「ツイてない」は私の辞書にない
数年前、ある人に「ツイてないね」と言われたことがあった。入院、手術、その後イレウス(腸閉塞)になり、しかも重症化。1週間ほどの予定だった入院が、3週間にもなってしまったときだ。その数ヶ月前から、いろんなゴタゴタが続いていたので、慰めるつもりでその人は言ったのだろう。
けれど正直言うと、そう言われたとき私はすごく驚いた。
「ツイてない!?」
私の辞書にその言葉はない!たぶん、それまで1度も自分が「ツイてない」なんて思ったことがない。ということに気づいたのだ。これで「ツイてない」なんて言ってたら、私のジェットコースター人生、目も当てられないぞ!というか、「ツイてない」なんかで済ませない!
個人的には、起こること全てに意味があると思っているので、一見マイナスに見える出来事でも、「これは自分にとってどんな意味があるのだろう?」と考えてしまうクセがある。
恐らく第三者から、不幸の真っ只中にいると思われているときでさえ、自分が不幸だと思ったことはない。もちろん、その最中は目前の問題に対処することに精一杯で、そんなこと考えている暇もないわけだけど。嵐のピークを過ぎたところで思うことって、「どういうことなんだろう?」なのだ。
何か間違ったのだろうか?
このことで何が変わるのだろうか?
そんなことをマジで考えてしまうのである。
答えがあるとは限らない。でも、後になって納得できることって意外と多い。それは数ヶ月後だったり、あるいは数年、数十年後だったりするのだけど、ある日突然「あぁ、そういうことだったのか!」とすごく合点がいくことはいっぱいある。
「あの出来事があったからこそ今がある」
そういう積み重ねは、歳とともに増えていく。すると、人生ってなかなかに面白いもんだと思えてくる。
人生って悪いことばかりでもないし、良いことばかりでもない。ちゃんとバランスはとれているもんだ。陰があるから陽がある。光があるから影がある。よく言われる話だけど、片方だけが存在することはありえない。陰を深く知るほど、それだけ陽も深く味わえるのだろうと思う。
一山越えたら次はお楽しみ。
経験は・・・人を強くする。優しさを知る。脳天気にする。そんな循環を大事にしたい。