ハイコンテクストなCM
お月見シーズンに合わせて某ハンバーガーチェーンが、かぐや姫を主役に据えたCMを放送していた。CM冒頭のシーンで、月を見て物思いにふけるおじいさんに、おばあさんが「また姫のことを考えてるんですか」とたずねる。調査したわけではないが、このシーンを見たほとんどの日本人が、まだかぐや姫が登場していないにもかかわらず、CMが「竹取物語」をモチーフにしていることに瞬時に気づくだろう。同時に、ほとんどの外国人が、このCMを見ても「昔風の着物を着た日本人が3人しゃべっている」と思うだけで、何が何だかわからないだろうと思う。
このように、「日本人だけがわかる」文化的な背景に乗っかったCMが、近年多いように感じている。シリーズ化した大手電気通信事業者「三太郎CM」(桃太郎、浦島太郎、金太郎ほか、昔話のキャラクターが次々と出てくる)の好感度は極めて高かったそうだ。(ちなみに、同僚のイギリス人に、このCMについて尋ねたところ「よく見るCMだけど、何をしてるのか全くわからない。」と言っていた。)信長や秀吉も、よくCMで見かける気がする。
日本語のコミュニケーションは極めて「ハイコンテクスト」だと言われる。
「ハイコンテクスト」とは、前提となる知識や文化、つまり「暗黙の了解」が多いことを意味する。日本は、母国語としての日本語話者が占める割合が極めて多く、同質性の高い文化を有するため、必然的にそうなったのであろう。主語を省く、名詞の単複を明示しない、という日本語の特徴にも、「ハイコンテクスト」ぶりが表れているそうだ。
CMの限られた時間内で視聴者の共感を呼び、メッセージを伝えるためには、この「ハイコンテクスト」なコミュニケーションの特徴を利用するのが理に適っているのだとは思う。しかし、日本社会は確実に多様化しており、また、インバウンドの増加もあって、同じ知識や文化が「前提」とはならなくなっている。国内向けのCMとは言え、グローバル企業が「日本人なら、わかるよね?」というスタンスで打ち出すCM戦略が、果たして今後も効果的なのだろうか。