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【ラテンアメリカ旅行 #23】🇵🇪ペルー入国して大都会リマを堪能

ペルーについて


● ペルー基本情報

面積:約129万平方キロメートル(日本の約3.4倍)
人口:約3,297万人
首都:リマ
民族:メスティソ(混血)60.2%、先住民(ケチュア、アイマラ、アマゾン先住民等)25.8%、白人系5.9%、アフリカ系3.6%、その他4.5%
言語:スペイン語、ケチュア語、アイマラ語
宗教:カトリック(81%)、プロテスタント(13%)、その他(6%)

山岳部には空中都市マチュピチュ、インカ時代の中心地クスコ、地上絵で知られるナスカなどがある僕が憧れたアンデスの国。
ペルーはこの山岳地域の他にリマやトゥルヒーヨを含む海岸部、アマゾン地域のような熱帯雨林がある。

アンデス周辺の気候は雨季と換気がはっきりと分かれているようだった。

● ペルーの情勢

ペルーでは当時の大統領、カスティジョが失脚させられたことで、カスティジョの支持者たちによる大規模デモが繰り返され、数ヶ月間の非常事態となる。(カスティジョは先住民族や低所得者たちの間で人気だった)
これによって、同年4月下旬くらいまでの間、多くの観光客がペルーを避けて旅行していた。
僕がペルーに入国したのは2ヶ月間ブラジルに行った後、2023年6月頃で治安は安定していた。その約3ヶ月後にもペルー側のデモの影響でペルー、ボリビア間の陸路での国境越えができなくなっている時期があった。
僕はその約3週間前にボリビアに入国していたため影響はなかったが、数人の旅行者たちが一部の封鎖されているルートを船で渡るため2~3万円くらい払ったと聞いた。
その後も同年2023年にチチカカ湖の近くの街でデモを行っている際に警察が先住民族を銃殺してしまったり、トラブルがあとを絶たない。

● ペルーの食べ物

まず誰もが「ロモサルタード」を食べろと言ってくるが、ロモサルタードは牛肉を細かく刻んだものに、玉ねぎやパプリカ、驚くことにフライドポテトを入れて醤油を加えて炒めたもの。美味しいがフライドポテトがふにゃふにゃになっているのですごく違和感がある。そして、中華、和食の影響を受けているのでペルーを感じない。それもまたペルーなのだけど。。。

誰もが知る「セビーチェ」も外せない。セビーチェは白身魚やその他、タコ、イカ、エビなどをレモンで締めて、玉ねぎと和えたもの。
ペルー産の大粒のとうもろこしであるチョクロやさつまいもを添えて出てくるのが一般的。日本でいうマリネやカルパッチョのようなイメージだがさっぱりとしてかなり美味しい。
ブラジルの肉料理専門のシュハスカリアと呼ばれる店のようにペルーにはセビーチェリアというセビーチェ専門店が街中にたくさんある。
セビーチェはトゥルヒーヨというリマからバスで11時間ほど、飛行機だと2時間ほど北に行った海沿いの街が美味しくて有名。もちろんリマにもたくさん美味しいセビーチェリアは存在する。

ペルーで撮ったものではないが参考として、これがセビーチェ

その他にもエビのエキスを使ったスープ「チュペ・デ・カマロネス」というスープやアンデス地方ではアルパカの肉、クイというモルモットのようなネズミのような動物の丸焼きなど、数多くの伝統料理が存在する。
僕のセビーチェと並ぶ一番好きなペルー料理。

チュペ・デ・カマロネス

海沿いの首都リマ


● リマに到着

ブラジルのマナウスからサンパウロを経由してリマに向かうが、飛行機の上から見ても久々の大都会で驚いた。リマの国際空港は南米のハブのような役割を果たしていて、多くの世界中のフライトの離着陸がある。

ちなみに空港から出ているタクシーはぼったくりの被害が多いと聞くので、空港からは街の中心に向かうバス、またはUberの利用が安心。

今回の移動はこちら。
マナウスからリマに向かえばすぐなのにサンパウロを経由しないとリマに行けない。ブラジルは国が大きいが交通の便がかなり悪く、長距離列車は走っていないし、飛行機でも大都市以外は結構な確率で経由が必要。バスの移動も長く移動が大変。
特に北東部バイーア州のチャパダディアマンティーナは日本から行くと4日から5日はかかるほどアクセスが悪い。

