
信頼できない語り手たちの信頼できる狂気——『ミウ -skeleton in the closet-』を勝手に深読みしてみる
(ネタバレあり)乙野四方字先生の『ミウ -skeleton in the closet-』を読みました。
ライトなミステリ、といった風情の作品であり、実際そうなのだと思うんですが、『僕愛』『君愛』や『正解するマド』といった四方字先生の過去作品群を読んでしまっていると、もはやそのままライトに読めない自分がいるんですよね。何かギミックがあるのではないかと勝手に勘ぐってしまう。
作中ではある殺人事件が提示され、最終的に犯人とその犯行動機やトリックが鮮やかに曝かれて、物語はきれいに収束します。ですが、作品のあちこちにばら撒かれた思わせぶりな部分がどうしても気になってしまうんです。これらは、何かの伏線なのか? それともただのデコイなのか? この作品全体が叙述トリックなのではないか?——そんな風に好き勝手に深読みして何重にも楽しめる作品だと思うのですが、そういう変な読み方をしてる人をほとんど見かけない気がします。
そこで、この記事ではそんな「勝手な深読み」を書き連ねてみることにしました。何度も念押ししますが、これは幻覚に限りなく近い妄想でしかありません。恐らく作者はこんなことは一切考えていないでしょう。作品内の手がかりから論理的に導けるものでもないため、「考察」にもなっていません。無関係な事象に勝手に意味を見いだしてそこに物語を生成してしまうヒトの性が暴走した結果です。そして自分がミステリ初心者であることも相まって、勝手に自分が捏造した謎は結局解けていません(たぶん問題設定自体が間違っている)。ですが、今後も考え続けていつか自分の中で一貫性のある解釈ができるようになると良いなあ、なんて思っています。
そして誰も信じられなくなった——だまし合いの反復構造
本作品が特徴的なのは、何重にも畳み掛けるようなだまし合いの反復です。一見、作中で発生する「原下沙織転落死事件」がこの物語のメインであるかのように見せかけながら、実はこれはサブプロットにすぎません。もっと大きな「だまし合いの応酬」の中でたまたま起こってしまった事件でしかないのです。登場人物が相互に論破し合う知略ゲームは、乙野先生のデビュー作『ミニッツ』シリーズを思い起こさせます。
次々と新たな真実が提示され、そのたびに読者は翻弄されます。作中で誰かが誰かを騙している箇所を並べてみると、主要なものだけでもこんなにたくさんあります。
田中奈美子は作文やTwitterでいじめについて思わせぶりな嘘を書いた
千弦は田中奈美子のアカウントを乗っ取った
彩はA子という仮名で田中美奈子にDMを送った
如月海羽は千弦の原稿を盗作した
マキは葬儀で田中奈美子の名前を詐称し、香典の金額で仕返しをした
彩は原下さんを突き落とした後、カラオケボックスに行きアリバイを作った
マキは変装道具を用意し、原下さんの名を騙ってホテルにチェックインした
美夢は死亡した中田美奈子の代わりに、田中奈美子という人物を作り出し、作文やTwitterアカウントを捏造した
これらの欺瞞は、基本的に自供されるのではなく千弦や美夢が言い当てる形になっていて、読者は驚きと爽快感を何度も味わえる仕掛けになっています。主要な登場人物がほぼ全員誰かを騙そうとしていますね。田中奈美子(というか中田美奈子)なんて美夢、千弦、マキ、と3人もの人間に詐称されているわけで非常に気の毒です。もはや誰も信じられなくなってきます。
やたらと思わせぶりなことばかりいう美夢は、果たしてどこまで真実を語っているのか、あやしいものです。そして、一人称主人公である千弦でさえも、もしかしたら「信頼できない語り手」なのではないだろうか、という気がしてきてしまいます。だって、二人とも、小説のためなら何だってやる人種だからです。
最終的にこの疑念はすべて作者に向かいます。
この物語はどこまで(作中世界において)真実なのだろうか?
読者はライトなミステリに騙されているのではないだろうか? もっと大きな物語構造が裏に隠されているのではないだろうか?
作者はどこまで仕込んでいるのだろうか?
