単純ではない今の姿
一人の人間と対峙しているとします。
昔からよく知ってる人間ならまだしも、
最近知り合った人間だった場合。
ましてや通りすがりや
この先関係を深めなくてもいい相手ではなく、
仕事で知り合ったり、
誰かとの繋がりの中で知り合った人間だった場合。
その人をよく知らないのは当然なので、
今対峙しているその人の人間像を解析しながら
これからの繋がりを深くしてゆこうと試みることになるわけです。
今感じてるその人像を分析して、
今後も有りか無理かの判断材料を探すわけですね。
ということは、
今僕に放ってる言葉や態度やオーラでしか、
僕はその人を判断解析できないということになりますよね。
その裏に潜む真意や本音、その人となりの裏側、
いいところも悪いところも確実に判断出来る材料は
とても乏しいということになります。
でもそれは仕方のないことですし、
逆に考えれば相手だって
僕に対して
そういう位置からのスタートとなるわけですから。
人は須(すべから)く
そういうスタートから
対人関係の熟成を目指す生き物なんだと思うんです。
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でも、ふと考える時があります。
それは自らを振り返った時に
改めて考えさせられる事象なのですが。w
それは、
「今目の前にいるこの人の人物像が、
生まれてからずっとこのままなはずがない」
ということです。
若い10代前半の幼い子供たちならいざ知らず、
何年も社会に出て世の中に揉まれて生きてきた成人なら、
みんな多かれ少なかれ(一部の人を除いて)、
もう何周もして今の人物像でいるに決まってるわけでね。w
例えば一例として自分を振り返った時に、
子供の頃にいいなと思っていた価値観を、
青春を迎えた青年期には
恥ずかしいことダサいことのように思えた時期を経て、
家庭を持ち子供ができたのちに、
やっぱりいいよなと思える価値観が
子供の頃にいいなと思ってたことと同じ地平のことだったり
というのを経験してきたりしましたからね。
もう何周も回って結局今に落ち着いてる、
という事象は意外にたくさんありますから。
なので、僕が物事に対して
「〇〇だと思います」
「〇〇が好きです」
という発言に対して
「ああ、あなたはそういう人なんですね」
「〇〇が好きなんて結局浅くて〇〇な人なんですね」
などと簡単にその人基準の価値で
他人をカテゴライズしてしまう人が、
逆に可哀想な人だと僕がカテゴライズしてしまうんです。笑
そういう発言をしてしまう人は間違いなく、
何周もできなかった人なんですよね。
小さい時から育んできた
単一の狭い価値観が
この世の全てだと思って生きるしかなかった
可哀想な人なんだと思うんです。
本人的には可哀想ではないので別に問題はないんですけどね。笑
まあ何周もしてそんな浅い思考なら
さらに同情を拭えませんけれども。ww
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その人がそこに至った経緯にとても興味があります。
今発露してる発言や思考が
今のその姿に至った過程にこそ、
その人オリジナルの歩みと、
本人の良し悪しの価値判断が生成される工程があって、
僕とは全く違う世界を知っているに違いないと感じさせる
その人独自のオーラや気を感じさせてくれることが多いんですよね。
そして、やっぱりそれを感じさせてくれる人に興味を惹かれちゃうんです。
僕がWEBマガジン『Stay Salty』を続けてるのも、
参加いただいてる人たちの、
ネイティブでプリミティブでファンダメンタルな
その人の感性から育っていった
現在のその人の立ち居振る舞いと
今いる地平を垣間見ることが出来て
とても毎回読むのが楽しみなんですよね。w
人は単純ではないからこそ難しいけれど、
だからこそ魅力的で楽しいと思うんです。
たまに見る単純でくだらない人に関わる暇はないんです。
だって、単純じゃない面白くて魅力に溢れた人がたくさんいますから。
生きる時間は有限で
しかも片足棺桶に突っ込んでるような僕からしたら、
そちらに目を向けることで精一杯なんですからね。笑
素敵な経験をいっぱい聞きたいと思うんです。w