「横転」という表現について思うこと

 Twitterなどで、最近こういう文章をよく目にします。

「~で横転」「~して横転」

 初っ端から辛口かもしれませんが、私は何かにつけてやたらと「横転」という言葉を使う風潮が快く思えません。

 それはなぜなのか、私なりに考えてみました。
 なお、記事に対する建設的な意見や見解は喜んでお受けしますが、論拠なく頭ごなしに否定したり、誹謗中傷したりするようなことはやめてください。


➊大袈裟では…?

 私がここで問題にしている俗な表現としての「横転」は、次のような状況を指します。

主にTwitterでのネットミームとして「◯◯して横転した」のように使われることがある。意味は期待や予想していたが想定と違いズッコケた表現として用いられる。

ピクシブ百科事典「横転」https://dic.pixiv.net/a/%E6%A8%AA%E8%BB%A2
2024年11月24日閲覧。

 しかしながら、私の感覚だと特に2024年の半ばあたりから、いわゆるズッコケの意味合いとは異なる文章でも見かける機会が増えており、使われる場面が広がっているように思います。

 「横転」という言葉そのものの意味は、読んで字の如く横倒しになることです。乗り物、とりわけ列車や自動車が事故などであらぬ方向に倒れたときによく使いますよね。ちなみに180°ひっくり返った状態は、厳密には「転覆」といいます。船舶ではよく使われる表現ですが、列車や自動車でも屋根が地面に接し、車輪が天を向いた状態の時には使われます。

 では、本来の語義で「横転」という言葉を日常でどう使っているか振り返ってみましょう。
 例えば「車が横転した」はよく言いますが、「水筒が横転した」という表現をすることはあまりないですよね。乗り物でも、自転車やバイクなどの二輪車がバランスを崩した時は「こけた」「転んだ」、敢えて熟語にするなら「転倒」ということが多いです。また、大きなものでも、食器棚やタンスなどが横倒しになった時は「倒れた」、熟語ならやはり「転倒」を使います。何かと話題な地震対策グッズでも「家具の横転防止!」というのは聞いたことがありません。

 このように横転という言葉は、とりわけ3~4輪以上の乗り物が横倒しになった様を指すわけで、実際にこのような事態が起きれば割とシャレになりません。

 これを踏まえると、ヽ(・ω・)/ズコー程度の深刻さがない状況で「横転」という言葉を使うのは、表現として大袈裟で鼻につく印象があります。

➋熟語にする必要、ある…?

 動詞や形容詞は、熟語で表す場合送り仮名を伴う場合があり、無意識に使い分けていると思います。
 前者はどちらかといえば書き言葉で、物事の規模が大きいときや、別の漢字とくっつけて1つの意味とするときのほか、正式な文書を書くときなど改まった場合によく使います。
 一方で、後者は話し言葉で、普段の会話でよく使います。
 一般に、熟語のほうが難しく聞こえ送り仮名を伴うと分かりやすい印象になります。外国人にも伝わりやすい「やさしい日本語」も、漢字や難しい表現を減らすために、一般的な日本語に比べると熟語が少ないですよね。

 といっても説明だけだとちょっとわかりにくいので、例を示しましょう。
 土や砂、岩がもとあった形を変えながら落ちることを、一般的には送り仮名を伴って「崩れる」といいますよね。一方で、熟語で表すと「崩壊」や「崩落」が当てはまると思います。
 「崩落」というと、崖や山の斜面など、どちらかといえば規模が大きい現象を指して言うことが多いです。砂遊びをしていて、「作った砂山が崩落した~!」などということはあまりないですよね。
 また、火山活動の用語では「山体崩壊」なんていう言葉もあります。他の漢字がくっついて1つの意味を成す例です。

 期待などが外れて拍子抜けすることや驚くことは、人である以上、誰しも経験があることです。ただ、それをわざわざ気難しくも感じる熟語で表す必要があるのか、と思っています。少なくとも記事執筆時点の私にはちょっと分かりません。

➌体言止めは句読点に非ず

 私があまり好まない「横転」という言葉は、主に文章の末尾に単独で付されることが多いように思います。あくまで一傾向ですが、例えばこんな具合です。

「推しのアイドルが地元に来てたらしくて横転」
「欲しいグッズが販売終了で横転」

 このように、熟語(名詞)を文章の末尾に置くことを「体言止め」といいます。学校の国語の授業でも、詩や和歌・俳句などを学んだ時に聞いた覚えがあるかと思います。あの有名な和歌もそうです。

春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山

持統天皇御製「新古今集」夏・175 /「小倉百人一首」2番
※上の句の「夏来にけらし」と、下の句の「衣ほすてふ」は、
万葉集ではそれぞれ「夏来たるらし」「衣ほしたり」となっている。

 この体言止めについて、NHK放送文化研究所の放送用語委員会において何度か問題提起がなされています。下記にリンクを貼りますので、詳しく知りたい方は是非読んでみてください。

 上記のNHK文研のサイトでは、体言止めの長所と短所として、以下の点を挙げています。
長所…言い切りの形になるために、余情・余韻を持たせることができる。簡潔な表現ができる。おさまりがよくなる。
短所…情報が少なく、受け手が推測して補う必要があり、理解のための負担が増す。多用し過ぎると、せっかくの修辞効果が薄れる。
 また、体言止めのうち、動作性のある名詞(終止形が○○するという形の動詞としても使われる名詞)で終わる文章は、通常の動詞として使った方が分かりやすくなる、とも指摘しています。

 私も体言止めそのものを否定するつもりはありません。先述の通り、詩歌においては代表的な表現技法の1つです。
 ただ、日常の日本語での使い過ぎは良くないと思っています。どのような意味合いであろうと、とりあえず特定の言葉で文を切ればよいというものではありません。横転という言葉は、"てん"こそ共通しますが、句読点ではありません。言葉には適材適所というものがあります。万能調味料じゃあるまいし。
 横転で途切れた文章に、余情や余韻が感じられるでしょうか。私はそうは思いません。

おわりに

 私は日本語の専門家でもなければ、国語教師でもありません。ここまで書いたことは、あくまで私見です。考え方は人それぞれですし「何言ってんだこいつ」と思われる方もいるかもしれません。
 私は横転という言葉を見て快く思いませんが、なんて便利な言葉なんだ、他の表現じゃダメだ、やっぱり横転じゃないと、という人もいるかもしれません。少なくともかなりな頻度で見かけるということは、世の中には抵抗がない人が多いのだと思います。
 違う立場の人の話は、聞いていて気づきになることも多々あります。この件も含め、私だけでは分からないことがあるからこそ、異なる価値観を持つ人と、面と向かって意見を聞いて議論する機会があれば、と思います。

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