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BUDDY
親友。
ほとんどの人にそう呼べる Buddy が1人か2人はいるのだろうと思います。
この年齢になると、特定の友人を「親友」と呼ぶような間柄なんだと再定義することが少々照れ臭くなるのものです。
それでも、あえてそう呼ぶのかもしれないな、というような友人は確かにいますね。
たまにも会えません。
彼が東京にいた時は六本木や恵比寿でたまに飲む。
年に一回、茅ヶ崎の花火大会の日に家に来てBBQをする。
そんな程度の付き合いでした。
それでも彼は親友であり戦友だ。
超絶久しぶりに会っても毎日会ってるような調子で会話が始まるし、会話のツボを探る心配も無用です。
10年ほど前に彼は東京を離れ元気に京都へ帰りました。
彼は法律的には極悪な男なのですが、人としてはすこぶるナイスな男です。
京都時代からの同僚で、一つ下の後輩ながら僕のデザインの先生でもあります。
つまり同業者でもあるのですね。
京都時代には木屋町で飲み明かしたし、鴨川に流されたりもしました。
レゲエ・バーやクラブに入り浸って、ここでは書けないようなささやかな(?)悪行を重ねた間柄だ。
世紀末に二人が勤めていた会社が倒産して、
僕は家族で茅ヶ崎へ引越し、仕事場を東京に構えました。
彼はしばらく京都で頑張っていたんだけれど、少し遅れて彼も奥さんと東京へ。
奥さんもデザイナーなので、一緒に頑張ってたんですけれども。
たまに会って六本木や恵比寿でたまに飲んだり、花火大会を楽しんだりしてきたんですね。
まあ、でも時代はいろいろ厳しくてね。
関わる会社の不況や色んな事情で、彼らは家族で京都に帰ることにしたんですね。
彼ら家族の決断なので彼らなりの最良の道を選んだのだろうと思います。
僕的にも元気でやってくれればそれでいい、という想いでした。
まあその後も京都で夫婦で頑張ってるみたいですしね。
可愛い子供がいるから当たり前なんだけれども。
それでもここ10年、京都に帰れる機会も少なくなってしまったので、帰ったら必ず飲むけどほんの数回を数える程しか会えてないのです。
でもまあ、一つ言えることは、
この年になると、親友や友人との絶対的な距離や会う頻度というものはそう問題ではなくなるものです。
親友と言っても10代や20代のそれとはお互いの依存度が格段に違ってくるものだし、それぞれに家族がいると、奥さんが一番の親友みたいにもなってくるものです。
だから直接的に頼ることもそうはないのだけれども、それでも強い何かで繋がっていると常に感じます。
それはいざとなったら頼りにしようなどという性質のものではなく、むしろその逆。
あいつも(きっと)頑張ってるのだしオレも頑張るさー!的な励みだったりします。
そういう友人がまだいるというのは支えでもあるのですね。
おっさんにはいろんな支えが必要なんだよ。
他人から見たら取るに足らないつまらない小さな支え。
でもそれはとても大切な支えのひとつ、というお話。
オレも頑張ろうっと! w w
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