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フィボナッチ数列から感じるガチめのSFマインド——映画『バブル』の雑な感想と幻聴

(ネタバレあり)鳴り物入りでネトフリ先行配信した映画『バブル』なんですが、ネトフリ先行組からは否定的な感想が、映画館組からは肯定的な感想が上がってきてて、なんだこれはどういうことだ?? と思って正直観るかどうか迷ってました。劇場で観ると化ける作品なのかな? お話よりパルクールや映像美が圧倒的なのかな? と。

しかし、どうも「フィボナッチ数列」が出てくるらしいとか『未知との遭遇』のオマージュとなる音階が出てくるらしいと聞いて、ガチSFの片鱗を嗅ぎ取りまして、レイトショーに足を運んでみました。

結果。
ほんとにガチめのSFだったー!

いやこれはSFとして良作ですよー! 自分はかなり好きです。ただ、ストーリー・キャラの詰めや売り出し方については惜しい所も正直感じました。

以下、雑な感想です。ノベライズ、パンフ等は未読です。

ワンダー重視のガチSFマインド

ガチめと言ってもガチなのはSFマインドというか通奏低音的なセンスオブワンダーで、ストーリー自体は『人魚姫』そのものでシンプルです。

自分が魅力を感じたのは人外の知性体とのコンタクトものというオーソドックスなコンセプトと、元々の『人魚姫』の物語が持つ「切なさ」をうまくマッシュアップした点。どこか懐かしい感じのSFに仕上がっていました。さらに、渦や泡にまつわる数式や自然現象、SF作品へのオマージュを散りばめることでSF好きならニヤニヤできる要素満載です。

これに対して個々の登場人物の描写は控えめで、いろいろ過去設定はありそうなものの尺の都合もあり感情移入しきれないまま映画が終わってしまうのでもったいない。特に、主人公ヒビキは感情をほとんど表に出さないのと(聴覚過敏の描き方はけっこう雑かなあと思いました。途中で治ったのか?がわかりにくかった)、ヒロインのウタも人外メンタリティなのでどちらも言動のロジックが弱くてパッと見だとちょっと共感しづらい。感情グラフはあるはずなんだけどいまいち乗りきれないのがちょっと惜しい。まあ自分はこのくらいの描写で十分なんだけど、世間一般的には共感が求められがちなので。

以前、詩人の穂村弘さんが「ワンダー(驚異)よりもシンパシー(共感)が時代の趨勢」ということをおっしゃっていたのを思い出します。

─穂村さんは、2005年の長嶋有さんとの対談で、ワンダー(驚異)よりもシンパシー(共感)が時代の趨勢だと述べられていました。当時と比べて現在、その傾向はどうなっているとお感じですか。

(穂村)その傾向は強くなっているのではないでしょうか。共感というのは、「やっぱりそうだったんだ。」と、何となく思っていたことをズバッとわかりやすく言ってもらう快感みたいなことですよね。それは、自分の現状を肯定してくれるパワーになります。そういう歌が流行りましたけど、「ありのままで」いいんだという。もうみんな、ゼロからトレーニングを積むとか、自分が変化するということに対する余力が乏しくなっていると思うんです。だから、共感という、今の自分の立ち位置のままで補強してくれるエネルギーを欲する。パワースポットとかもそうかもね。けれども、僕の書いている短歌や詩はもともとワンダー寄りのものだから、共感とは相性が悪いですよね。自己が未知のばらばらになることを促すから。


BOOK SHORTS: 穂村弘さんインタビュー

自分はどっちかというとフィクションにシンパシーよりワンダーを求めてしまうたちです。共感の快感ももちろん重要な要素ですが、自分の常識がひっくり返されて世界が違って見えてくる異化効果に弱い。キャラより世界観や物語構造に惹かれてしまう。特にSFはワンダーを大事にするジャンルです。でもそういう作品って世間の評価が割れることも多くて、以前『正解するカド』の感想でもそういうことを書きました。『バブル』も似たタイプな気がします。