こんな風に勘ぐってしまうこと自体、作者の思うつぼかもしれませんね。
余談ですが自分はこの作品を読んだあと、「田中奈美子」の Twitter アカウントを本気で探しました。この作者ならそのくらいの仕込みをしていてもおかしくないなとw 実際、登場人物のなりきりアカウントを公式に開設している作品って結構ありますし。探し方が悪いのか見つかりませんでしたが……。さらに、自分が美夢のように「田中奈美子」のアカウントを開設してそれっぽい書き込みをしてみようか、と一瞬血迷いましたが、やめました。仮にもしやるとしたら、やはり一読者ではなく公式にやっていただけるとうれしいなあ、と……。
あまりに思わせぶりな美夢の「嘘日記」
美夢は作中でいろいろな不可解な行動をしていますが、その多くについてはその動機や目的が最終的に明かされます。それらは基本的に「小説のため」。存在しない田中奈美子という人物を作り出し、Twitterアカウントを開設したのも、千弦の原稿を盗作したのも、父親の死体を写真に撮ったのも、すべて小説のためという見上げた作家根性です。作家でない自分にも、そのメンタリティはどこかわかるような気がします。
ですが、一つだけ、彼女の異常性として片付けてしまうにはあまりに情報量が多いエピソードがあります。それは、美夢の「嘘日記」です。
四月三〇日、今日から東京。Cの家に泊まる。Kの不在証明。クローゼットに鍵。証拠品の可能性。明日はCの仕事中に鍵を探す
怪しすぎる。思わせぶりすぎます。しかも美夢はこの日記をわざわざ目立つところに置いて、明らかに千弦に読ませようとしているのです。それでいて、作中ではこの日記の内容に関する謎解き要素は一切語られません。Cが千弦、Kが切小野美夢もしくは如月海羽だろうということくらいしか推測できません(イニシャルがC、Kの登場人物は他にはいない)。「小説のネタになりそうだから」というわかったようなわからないような理由が語られるのみです。
すっかり疑心暗鬼になってしまった自分は、ここでまた思ってしまうのです。
本当にそれは、美夢のエキセントリックな作家根性をただ示すだけのエピソードだったのか? 何か重要な情報なのではないか? 何しろ「クローゼットの鍵」という、タイトルにもなっている重要キーワードがそこには含まれているのだから。
最初に断っておきますが、自分はまだこの日記に隠された謎を解けていません。いや、謎なんて元から存在しないのかもしれません。でも、あえてここは深読みを続けていきます。だって楽しいからね!
「Kの不在証明」とは。不在証明——いわゆる「アリバイ」ですが、C(千弦)の家に泊まることがアリバイとなった? 何に対するアリバイ? 何のために? さっぱりわかりません。この時期は原下沙織殺人事件も進展はないし、美夢が千弦の家以外の場所でこっそり何かをしている素振りはありません。謎すぎます。
では「クローゼットに鍵」とは? 証拠品とは? 千弦自身が語っているように、物理的には彼女の部屋のクローゼットに鍵はかかっていなかったはずです(千弦の言い分が正しいと仮定すれば、ですが)。なのでこれは精神的な鍵、比喩としての鍵なのかもしれません。千弦が作中で何度も触れているような、「内輪の秘密を隠した扉」や「モノクロの現実から異世界につながる扉」の鍵。それを美夢は開こうとしているのではないか?
だけど、それ以上のことが結局わからないんですよね……。もしかすると『藪の中』的な答えのないリドルストーリーでしかないのかもしれませんが。
この「鍵」の件については後ほどもう一度触れたいと思います。
作中作『夜神楽花火』はこの作品の映し鏡か?
