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フェミニズムという現代の性善説②

うたゃ第二弾!前回のフェミニズムという現代の性善説①につきまして、二つ目の記事が完成しました!


裁判のための弁護士費用を作ろうと思ってるため、今回も心苦しいですが途中から有料とさせてください…泣

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前回のフェミニズムという現代の性善説①の内容をざっくりと説明すると…

近年の女性の道徳的優位性は、母性をはじめとした女性性善説に支えられていた。
古の家父長制は女性性悪説を使うことによって、家父長を聖人、女やその他を小人とみなし、聖人が小人を躾することによって秩序を確立させていて———!?
腐敗した父権と、無条件の男性性善説の出会い(キュンキュンハプニング)!?

前回のアンチフェミ分析に続いて、今回はフェミニズム分析に目を当てていこうと思います。ここはうーたゃの得意分野!

寒くなってきてあんよも冷えるから、お風呂に入ったり、ぬくぬく靴下を履いたり、あったかくしながら読んでね。

それでは本編へどうぞ!

「むかしの人は立派だ」という声

最近、田舎のおじチャマおばチャマと交流する機会があったのですが、みな「むかしの人は立派であった」と口を揃えるんだなぁ、と。

性悪説を読み解こうとする我々であっても、「むかしの人は立派だなぁ」と思いを馳せて本を手に取ります。さてさて、その本を見ていくと、文字列に「むかしの人は立派である」と書いてあるのです…!立派だと思った人が、更に立派だと思う人をあげてるってどゆこと!?もっと立派な人がいたってこと←😭⁉️😭⁉️

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