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同級生Zoom飲み会に参加して地雷を踏んだ話



大学を卒業してすぐに台湾に渡り、今も向こうにいる友人がいる。
小・中学校時代の同級生だ。

彼女とfacebook上で近況報告をしていたら、
ビデオチャットで話した方が早いという話になり
そのやりとりを見ていた他の同級生も参加したいということになったので
Zoomで飲み会をすることになった。

私は職場の同僚や別の友人と既に何度もしていたし
そもそも仕事でZoomを使っていたが、
同級生はそもそもZoomがどんなものか知らない人が多く
皆でわいわい言いながら導入して、飲み会をはじめた。
女子6人で「今ってすごいねー!」と感動しながら、久々の再会。

小学校以来、会っていない友だちもいたし
私は中学の途中で出てしまったのでその後あまり交流がない人もいた。
私が行っていた学校は幼稚園から大学までの一貫教育の学校だったので
反対に長い付き合いの関係も多い。

とにかく皆で話すのは何十年ぶりなので
お互いの近況報告から始まる。

ここで、私は自分の中の地雷を自分で踏んでしまったことに気づいた。
今までなるべく避けてきたのに。
友だちに直接会えないという状況で、懐かしい友人と話せるということに浮かれてしまったのだ。

私と台湾にいる友人以外は子供がいるので
今何歳で、男の子?女の子?
最近ずっと家にいるから大変で・・・。
という話が続く。

しばらく話していると、台湾の友人が
「ごめん!用事が入っちゃったので、またね!」と去っていった。
(今考えると、話を読んで「早退」したのかもしれない。)

こういう場でこういう話題が出ることは初めてではない。
それでも久しぶりに友だちの顔が見たいと思って参加してみたが

「みんな年取ったよね~!そりゃ子供も大きくなるよねぇ」
「ちゃんと育てて、みんなえらいよね!」
「子供は大変だけどやっぱり生きがいだよね」
という話がどんどん出てくる。

そして「はっ!」と気づいて話を濁す友人。
「あいうえお(私)の学校は〇〇なの?」と私に仕事の話を聞いてくれる。

もう、穴があったら入りたかった。

こんなに気を使わせるほど、
私と彼女たちは違う世界にいるのか、と思うと
私が持っていないものは、果てしなく大きいものなのかもしれない、と思った。

前にも書いたことがあるが
私は独りでいることに引け目を感じたり、辛いと思ったことはない。
自分の人生をそれなりに気に入って歩いている。

だけど同級生たちから見た私は
皆が持っている素敵なものを持っていない、寂しい人間に見えたかもしれない。

普段、あまり他人の目を気にせずに生きているが
なぜかこの時は暢気な顔をして話している自分がつまらない人間に思えて、恥ずかしく感じてしまった。

彼女たちは皆、優しい人間だ。
決して悪意があったわけでもないし
「早く結婚しなよー!」みたいなことも言わない。
だからきっと、次も同じように集まることになったら
私には別の話題を用意してくれるのだろう。

自分に参加する勇気があるかどうかは、まだわからない。

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