『バブル』はちょっといいSF小品の読後感のようなセンスオブワンダーがとても良かったし、キャラを重視しない自分にとってはちょうどよいバランス感覚で、このワンダー偏重な作り方がとてもSF的という気がしました。ただ、ワンダーよりシンパシーが重要視されがちな昨今、キャラの心情描写やキャラ間の関係性を楽しむ人達にとっては、どうしてもキャラの描写が「薄く」感じてしまうというのはあるんじゃないかな(否定派の方々は「空虚」という評が多かったです。まあ実際自分からみても薄味です)。ワンダー派 vs. シンパシー派、物語構造派 vs. キャラ派という嗜好性の違いが、本作の評価が真っ二つにわかれた所以なのかなと思います。

思えば、虛淵氏の作品はどれもかなりワンダー寄りな気がします。それが最良の形で発揮されたのが『楽園追放』と『まどマギ』、あまり良くない方向に行ってしまったのが『GODZILLA』(アニゴジ)かなあ。でもどれもSFとしては極めてオーソドックスな直球王道路線なんですよね。なので自分は例えばアニゴジは登場人物の行動原理とか詰めの甘さにすごくもやもやしたんですが、でもSF部分はすごくツボを突いてくるので、どうしても嫌いになりきれないw(ゲマトリア演算とかエクシフとかさあ…好きでした) 『バブル』もそれに近い感じも受けるのですが、でもアニゴジよりも広くオススメしやすいと思います。

なお、SFとしての読み解きはhomlaさんの2本のレビューがしっくりきました。かなりの古典的SFという評価に同意。「もののあはれ」感もよくわかります(直接ウタに感情移入するのは難しいかもしれないけど、「もののあはれ」は確実に感じる)。そしてSFや理系知識前提で進んでいくストロングスタイル。その意味でもわりと人を選ぶ作品ではありますね。

ネトフリ先行配信は正解だったのか?

劇場公開直後に流れてきた高評価感想のほとんどが、パルクールや映像美ばかり褒めていたので、観る前は「きっとアトラクション的体験が売りの映画なのだろうな」「お話<映像なのかな」と思っていました。

で、観てみたら「映像もすごいけどお話も普通に良いじゃん!」ってなったのですが、上述したようにこう思う層は元来ワンダー重視派、SF好きが多いと思うんです。フィボナッチ数列が出てくるだけでテンション上がるようなニッチなオタク層。彼らはたぶん映画館だろうとネトフリだろうとそれなりに満足はする。

しかし世間はシンパシー派、キャラの関係性に惹かれる層がけっこう多い。彼らにとってはお話部分はかなりの薄味なので、パルクールや映像を楽しんでもらうしかない。であれば、やっぱり最適解は映画館です。しかしそれより先に映像体験としてデグレードされたネトフリで先行配信してしまったのは悪手だったなーと感じてしまいます。配信だと、彼らにとって唯一のアピールポイントであるパルクールや映像美が全然本領発揮できないからです。

配信で満足した人達が映画館にも足を運ぶことを期待していたのかもしれませんが、正直言って先に配信で観た作品を映画館でもう一度観るハードルはかなり高いです(逆に映画館で観た作品を配信で観るハードルは低い)。だとすると、彼らはパルクールや映像美の真価に触れないまま、デグレードした映像体験しか知らずに生きていくことになる。特に先行配信で観るような層はそこそこ興味を持ってくれている人達なので、あまりにもったいない。映像が売りならそれを最上の環境で魅せることを優先してほしかった気はします。とはいえ、もちろん本作品はネトフリ出資なので、ネトフリ側の希望とかいろいろ事情があったのだろうなと想像します。

徹底的に再現された東京とパルクールの親和性

これは東京に土地勘ある人だけに限られてしまうのが惜しいんですが、とにかく東京の街がすごい精度で再現されてて、実在の建物を使ってパルクールしてるのが楽しいです。なぜパルクールしているのかについては結構こじつけ感はあるけど、まあ楽しいのでヨシ。

秋葉原、銀座、新宿、渋谷、お台場、突然の京王バス……。東京タワーはもちろんですが(この手のタワーが壊れる作品はだいたい名作!)、新宿ルミネとか、秋葉原の松住町架道橋とか、見たことある風景で縦横無尽にパルクールしてるの見ると、あのビルをああ使うのかー!とかめっちゃテンション上がる。ニューヨーカーはスパイダーマン観るときこう楽しんでるのかーという感じ。特に箱崎ジャンクションは最高でした。高い建物が多いし土地自体も高低差があるのでアクションが映えるんですよね。電車の車窓に架空の忍者走らせてる人って自分だけではないと思いますがあの感覚です。

