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愛すべきDaniil Medvedevを想い、選手のメンタルヘルスを考える

先日、こんな記事がネットに踊った

6/7現在、クレーコートに対応できず全仏で一度も勝てていなかったはずのダニールがベスト16までコマを進めた。

ノヴァーク、ラファ、ロジャーがトップハーフに割り振られ、潰しあう構図の中でダニールはトップボトムにいる。ノヴァークが決勝に行けず、ダニールが決勝に行けば世界1位が確定する。

客観的に見て、その可能性は限りなく0に近いが、トップに上り詰めた後に騒ぐなんてファン失格なのでこの段階で愛すべきダニールへの思いを簡潔にnoteに書き殴ろうと思う。

新しい悪役?いや、彼は悪役から本当のプロフェッショナルへ変貌する過程にいるだけだ

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・長身の線の細い体からは想像できないようなタフなフットワーク
・首に巻きつけつような独特のフォロースルー
・戦術の幅の広さを感じるクレバープレー

プレー自体も魅力だがここまで自分がダニールに肩入れするのはコート外の          立ち振る舞いやプロ転向までに至る経緯、その葛藤を垣間見てしまうからだと思う。

2019年の全米オープンを切り取る(結果は準優勝)
テニス界でも手ごわいニューヨーククラウドも悪く作用した。

・レイトコールに不満を持ちボールパーソンから差し出されたタオルを強引に奪い、威嚇する→罰金5000$
・観客のブーイング後、審判に隠れて中指を立てる(後程モニターでばっちり放送される)→罰金4000$

ブーイングされっぱなしの試合後に観客へ皮肉を放つダニール

その後の試合も勝利、しっかりと観客を煽り、ブーイングのシャワーを嬉しそうに浴びるダニール

このような振る舞いを肯定するわけではない。
ただ人間味が出ていてダニールの心理状態がよくわかるから感情移入してしまう。
ビック4を含めたトップレベルの対戦はこのような振る舞いは相手へ隙を与え、圧倒的に不利に働く。
であるにもかかわらず、圧倒的にダニールは強い。
試合下の感情のコントロールは爆発させるくせに、勝った時は感情を顔に出さない。
本当に自分とは真逆だからこそ、意味不明で好き。

ダニールのことを圧倒的に好きになったインタビューがある。

「もっとテニス選手としてプロフェッショナルになろうと決意したのは3年前だ。その時でも100位に入っていたし、たくさん練習もしていた。だけど、コートの外では夜遅くまで出歩いていたり、細かいことには気を使っていなかった。そういうことは成績には関係ないと思っていたけど、年齢を重ねてコーチとたくさん話すうちに、もっとプロフェッショナルになるべきだと考えた」
そうして、試合の2日前でも友人たちとバーに行ったり、夜通しテニスゲームをしていた行動を改めた。「11時には寝て、早起きして朝ごはんを食べる。こういう生活をすることになっても、もっとプロフェッショナルでありたいと思ったんだ」。他にも様々な行動を変えたことで、見事に結果として表れた。だからこそ、今のスタイルを変える気はないと言う。

これは.....まさにモウリーニョの哲学そのままだ。

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モウリーニョは選手には常にプロフェッショナルであることを求める。それは試合や練習以外のときでも同じで、休養日に家にいるときでもプロ意識を要求している。一方で、私生活が充実して初めて選手としての職業が成り立つことも理解している。

彼のポテンシャルはプロフェッショナルでなくても、あふれ出る才能でプロスペクトとして名があがり、結果も出てしまった。
本当のプロフェッショナルへ心身ともにあと一歩のところにいる。

「今年のクレーは最高だよ」

勝ち上がったときのダニールの言葉の一つ一つが素敵で心躍りする。
頑張れダニール


PS:
大阪なおみ選手の会見拒否について思う感情がある。
アスリートは競技としての「強さ」とメンタルの「強さ」を求められ、どんな形でもメンタルとしての強さを演じる必要がある。
彼女は「会見拒否」という形で強さを演じることから降りた。
プレーの中でのメンタルの「弱さ」こそ、審判への反抗であり、観客への煽りであると思う。

テニスは競技としてのメンタルの強さを最も求められる孤独なスポーツ。
男子は5セットのタフな試合でメンタルコントロールは容易ではない。
今の厳しすぎる警告ルールの中ではかつてのマッケンローやロディックはトップに上り詰めるのは不可能だっただろう。
ダニールやニックが目立つけど、昔はもっと酷い選手はいくらでもいた。

もう少し、警告の基準は緩くなってもいいと思う。
ポイントペナルティを課して、紳士なスポーツを担保するなんてなんか嫌なんだよなぁ


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