どれでもない道
画家になりたい。
デザイナーになりたい。
歌手になりたい。
e.t.c.
色んな夢や希望があって、それぞれの中にも色んな道があって。
でも、よくSNSなどの中で、その道を一見成したかに見えるような人が、どうやって自分がこの成したように見えてるかを自慢気に語っていることがありますよね。
その人の歩んだ道を、面白おかしく語ってくれている場合はとても楽しく拝読できるのですが、たまに「この道を歩むなら〇〇でなければならない」とか、「この道が正しい道なのでこう歩きなさい」とか言っちゃってるスタンスが匂うと一気に興醒めというか、は?何様?とか思って読むのをやめてしまうんですよね。笑
道って一つなの?
道って全ての道はローマに通ずなんだけど?
そう思ってる僕としては、たかだか一人の、一見成功者に見える人の歩んだ道がたった1本だけ轢かれた成功への道だとは到底思えないわけです。
成功=到達したい地点はみんなそれぞれ違うわけです。
画家だとしたら、世界的名声を得ることが成功だとしてる人もいます。
絵が売れて食っていけることが成功だとしてる人もいるし、逆に好きな絵を描いて1枚でも売れれば成功の人もいる。
憧れの画廊で展覧会をすることが成功の人もいるわけでね。
しかも同じ成功カテゴリーに見えてもそれぞれの成功に到達する過程ですら人それぞれ違うわけですからね。
だから、成功者や、成功者でなくとも自らの道程を語る上で大事なのは、どれでもない道の存在を意識したバランスの上での語りなのではないかと思うのですね。
まあ、とどのつまり、言いたいことっていうのは2つです。
その1。
聞きたい人がいて、その人に自分の生きてきた道を語るのはOKなんだけど、聞きたい人がいないのに語るのはNG。
その2。
語ったとしても、その道が正しいかのような言い方はNG。
必ずそれ以外の道が存在しますが、僕は運良くこうしてやってこれました的な言い方がOK。
どうしても、年齢を重ねて、いろんなことを経験してきて、多くの困難を乗り越えてきた経験値が、時に人を不遜にさせることがあります。
「お前ら若輩共にはわからんだろうが、俺様はこれだけたくさんの経験を重ねてきたんだから、俺様の言うことは正しいんだぞ」
と人生マウントをとりがちだし、生き方ハラスメントをおっ始めてしまうことがあるものです。
僕らのように長く生きてきて経験値の高い者こそ、若い人や違う生き方を懸命に生きてる人を慮らないといけないはずなのにね。w
自分の過去を振り返っても、恥ずかしいことでいっぱいです。w
経験なんて実はそんなもん。笑
成し遂げた人なんてほんの一握りだと達観して、一生成し遂げられない側のピーポーだと自覚しながら、日々の目の前のことを一生懸命生きてゆこうじゃないですか。
先輩や先人とか。
恥ずかしいことの数的に先輩であり先人なだけなんですからね。笑