ただし重力についてはRiCさんの「重力もっと荒ぶってほしかった」に同意。もっと『さかさまのパテマ』とかみたいに重力方向がめちゃくちゃになってるのかと思ったら意外と普通で、単に個人の脚力と泡の反発力でパルクールしてた感じです。しかし身体能力高すぎ……立体機動装置つけてなくてあのアクションは生身の人間とは思えないw(靴がすごいのかな?) そのわりに東海道線が浮遊してたりするので重力異常はあるんだろうけど、重力の働き方はいまいち謎でファンタジー感がありました。どうせSFに寄せるなら理詰めにしてほしかったかもしれない。

廃墟となった東京の情景は、東京幻想さんのイラストを彷彿とさせますね。

登場人物の行動原理はちょっと弱いかも

登場人物のなかではマコトさんが良かったです。科学者キャラにありがちな変人っぽさとか冷徹さがなくて、科学に強くて常識人でかわいくて頼れるおねえさん。BBのやつらも他のチームもみんな憎めないですね。もうちょっといろんなエピソード観てみたい気がします。ライバルチームのやつが最後に株上げてくるのは良かった。

上述しましたが、尺が短いので全般的にキャラの扱いはあっさりめで、行動原理の説明が弱いなーというところがあってちょっと惜しかったです。「この人、なぜここでこんな行動を!?」というあたりの説得力が弱い。特にヒビキ、こいつは感情を表出させなさすぎて、内心いろいろ驚いたり感じ入ったり決心したりしているようなのだけどちょっとよくわからない。ただ尺は限られているし、すでに説明調の台詞過多な感じなのでなかなか悩ましいですね。もちろん何でも台詞で説明すればいいってもんでもない。余韻や演出で語るのがベストだとは思います。

説明不足をうまく補っているのが、彼らが読んでいる本。いい作品って、登場人物が読んでる本や見てる映画のタイトルでいろいろ饒舌に語ることが多いと思っていて。本作もそんな映画でした。「人魚姫」の絵本はもちろんだけど、マコトさんの本棚ガン見してしまった。宇宙関係が多くてホーキングの本とかあるんですよね。あとロン毛のあんちゃんがこっそり海技士資格かなんかの勉強してるのもよい伏線でした。

あー、これは気づかなかった!

泡と渦とお約束的人外知性体ウタ

オープニングから「宇宙の泡構造」(ボイドとか)がバーンと出てニヤニヤさせられます。そこから銀河系、太陽系、地球、日本、東京のズームインは『パワーズ・オブ・テン』のオマージュかな? この宇宙のいろいろな渦や螺旋のモチーフ(銀河系、台風、DNAを模した階段、ひまわりの種、巻き貝etc.)が何度も登場するのが面白かったです。ていうかむしろ泡より渦がメインなのかも。

ウタ、そしてその元となった泡の知性体(?)については、JR首都圏さんの「長門有希」解釈がめっちゃしっくり来ました(ノベライズは未読です)。あ、長門有希というのは「涼宮ハルヒ」シリーズに出てくる宇宙人です。宇宙の泡とか渦とか螺旋に宿る情報統合思念体みたいなのがいて、その一つが実体化したのがウタなんだろうな。実体化のときめっちゃ受精みたいな感じの映像だった。

「泡知性体が一体何をしたいのか」がよくわからない、というのが本作がわかりにくいと言われるひとつの理由かもしれないですね。まあ自分は「地球外知性体がヒトとは全然違うメンタリティを持っている」作品が結構好きなので、この理解不能な人外感はありだと思います。なぜ泡(姉様)が「怒っている」のか、なぜ東京をめちゃくちゃにしたのか、最後どうなったのかとかは初見だとよくわからず、ノベライズ読んだらわかるんかな?とも思いましたが、あえて異質な知性の行動原理を理解できなくても別にいいかなーという気はしてます。泡の性質とか重力異常とかウタが実体化してる仕組みとかはなんかこうふわっとしてたのでそういうもんだと思って見てましたが(SF読みあるあるの順応の早さ)、同じ宇宙の生命体にしてはちょっと物理法則ねじ曲げすぎじゃね? というファンタジー感はありました。