作中作として登場する『夜神楽花火』。これも大変思わせぶりな要素を多数含んでいます。
作者である如月海羽は「前書き」でこんなことを書いています。
そもそもこの小説は、正確に言えば私の作品ではない。亡くなった親友が途中まで書いていた原稿を見つけ、私が手を加えて完成させたものだ。
初読時は「ふーん、そういう体の作品なのか」とたいして気にもとめなかったこの部分、一通り読み通した後となってはもはや看過できなくなります。
なぜなら「私の作品ではない」のも「(亡くなってないけど)親友が書いた原稿を見つけて完成させた」のも如月海羽にとっては紛れもない真実であり、この小説は千弦が書いた原稿の盗作だからです。美夢は、千弦にだけわかる方法で、真実を自白していたことになります。
この「自白」が千弦の中学時代の原稿の時点ですでに盛り込まれていた筋書きの一部なのか、それとも美夢が盗用したのがあくまで本編のプロットだけで前書きは自分自身の言葉なのか、それはわかりません。だけど、すでにこの時点で『夜神楽花火』がただの大ヒット小説ではない、巧妙に「仕組まれた」作品であることがわかります。
そして、乙野四方字先生はメタ要素に定評のある作家なだけに、どうしてもこの構造がこの作品自体にも外挿されているのではないか、と勘ぐってみたくなってしまいます。『夜神楽花火』は、『ミウ』の映し鏡なのではないだろうか。『夜神楽花火』についての記述は、実は『ミウ』にも当てはまるのではないだろうか、と。そもそも『夜神楽花火』は「地方の伝記が絡んだ殺人事件にメタ的な視点を織り込んだ意欲作」とされているのです。小説内にメタ的という言葉が出てきたら、もうそこには実際にメタがあると思っていい(暴言)。
この前書きの存在により、読者は「この小説はノンフィクションなのか?」というところから考えることになる。
まったく同じことを本作『ミウ』についても思わず考えてしまいます。「この『ミウ』はノンフィクションなのか?」 考えれば考えるほど、作中作と本作と現実という3つのレイヤーの境界がだんだん溶けて疑わしくなってきます。この感覚、まさに四方字先生の『正解するマド』を読んだ時と同じものです(あ、ここでいう「現実」「ノンフィクション」は『正解するマド』でいう「ナンメネルク」レイヤーを想定していますが、それすらも実は怪しいかもしれない)。
実際、美夢はこんなことを言っています。
「警察には黙ってる。その代わり、この事件を小説に書かせて」
そうしてできあがった小説が、実はこの『ミウ』なのかもしれない。千弦のストーリーテリングと美夢の文章力が合わさって作り上げた作品なのかもしれない。美夢が「小説のため」というとき、それは「この『ミウ』という小説のため」だったのかもしれない。なんて無限に妄想が膨らみます。
それは本当に「真相」だったのか?
こうなるともう、この部分も見過ごせません。
なので、この小説の後半において語られる真相は、前半に起こる事件の真相を正しく解き明かしていると保証できるものではない。
もしも私が気付けなかった真相にお気づきになったなら、ぜひ教えてほしい。
小説の後半で明かされるのとは別の真相があるに違いないと、一時はネット上で様々な推理合戦が繰り広げられたという。その戦いの痕跡は今でも確認することができる。上手いやり方だ、と思う。
だけど、そんなのすべてどうでもいい。
その前書きを読んだだけであたしは、おそらく、読者の誰もが気づいていないであろうこの小説の真相に、気づいてしまった。
『夜神楽花火』は『ミウ』の映し鏡だとしたら。『夜神楽花火』で書かれていることが『ミウ』にも適用されるとしたら。
ここで『ミウ』の「後半」、第五章のタイトルを見てみましょう。
——「真相」。
よりによって、あまりに直截的な、他の章と比べても異質なそのタイトルに一気に疑念が湧きます。
素直に考えれば「真相」とは、第五章で明らかになった原下沙織殺人事件の全貌を指しているのでしょう。美夢の鮮やかな推理には満足したけど、そのトリックも犯人の動機もどちらかといえばわりと普通の部類で、よくできているけど特にミステリとして舌を巻くほどではなかった、と正直思う。香典の謎も早い段階からわかってしまったし。
だけど。あまりに綺麗に予定調和的に片付いてしまったからこそ、僕らは思ってしまうのだ。
——それは、本当に「真相」だったのだろうか?
「この小説の後半において語られる真相は、前半に起こる事件の真相を正しく解き明かしていると保証できるものではない」という一文。これは、如月海羽から作中読者への警告ではなく、乙野四方字から我々への警告なのではないか?
そんなわけで、サブプロットとしての原下沙織殺人事件の「真相」ももはや信じられなくなってきている自分がいますw
「どこにもいない」のは誰か?
