不確実性と不健康なコンテンツの魅力
自分は保守派な人間だ。
•一時の酔いに任せて宙にも浮かぶ千鳥足でも終電を逃す事なんかない
•遅刻なんてしない
•古い友達以外のLINEは砕けて話せず堅苦しい文章を打つ
•デートでは行く店の下準備は怠らない
これは自分の性格だし変えれない。自分の世界に近いもの、そこから外れる時は慎重に少しずつしか輪を広げられない。
けど周りにいる好きな友人は真逆だ
•後先考えず欲望のまま積極的に繁華街でボッタクられに行く
•ろくに英語喋れないくせに外国人にナンパする
•入った事のない会員制の店に入店交渉する
•宿も決めずに海外にとりあえず向かう
•サイコロに従って行き先を変える
•普段全くタバコを吸わないのにシガーバーに連れ回される
•その場限りの人と酒盛りだったり親密になったり
•ルールもわからないギャンブルに付け焼き刃の知識で大いに勝負する
手を引かれながら、知らない道に踏み込む勇気を与えてくれる人はとても心地が良い。
それがアングラな領域でも。
日常は社会全体のことを考えない人間の自由は制限してもかまわないという風潮があったり、
「健全・健康な公共空間」が強制されて人びとの社会やコミュニケーションでそれから外れるものを拒絶する。
「不健全・不健康なコンテンツ」は表に出たら凶弾され、非難される。
そんな正しさに満ちた生活の中に、合法的に外れた道を体験できる友達が沢山いる。
それは知ってる世界を教えてもらうのではなくお互いが初めて道の世界に飛び込むことが殆どだ。
益のないものが許されない世界は地獄だし、それを認めてくれる人がいないとやってられない。
そんなアホなことをやれる周りが最近愛おしくてしょうがない。
自分の好きなことは社会的に意義のないことを実践することだと思ってた学生時代からあまり進歩がない気がするけど、その延長にある幸せをまだ感じていて、過激さが歳を食うことによって可愛いものになっていっても続いて欲しいと思う今日この頃。
社会人になりたての頃に、組織の最下層にアサインし従順であれとの圧力でテストステロンが減少し、誰からも求められない毎日を送っていたときとはえらい違いだ。