地球外知性がひたすら本読んで人類のことを理解していくのは、ファーストコンタクトモノのお約束感があって良き良きです(『カド』、『ハルヒ』、『シンマン』、本じゃなくてテレビだけど『コンタクト』etc.)。台詞がほぼ絵本の文章で構成されているのも、感情の言語化に慣れてない人外感があって良かったです。

ウタは実体化する前からヒビキに一目惚れしていて、ずいぶんヒト寄りのメンタリティというか、いやむしろヒト以上に一途すぎて心配になるレベルなのでちょっと現実味がないかなと思いましたが、まあ元々の人魚姫のお話がそうなので……。泡になって消えていくところ、ヒビキが泡をかき集めようとするところは、ちょっと『火の鳥 未来編』のブラドベリイのエピソードを思い出しました。この映画はたぶん、登場人物に感情移入するというよりは、「ヒロインが泡になって消える」という現象そのものにせつなさ・はかなさを感じるのが良いのかもです。

ちなみに、フィボナッチ数列、見てわかれや!……っていう本作のスタンスはオタクと理系以外にはなかなか強気だなあという印象ですね……。知らない方向けにどちゃくそ乱暴に説明すると1から始まる数列で、1個前と2個前の数字を足してそれを並べたものです。

1番目:とりあえず1
2番目:とりあえず1
3番目:1番目+2番目=1+1=2
4番目:2番目+3番目=1+2=3
5番目:3番目+4番目=2+3=5
6番目:4番目+5番目=3+5=8
……

フィボナッチ数列

詳しくはググって下さい(あるいはこちらの記事がわかりやすいです!)。1,1,2,3,5,8,…っていう並びの数字になります。で、半径がこの数字に等しい円弧を並べていくと下の図みたいな渦というか螺旋になります。ウタがこんな感じの渦巻き、メモ帳に書いてましたよね

フィボナッチ数から作られる螺旋(Nicolás Damián VisceglioによるPixabayからの画像) 

ウタがノートに一緒に書いていた数式

$$
F_n = \frac{1}{\sqrt{5}} \Bigg\{ \left(\frac{1+\sqrt{5}}{2}\right)^n - \left(\frac{1-\sqrt{5}}{2}\right)^n \Bigg\}
$$

も、フィボナッチ数列の $${n}$$ 番目の数字(一般項)を表す式でした。フィボナッチ数は花びらの枚数やひまわりの種の並び、貝殻など、自然界にも多く見られるらしいんですが、どれも作中でしっかりフォーカスされてました。日本語すらあやしいウタがフィボナッチ数の一般項をさらっとノートに書いてることで、「あ、こいつめっちゃ高度な知性だな」「渦がキーワードなんだな」ってわからせるマニアックな戦法。伝わってくれ!

追記(2022/6/4):フィボナッチ数列そのものについてはやすきさんのこちらの記事がすごくわかりやすいです!『バブル』にも言及しながら高校数学くらいのレベルで解説してくださってます。

フィボナッチ数列にルート5が出てくる理由

バブルの「音階」にフィボナッチ数列が聴こえた

バブルからヒビキやウタにだけ聞こえてくる「ド・ソ・ラ・ミ」という4音からなる「歌」、あれはやすきさんのおっしゃっていたとおり、『未知との遭遇』へのオマージュなのかなと思います。あちらは「レ・ミ・ド・ド・ソ」の5音でした。どちらもペンタトニックスケール(ヨナ抜き)から選ばれてるのは、やはりこのスケールは数学的に美しいのかな。

で、ここから先は完全に妄想というか幻覚なんですが、自分はこのバブルの4音の中に、劇中でも重要な意味を持つフィボナッチ数列の幻聴を見いだしました(ただのアホです)。