では、本当の真相は何だというのか。さすがにそれはわかりません。あまりに手がかりが少なすぎます。
だけど、美夢ならやりかねない。僕らはいやというほどそれを思い知らされています。美夢なら、第五章で一件落着したと思われた殺人事件も、いや、終章で明らかになった事実さえも、美夢の仕込みなのではないか。小説のためならそれだけのことをやる人間なのだから。そう、『ミウ』という小説のためなら。
乱暴を承知で、ここではあえて荒唐無稽な妄想をしてみます。
たとえば。『夜神楽花火』はノンフィクションのような体裁で語られた創作でした。
同様に、千弦の一人称視点で語られている『ミウ』が、実は美夢——ミウの創作だったとしたら。
田中奈美子が存在しなかったように、池境千弦もまた、存在しなかったとしたら。
終章のタイトルにあるように、彼女もまた「どこにもいない」としたら。
あるいは逆に、切小野美夢のほうが存在しなかったとしたら。
すべては創作を続ける中学時代の千弦が書いた物語だったとしたら。
ここで、嘘日記の一節が不意に思い浮かびます。
「Kの不在証明」。
いわゆるミステリ用語としての「不在証明」ではなく、本当に「Kが不在である」ことを示しているのではないか——。
だって。
目の前にいるミユを、どこにもいないミウの名前で呼ぶ。
「どこにもいない」のは、ミウなのだから。
千弦自身が、そう、語っているのだから。
……とまあ、さすがにそれは考えすぎかもしれません。何の根拠もないし、やっぱり千弦も美夢も、普通に作品世界に実在していてほしいなと思える、とても魅力的なキャラですもんね。
でもそんな妄想を考えてしまうくらい、この作品は読者の先入観を執拗なまでに何度も問い直してくる、そんな小説だと思っています。
きっとこれは「千弦を生き返らせる」物語
千弦と美夢が作品世界で実在していたとしても、『夜神楽花火』にはやっぱりまだもう一つ、気になる部分が残っています。
この小説を、今は亡き私の最愛の親友に捧ぐ。
(中略)
もしも私が気付けなかった真相にお気づきになったなら、ぜひ教えてほしい。
それが彼女への、何よりの手向けになるであろうから。
そう、『夜神楽花火』では、元の原稿の作者が亡くなっている、という設定なのです。
『夜神楽花火』は美夢が千弦の小説を盗作して執筆したのですから、そのまま素直に解釈するとこの設定は「千弦が亡くなった」ことに相当します。実際には千弦は普通に生きていますし、「正気を失い、幼子のごとく振る舞うようになっていた」なんてこともありません。美夢も別に千弦が死んだと思っていたわけではないはずです。これはあくまでフィクションとして話を面白くするための脚色であって、田中奈美子のTwitterアカウントに実在性を付与する行為と同種のアレンジだと思っています。
だけど。
美夢が「今は亡き最愛の親友」という設定を置いた裏には、意識下か無意識下かはわかりませんが、彼女の千弦に対する複雑な感情があったように思えてならないのです。
千弦は中学時代、美夢の小説を読んでショックを受け、自分の原稿を燃やしてしまいます。そしてそれ以来、完全に創作から遠ざかってしまいました。
美夢にとって、この出来事は「小説家としての千弦の死」だったのではないか。そんな気がするのです。
とんでもなく面白い小説を書く友人が筆を折ってしまった。このことは美夢にとっても少なからずショックだったに違いありません。それこそ、死と同義であるくらいには。しかも、どうやら自分の小説のせいで。
美夢は千弦を断筆させてしまった者として、小説家としての彼女の「死」を悼み、手向けとしてあの前書きを書いたのかも知れない。自分が彼女の原稿を盗作してデビューし、文壇で有名になれば、そんな「死んでしまった」彼女もいつか気づくかもしれない。そんな屈折した一心で。
実際、千弦自身、その事件を評して
もしかしたら、あたしはこのとき、自分で自分を殺してしまったのかもしれない。
自分で、自分の世界を燃やしたんだ。あたし多分、あのときに一回死んでるんだよね。
