3年間。
息子の県大会での満塁ホームランをはじめとするたくさんの思い出への恩返しとして、卒団以降も団に残り、人様のお子さんを預かって、それこそボールの握り方からずっと指導をしました。
その時の3年生だった子らが卒団するまで4年間、最後の5年生〜6年生の2年間は監督として子供たちに指導をしていたんですね。
結局その子らの卒団後も、その子らの弟たちがいたので1〜2年生の間を見てあげたので、延べ約10年近くもの期間、少年野球に携わったことになります。

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その中でも特に、僕が監督として見ていた子供たちの代は、僕にとっても特別な思い出です。
その2年間に準優勝を5回。シルバーコレクターと揶揄されながらも最後の最後で優勝1回。笑
強いチームでした。
2年間のほとんどの週末を子供たちとの時間に費やしました。
いや、その子らが入団してきた時からコーチとして教えてきたから、4年間丸ごと一緒に過ごしてきたことになりますから。
その後半の僕の指導者としての集大成となった、5〜6年生になった彼らを指導した最後の2年間が、僕の人生で一番充実してたと言い切れるものだったのですね。

一番信じて

一番悩んで

一番泣いて

一番笑って

一番頼りにされて

一番必要とされて

一番やりがいを持って生きた日々だったと言えますから。

人はそうそう、何かに打ち込み、捧げてやり抜くことは難しいものです。
それは本人の資質や性根や生き方とは関係なく、そもそもそういう機会に恵まれるかどうか、の問題なのだと今はよくわかります。
僕は幸運にもそういう縁と運に恵まれ、人生においてそういう経験を得たわけです。
僕が今も、そしてこれからも頑張れる理由があるとしたら、その2年間があったからだと言い切れますから。
子供たちは特にその2年間。
誰も1日たりとも休まず頑張ったし、僕もすべての休日を、一日の休みなくその子らと過ごし、ノックバットを振り続けました。
常に上を目指した子供たちは、小学生であっても、すでに立派なアスリートだったし、僕は彼らの監督でありながらも、彼らのファンでいられましたよ。
彼らは本当にかっこよかったしね。

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今、ランニングをやり始めて特に思いますよ。
健全な精神は健全な肉体に宿る。
コロナの影響でリモートが当たり前になってる状況下、どうしても運動不足を痛感する日々、思い出すのはあの2年間。
今は猛烈に、100本ノックを打ちたくてしょうがないのです。笑
また、あの頃の健全な肉体を取り戻そうと思います。w



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