● リマの街中を散策

今回の旅行は自然に触れることが中心なので、都会には長居いせず、リマも中継地点として立ち寄ったのみ。
とはいえ折角なので数日間思い切り楽しんだ。

さっそく深夜頃にリマでの宿泊先に到着し、この日はそのまま就寝した。
翌朝、宿泊先で出会ったイギリス人のカップルと一緒に街中を散策し、その二人の友人も合流。その後、ギュウギュウ詰でウーバーに乗ってピスコサワーを飲みにバーに行った。

リマはインカ帝国を滅亡させクスコを制圧したフランシスコ・ピサロにより築かれた街
旧市街のリマの中心部は当時のスペインのマドリードをモデルに設計されているという

下の写真の奥に見える丘は、サンクリストバルの丘といって、リマのファヴェーラ(スラム街)となっている。丘の上には大きな十字架が立ち、上に向かってカラフルな家が広がっているのがわかる。

この下の写真のビーチはサーフポイントとしても知られ、多くのサーファーや海水浴客が訪れていた。

リマのサンセットも印象的
一緒に街を散策した仲間たち

● ペルーを知るにはピスコは大事

ピスコはチリとペルーのお酒で、ブドウを原料に使った蒸溜酒で、グレープブランデーの一種。イタリアのグラッパやフランスのコニャック、スペインのシェリーなども仲間ということになる。
ピスコの定義はブドウの種類や生産地が限定されている。

ピスコを使ったカクテルで絶対に外せない卵白を泡立てて作るピスコサワーについてなど、より詳しい説明はこちら↓

ピスコが生まれた歴史も面白い

スペイン侵略後の故インカ帝国(今のペルー、チリ、ボリビアなど)に移住していく人たちが葡萄を持ち込み育て、ワインを造っていったのは必然でした。育てるのがうまいだけでなく、植物を育てる上での気候も優れていた故インカ帝国の土地です。その後は良質なブドウが沢山取れ良質なワインが作られることになります。
やがて、スペインにもその良質なワインが広まりました。植民地で造ったワインですから、人件費も安いはずですし、ブランドなんか必要なく低価格で販売できたのでしょう。この後大きな問題が起こります。
低価格でスペインのワインよりも美味しいと世間で広まり、スペインのワインを買う人がいなくなっていきました。そうなるとスペインのワイン産業やスペインのワイン酒造元は困ります。
そこで故インカ帝国の土地からワインを禁輸するだけでなく、ワイン造りを中止させました。笑っちゃうほど勝手ですよね。
でも、この勝手がピスコというお酒が生まれるきっかけになるんです。そう、ぶどうが大量に余る、これをどうすればいいか?
ぶどうを沢山消費できる蒸留酒にすればいい。そう。ピスコの誕生です。

https://yanakiji.com/southamerica-andes/pisco-2/

● リマのアンダーグラウンド音楽

とある夜、ホステルで仲間になったイギリス人の仲間、ビーンズと、ドイツ人の数日間ペルーを周った仲間のクリス、と僕の3人で折角リマにいるんだからパーティーしようということになり、ハードテクノのイベントに潜入した。ハードコアなイベントでみんなノリが良く面白い。
ただ、リマの中心からは少し離れていて、周りには何もなく治安が悪そう。一人ではここにくるのは躊躇するような空気感だったが、仲間たちのおかげで味わえたこのローカルパーティーのヴァイブスに感謝し、ローカルたちと踊り狂う。

せっかく都会に来たのでテクノパーティー

そして僕はアジア人ということもあり目立つので、オーガナイザーのクルーやヘッズたちに写真を撮られ、次回のイベント告知で妖怪の画像を用いて悪用されることとなる。気になるのは僕が妖怪なのか?妖怪に首を取られた子供の方なのか?アイツらのピスコサワーにアブサン仕込んでやりたい

クルーに撮影された写真
上の写真と合わせてイベント告知にインスタに載せられた絵。僕はどっちだろう


今回はここまで。次回は砂漠のアクティビティとチカマで人生で一番長い波でサーフィンする。

最後に一曲紹介


スペインのフルート/サックス奏者ホルヘ・パルド、フラメンコにも精通したペルー人ギタリストのエルネスト・エルモーサ、カホンのフアン・メドラーノによる2009年にリマで収録されたアルバム『Puerta Del Sol』から『Locos y Poetas』直訳だとイカれた奴らと詩人たちという意味。
ホルヘ・パルドはフラメンコ界では誰もが知る存在であるパコ・デ・ルシアのグループのメンバーだったのだそう。
曲としてはジャズ、フラメンコ、アフロペルーが混ざり合ったようなイメージだと思う。


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