輝くカケラ
学生時代を振り返ってみる。
冴えない毎日。
限られた小さな世界の中で、自分の居場所を探す。
必要とされているのか。
僕が欲するものがこの世界にあるのか。
具体的ではない焦燥が若い僕を常に苛つかせる日々。
その何もないと感じてた高校での3年間は
楽しくないわけではないけれど
何かと規制されて
やりたいことが出来ない3年間だと感じてた3年間でもありました。
だから、本当に早く卒業したくてしたくてしょうがなかった。
抑制管理された日々の繰り返しを過ごさなければならないことを思って
本当に本当に憂鬱だったのですね。
それでも学校を辞めてしまう勇気もなく
それでもただただ自由が欲しいと、自分の思うままに生きることへの渇望が現実の日々への絶望と小さく結びついていたのですね。
それでも、
必要とされたくて
認められたくて
学校という世界の外側で
僕は学校外の大人の人たちとバンドをやっていました。
そこでは僕は小僧でしたが
年上の人たちに可愛がられて
作詞作曲をする僕を中心とした小さな世界があって。
そこには校則もないし、未成年だからといった親からの監視や抑制もない。高校生としての日常にはない、大人社会上での自由と、僕の能力を必要としてくれてる感を実感できる世界がそこにはあって。
だからこそ多分、
そういう世界をちゃんと別に持てていたことで
つまらない日々も正気を保って過ごせたんだと思うのです。
***
卒業。
担任の先生に「お前の口癖は『卒業してぇ』だったなぁ」などと言われたりもしましたが、僕は文字通りの自由を手に入れました。
夢を信じてさらに音楽に没頭。
卒業した仲間達のうち、進学も就職もしないアルバイト生活を選んだのは僕だけでした。
肩書きは「無職」。笑
その当時、アルバイターやフリーターなどという肩書きは存在しなかったのです。w
そんな僕を周りは心配もしましたが、
肩書きは無職でも、
レコード屋さんや楽器屋さんでバイトをしながら、
創造の楽しさや難しさにシビれたものです。
***
かなりストイックに音楽に没頭しました。
バイトで稼いだお金はレコードや楽器や機材に費やしたし。
音楽以外のことでお金を使うことに罪悪感を覚えるくらいに音楽活動にすべてを費やしたのです。
評価へのレジスタンスはいつのまにか身に付いた。
音楽に於いては自分を信じるしかなかったから頼れるのは自分になった。
自分の部屋に録音スタジオまで作った。
そういう世界で僕は生きていこうとしていたのです。
すると周囲からいい音楽だと認められたり
女子高生にちょっと人気が出たり
日々の中に輝くカケラのようなものが生まれ始めました。
それでも知ったふりの大人が寄ってたかってつまらない音楽を作らないとダメだと言う。
そういう時代だった。
いつも苛ついて、何かに飢えているような若者だったと思います。笑
***
それでも僕を友人たちはほっておいてくれないわけで。
僕を輝く世界に連れ出そうと近寄ってくる。
若いバンドメンバーも含めて、そんな仲間たちのおかげで、
20代後半、僕は極端なストイックさで夢を追いかけるのをやめました。
「音楽も、人生も、楽しもう。」
そう思わせてくれるバカな友人たちが沢山、若かりし僕の人生に関わってくれたのです。
そうなると、夢を追うことが逆に楽しみになる。
日々に転がり輝くカケラがどんどん増えてくる。
ツーリングやドライブを楽しんだ。
サッカーに夢中だった。
スノーボードに夢中だった。
また絵や創造的な行為にもまた没頭してゆきました。
縁があって自分の絵で個展を開いたりもしました。
お気に入りの服や靴を購入する喜びや、好きな食器を選ぶ楽しさを知ったりもしました。
そしてもちろん音楽にもよりフランクに充実した接し方が出来るようになったのです。
***
日々の中に転がる輝くカケラを拾い集めるというのはこういうことです。
焦燥や苛立ちはなくなって、明日からまた生きてゆこうという心根を植え付けてくれるのですね。
立ち止まらなければならないくらいの苦悩や
立つことさえ出来ないくらいの悲しい想い。
それらから前に進む力を与えてくれるものは、
やっぱりそういったカケラたちだ。
思えば小学生の頃は毎日が楽しかった。
それがなぜなのかは今になってようやく分かります。
学生時代は幾分か世の中が何たるものかを知り始め、
これから過ごさなければならない憂鬱な日々の長さを知り始めていますから。
そのために日々に輝くカケラを見過ごしがちなのです。
小学生はそんなことに想いは及ばない。
日々の輝くカケラを見つけることに没頭しているから楽しい、というわけです。
小学生に戻ろう! という話ではありません。
日々の中に輝くカケラをなるべく拾い集めよう! というお話。
それでも、常に「やりたいこと」が生活の中心にあった僕の半生は幸せだったと思うのです。
「やりたいことが見つからない」と思ったことがなかったのですから。
そして今も守るものを守るために日々を生きている。
そして輝くカケラを探しながら、日々を生きているというわけです。
今はそういう日々の送り方が身に付いているのかも知れません。
何が明日を生きるために必要なものなのか。
あくまでも自分基準の必要なもの。
人から見たら他愛のない下らないガラクタのような何かだとしても。
これからも、なるべくキラキラと光り輝くものを探してゆければいいなと思うのですよ。
明日からも、僕らは生きてゆかなければならないのですからね(笑)。
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