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「ジャパニーズ・ドリーム 〜ネパール人留学生たちの日本〜」を見て

先日、NHKのBSで放送された「ジャパニーズ・ドリーム 〜ネパール人留学生たちの日本〜」を見ました。
ネパールからやってきて日本で生活している留学生たちの日々の様子や彼らの人生についてのドキュメンタリーでした。

私のいる日本語学校でもこれまでにネパール人がたくさんやってきて、勉強しているので、なんとなく彼らの姿と重ね合わせながら見ていました。
来日するために多額の借金をして来日。「日本でがんばれば返せるから」というエージェント(留学斡旋業者)や先輩の声を信じてやってきますが、来たばかりで日本語もまだあまりできない彼らにできる仕事は辛いものばかりだったり、外国人だからといい扱いをされなかったり、とにかく苦労の連続です。

学校を卒業して日本で就職し、ネパールから家族を呼び寄せる。自分の仕事も忙しく大変な中、家族が日本に慣れるために更に奮闘する。
番組では4,5人のネパール人が登場しましたが、全てのネパール人、全ての日本で生活する外国人に同様の人生があり、ストーリーがあるのだと改めて感じました。

番組の中で来日する際にネパールに残してきた子どもを呼び寄せ、日本の学校に通わせることにしたネパール人のエピソードがありました。その時点で少年が知っている日本語は「私は〇〇(名前)です。〇歳です。よろしくおねがいします」のみ。
父親が「ネパールでは常に学校の成績の上位にいた子が、ここではゼロからのスタートだ」と言っていたのが印象的でした。

これは、私たち学校の教師が日々接している学生にも言えることです。
彼らは日本語に関しては知識がないかもしれない。でもそれは決して他の能力が劣っているわけでもなく、今はたまたま日本語を使ったことがないだけ。

むしろ自分よりも知識も技術もセンスも豊かな人がいて、日本へ来る前はそれを存分に発揮していたわけです。
けれども、周りの人々も、時には学習者自身も、日本語ができないというだけで弱者と捉えてしまうことがあります。
そうならないためにはどうしたらいいか、常に考えています。

私自身、アメリカの中学に転校した時に英語がほとんど話せず、授業では言いたいこともあったのに意見も言えず、ジレンマを感じました。
特に向こうではディスカッションや発表、レポートなどのアウトプットのチャンスが多いので、英語が使えないとなると「自分が稚拙な人物に見られるのではないか」という心配がありました。

しかし私のいた学校では先生達もクラスメイト達も「それはたまたまノゾミが英語がわからないだけで、何も考えてないわけじゃないんでしょ?」というような考え方で、むしろ「日本人としてはどう思っているか知りたい」という姿勢で聞いてくれることが多かったのです。
なので英語が拙くても周りがカバーしてくれるし、レポートなども文法が正しいかどうかは重視されず、意見や思考の深さを求められました。
あれがアメリカの教育のスタンダードなのか、私には分かりません。でも、外国人の私にとっては最高の環境だったなぁと、今になって強く感じています。

話がそれてしまいましたが、我々教師は、学習者が「人生のほんのひと時の時間」として教室にいるのだということを常に理解しておくべきだなぁ、と改めて考えさせられた番組でした。


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