雨の日は雨を聴く|日日是好日
5/1
初夏のような暑さの続いた4月下旬。もう5月に入ったかと思ったら、今日は朝からしとしとと雨が降り肌寒い。
ごくおだやかな雨の音。
鶯だけが雨のなか仲間を呼びかけている。
寒いのでつけたストーブの、ゴーという肌あたたかな音。
目ばかり使っている身体をやすませるために天が降らしてくれているような、やさしい五月の雨。
こんな日に、この本をふと手にとった朝の自分に感謝したい、そんな一日でした。
『日日是好日』は、作家の森下典子さんが大学生の頃に出会ったお茶の世界を、その後の二十五年間をとおして少しづつ発見していく、その軌跡を描いたエッセイです。
私はこの本を、映画から知りました。映画を観て、感動して、本を読んで、うわーっとなったのを覚えています。
素直なことばに触れると、心ってこんなに動くんだ・・・。
滝のような雨の音。暑い日のつくばいの水音、清潔な炭の匂い、濃茶の濃厚な深い味わい、茶室にしずかに響く「松風」の音・・・。
出会ったことのない、でも懐かしいような五感に満ちているお茶の世界。ページを開くだけで、雨の匂いがむっと迫ってくるような、茶室の緊張感が肌に感じられるような、そんな感覚にみちびかれます。
森下さんの語るお茶とは。
何度も何度も、ひたすらにお点前を重ねる。
「やることなすこと、いちいち細かく注意され」ながら、手が覚えるまで、何年も、何十年も。
お茶の「形」を懸命にこなしていくうちに、知らず知らずのうちに体感される、「今ここにあること」。細胞が目覚めさせられるような、その気づきを森下さんは年月をかけて経験していきます。
先生は、集中できずにいる森下さんに、「心の入れ方」を伝えます。農茶を練るときは、「岩絵の具をとくような気持ちで」。どれくらい練るのかは「お茶に聞いてごらんなさい」と・・・。
岩絵の具とはなにか、お茶に聞くとはなにか、わからぬままに農茶を練っていると、「お茶の葉が目覚める匂い」そして粉末とお湯が結合して変化していく微細な感覚を、茶筅を立てる指先から森下さんは感じ取りはじめます。
先生は、心のことはなにも言葉にしません。ただひたすらに、お点前の作法を伝え、細かい間違いを正していく。
そして、生徒ひとりひとりが、それぞれの気づきを、器の満たされたタイミングで経験していきます。掛け軸の意味はなんなのか、お茶とは、生きるとは・・・。
学校では、試験の答案欄に書くべきものは「ひとつの正しい」答えだけ。でも、人生を生きようとするとき、答えを出そうとする姿勢はむしろ邪魔になります。
答えのないもの、答えを出す必要のないこと、人生にあふれたそういうものごとを、そのままのかみくだいて自分の血肉にしていく。それが生命というものだから。
本の後半で、森下さんは実のお父様を亡くされます。そのできごとから森下さんは、長年、掛け軸のなかに見てきた「一期一会」という言葉の意味をついに理解します。
気づくという痛み。
逃げ出してしまいたいようなときでも、ここに座り続ける覚悟。
そんな内面の動きは、人生をガラッと変えることもありません。言葉にできないし、試験にも出ない。
だけど、そのちいさな積み重ねこそが、自分になっていく。
そして、人を幸せにすることもできるようになっていく。
なぜなら、「いまここにいること」とは、人を愛する術だから。
私の前にはまだまだ先の長い「気づき」の道が待っているけれど、急がずに、一瞬一瞬を大切に、自分だけの道を歩んでいこう。
なにはなくとも、いまこのときに心を入れていこう。いまここにある幸せを百パーセント味わうために。