無駄のあふれる社会
社会に無駄があったらダメだろ。
そう思ったかもしれません。でも、少し考えてみると私たちが暮らしている現代社会は無駄であふれています。
芸能、報道、金融、広告、SNS、お酒、ゲーム などなど
これらはヒトが生きていくうえで必ずしも必要なものとは言えないでしょう。
私もこれまでスポーツが好きでスポーツに関わる仕事をしてきました。スポーツもまた生きていく上では「無駄なもの」です。
今ある仕事の多くはヒトが生きていく事とは関係のない無駄なものです。食べ物を育てている方でも仕事の全てが必要なものではなく「美味しいもの」を提供する部分はヒトが生きていく事からは「無駄」になります。
しかし、今の日本は仕事を「しなければならない」と過度に自分を追い込んでしまったり、自分の行っている仕事は「価値の高いこと」なんだとポジションを取ったりと生きるのに息苦しさを感じることあります。これは無駄な仕事はしてはいけないとの空気が引き起こしているのではないでしょうか。ですが
「無駄」は絶対に悪いものなのでしょうか?
無駄があるということは「豊かさ」の裏返しだと思います。無駄は豊かな社会でなければ許されません。「美味しい食べ物」などは豊かだからこそ味わえる楽しみです。無駄を悪いことと決めつけるのではなく、無駄に隠れている「楽しさ」にも目を向けていければこの息苦しさが和らぐのではないかと思っています。
私は現在、中学生・高校生向けのバドミントンの大会を7年間主催しています。この大会では体育連盟の大会で出場機会が無かったり、十分に試合が出来ない選手を主な対象としています。
たまたま知人に同様の大会を開催している方がいて真似をしたのがきっかけだったのですが、この大会では今までスポーツの楽しさを味わえなかった選手にもスポーツの魅力が届くと思えました。高校卒業と同時に競技から離れてしまった人が社会人になっても趣味として続けてくれるのではと思いました。
スポーツの魅力は「楽しい」ことだと思っています。Allympic活動はスポーツを多くの人が楽しめる社会を目指しています。生きていくうえでは無駄なスポーツを「楽しい!」という理由だけで行える社会がいいなと思っています。
また、同様の無駄があふれる社会だったらいいなと思います。
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