と述べていて、千弦の自己認識としては実質的に死んだのと同等の状態だったことがわかります。
さらに美夢のほうは、その原稿を拾って自分の小説として売り出した理由として、
「読んでてイライラしたわ。どうしてこんなに文章の下手な人が、こんなに面白い話を思いつくんだ、って。しかもそれを燃やすなんて。だから、私が盗んで書き直したの。あなたが燃やした小説は、こんなにも面白いんだって教えてやりたくて」
なんてことを言ってますが……きっとそれは美夢なりのブラフで。照れ隠しで。
美夢はただ、小説家としての千弦を生き返らせたかったんじゃないかな。
そう、千弦が「田中さんを生き返らせた」みたいに。
美夢は決して本心を語らないように見えます。いつも「小説のため」なんてはぐらかしてばかりです。だけど、逆に千弦の「死んでいる」という台詞が、美夢のクソデカ感情を暗に示してくれているように思うんです。
「でも、あの原稿をミユが拾ってくれて、ちゃんとした小説にしてくれて……夜神楽花火を読んだとき、初めて、あたしがいてもいい世界が本当に生まれたような気がした。なんだか、あのとき死んだ自分が、生き返ったような気がしたんだ」
作中では、「あたしがいてもいい世界」へ千弦を導いてくれる存在の比喩として、クローゼットの鍵が何度も登場します。「あたしがいてもいい世界」は創作の世界、モノクロの世界から抜け出して千弦が千弦らしく在れる世界です。千弦はかつてそれを自ら手放してしまった。だけど美夢と出会って、彼女の編集者として「共犯者」になることで、再びその世界を生きていくことができる。つまり、彼女を創作畑に生き返らせることができる鍵です。
美夢が炎の中から千弦の原稿を拾ったのも。田中奈美子の作文を捏造し、Twitterアカウントを開設して何年間も運用したのも。デビュー作で千弦の小説を盗作したのも。そんな常軌を逸した行動のひとつひとつは、単なる「小説のため」じゃない。きっと「千弦の小説のため」。美夢の文章力があれば燃えてしまった千弦の小説を生き返らせることができるし、それは死んでしまった千弦にいつか届くことを狙ったメッセージなのかもしれない。ただ千弦を生き返らせるためだけのために、美夢はここまでの仕込みを続けたのではないか。
そう考えると、美夢の嘘日記の「クローゼットに鍵」も、千弦が美夢の本当の共犯者になる(=クローゼットの鍵を開ける)ための最後の一押しを探していたのかもしれません。この時点で、美夢が千弦の編集者になることは決定していたのだから、その夢は9割方叶っていたと言っていい。だけど千弦はこの時、田中奈美子が実在しないということにはまだ気づけていなかった。
美夢は、待っていたのかも知れません。
千弦が「真相」に気づいてくれるのを。
田中奈美子の実在性の捏造なんていう奇行の陰にあった自分の本当の〝動機〟に気づいてくれるのを。
それをふたりで共有し、白骨死体としてクローゼットの中にそっと隠すことで、初めて「共犯者」としての契約が完成する。欺瞞だらけの世界の中で、「ミウ」という〝真名〟はきっと契約の証。
終章の第2節には、ただ一文だけが記されています。
そしてあたしは、そのクローゼットに鍵をかけた。
かくて、扉は閉じられ、秘密は隠された。
「あなた、おかしいわ」
そう、千弦はおかしい。美夢もおかしい。そこにあるのは一種の狂気だ。創作という狂気。
すべてが信じられない、そんなこの作品において唯一信じられるものがあるとしたら、それは二人のそんな狂った感情。創作に堕ちていった二人の秘めやかな共犯関係。
仮に美夢の台詞がすべて嘘であり、千弦の地の文がすべて欺瞞であり、すべてが作者の叙述トリックだったとしても。
二人がクローゼットにそっとしまい込んだその感情は、美夢の、千弦の、作者の、そして創作という狂気を志す僕らの心の中に確かに「実在」している。
そんな風に思うのです。
* * *
「スキ」(♡)頂けると励みになります!
(noteのアカウントなくても匿名で押せます)
* * *
いいなと思ったら応援しよう!