まず、フィボナッチ数列は、1,1,2,3,5,8,…と続いていくということを頭に入れておいて下さい。

バブルの音階はまず「ド」から始まります。これを主音とします。2音目の「ソ」は王道の完全5度で(泡知性体くんもわりとヒトと近い音楽認識なのかな)、「ソ」の主音に対する周波数比は「2:3」。また3音目の「ラ」の主音に対する周波数比は「3:5」。

整理すると

ド→1:1
ソ→2:3
ラ→3:5

あっ……、これは! フィボナッチ数列の数字だ!(強引なこじつけ)

実際には3音目の「ラ」は1オクターブ下なので、周波数比は6:5になっちゃうんですが、まあそのほうが耳障りがいいのは確かです。

あと4音目の「ミ」はふつうに考えると4:5になってしまうのですが、これも1オクターブ下を考えると8:5……。はい、1、1、2、3、5、8……になっています。最後だけ比の順番が逆になっていますがまあ気にしないことにしましょう。あるいは単に3音目に対する完全5度を持ってきたのかもですね。だんだん苦しくなってきましたが気にしません。

この辺りの話、じーくどらむすさんの「音階の数学」という大変面白い記事からの妄想です。ここで紹介されてる五度圏という概念が本当に美しいんですが、五度圏の最初の5音を順に並べると「ド・ソ・レ・ラ・ミ」になるんですよね。惜しい! ここから「レ」だけ抜いたのがバブルの歌ってことになります。「ド・ソ・レ・ラ・ミ」であれば数学的にも美しいんですが、まあ5音になると『未知との遭遇』っぽくなりすぎなので4音にしたのかな? なんて妄想が広がります。この記事の中にも「宇宙人の音楽の音階はどうなっているか」という考察があったりしてついバブルの音楽のことを考えてしまいます。

ちなみにバブルの音階の真相は学校のチャイムから着想を得たそうで、フィボナッチ数列はまっっったく関係ありません!! ここまで読んで下さった方、大変申し訳ありません……。でも偶然にもバブルの音階が美しい整数比で表されてそれがフィボナッチ数列っぽい並びになっているというのは、本作で繰り返し強調される「渦構造のもつ数学的で根源的な美しさ」と通じるところがあるような気が勝手にしています。


以上、ちょっと合わなかった部分も書いていますが、総じて楽しませていただきました。雑なオタク語りでした!

追記:数学に立脚した知性

ウタの台詞が徹底して「覚えた文字列のおうむ返し」(絵本の文章やヒビキの台詞等)なの、ヒト言語でのコミュニケーションに慣れてない知的生命体感があって大変良い(しかも最後だけは自分自身の言葉でしゃべるのエモい)、という話をしてたら、「だからハミングはあっても歌詞はない」というコメントをいただいて、なるほどーと思いました。

泡の群体だから他個体とのコミュニケーションは必要なくて、言語なんてまだるっこしいものとは無縁の生命体だったんでしょうかね。コミュニケーションでなく思索や世界の認識のためにもっぱら彼らの知性があるとしたら、この世界を記述する言語である数学に立脚した知性なのかもしれません。妄想ですが。

だからウタは、言葉がおぼつかなくてもフィボナッチ数列の一般項は一瞬で理解してすらすらっとノートに書ける。ウタの歌も単純な整数比からなるペンタトニックスケールになる。当然歌詞なんてない。

「姉様」のパターンとかも、たぶん関係ないけどちょっとクラドニ図形思い出したんですよね。スピーカーの表面とかに現れる共振パターン。いわば音の可視化。「ウタ」「ヒビキ」という「音にまつわる名前」とも相まって面白いなーと。

このへん、最近観たほかのファーストコンタクトモノでの知性の描き方と比較するとめっちゃおもろいなあと思うのですが、それはまたいずれ。

さらに追記(2022/5/31):公式のこのチョコ味噌汁のイラスト見たんだけど、背景に執拗に描かれる大量の数式とか、「おいしい」に加法が成り立つと思い込んでるあたりとか……なんだよマジで数学に立脚した知性体じゃん!!!! 公式ィ……!!!!!

さらにさらに追記:虚淵さんにはフィボナッチの前科があった…!


(参考)元のTwitterのツリーとふせったーはこちら

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