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フェミニズムという現代の性善説①

こんにちは、うーたゃです。現在とても苦しい状況になっていて、お金が危ういです。
                      詳しいことは書けないのですが、ザックリと言ってしまうと、自称フェミニストの不法行為に対して裁判を起こすのにお金が足りません。
                      自分が大学受験を控えた身分であることを考えても、かなりキツキツです。情けない姿をお見せしてすみません😭
                      同じような体験をしたフォロワーさんに聞いてみても、裁判までいかなくとも弁護士を雇うのに10万はかかるそうです。その上、諸々の書面に起こす作業や、裁判を含めると30万は超えてしまうということです。
                      手元には学生バイトで貯めた少しのお金しかありません。正直言ってしまうと、弁護士を雇う費用が足りません。法テラスを駆使してどうにか安く済ませられるように考えてるのですが、やはり厳しい状況です…
                      いつもnoteを楽しみにしてくださっているフォロワーさんには申し訳ないのですが、途中から有料とさせてください🙇‍♂️本来は、同じ目標を持つフォロワーさんの力になれるように、最後まで無料で公開したいのですが、やはり弁護士さんに相談するとなると大金が必要になるので、有料にさせてもらおうかなって思ってます(本当にすみません)

長々と前置きになりましたが、投げ銭やサポートをしていただけると、とてもありがたいです。

それでは本題に入りましょう!

古典における性悪説と性善説

諸子百家が活躍した戦国時代、そんな激しい時代に断頭した二つの思想を知っていますか。

孟子の「性善説
荀子の「性悪説

思想の話が飛び交う界隈にいる皆様なら、この二つを耳にしたこともあるのではないでしょうか。

性善説とは?

「人間は、自然に従えば必ず善である。人間の本性は善である。悪はたまたまであって、欲望に眩んで本性が盲目(悪)になってしまったのだ。」

人間の不幸に心を痛めたり、自分の悪を恥ずかしく思ったり、弱い者に何かを譲ってあげたり、そうした気持ちはどんな人間でも持っている。これが性善説で言われてきたことです。

それに対して性悪説とは?

「人間の本性は悪である。善というのは人為的努力の結果であるから、本性は善ではない。訓練によって人は善になるのだ。」

人は生まれながらにして利益を好んだり、妬んだり恨んだりする気持ちを持っている。目は綺麗なものを好むし、耳は美しい声を好むし、口は美味しいご飯を好むし、心は利益を好む。それを我慢して人に譲ろうだとか、分け合おうだとかする心は努力によって作られる。これが性悪説で言われてきたことです。

「どっちもわかるし、どっちもあっているんじゃない?」とみなさん考えると思います。

例えば、道端で赤ちゃんが転んでいたとして、「ハンッwwwガキがwwwざまあみやがれ、お前はままんのおっぱいなんか吸って楽してるから顔面から転ぶんだよ、ざーこwww」なんて思う人など極々少数かと思います。

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