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渋谷スクランブル交差点脇の植え込みを、スコップを持った一人の男が掘り始めた。

夏の午後、暑い日差しから目を背けてどこも見ずに歩いて行く街の人は、誰も彼に気付くことなく、したがって誰も彼の行動を止めようとしない。

夜になって、スクランブル交差点を中継しているYouTube動画を見ていた人々が、最初に彼に気付いた。

「花壇でなんかしてる」
「緊急事態宣言中なのに人多いな」
「工事やろ」
「穴掘ってるっぽい」
「酔っ払いやっほー」
「まだ起きてる人いる~?」
「落ちます」
「明日も仕事」
「何してんの?」
「[メッセージが撤回されました]」
「穴掘りおつかれ」
「夜勤の休憩中」
「街路樹も植え替えの時期か」
「人多い、密やん」

日付が変わるころ、彼の掘った穴はそこそこ深くなっていて、穴から出た土砂もかなりの容積になっていた。

早朝に、巡回中の警察官が彼の姿をみとめた。しかし、植え込みの中の植物を傷つけることなく注意深く掘っている様子と、土砂は植え込みに堆く積まれ、往来の邪魔にならないようになっていたので、業者が作業をしているのだと思った、とこの警察官はのちに供述している。

朝6時ごろにはスクランブル交差点の中継をしているYouTube動画からでも、はっきりと土砂の山は見えるようになっていて、コメント欄は、もうこの件でもちきりであった。

「穴掘りガチすぎ」
「水道工事?」
「やばくね」
「2mくらいいってる?」
「ガチ勢じゃん」
「土すげー山になってる」
「何時間くらいであんなに掘れんの?」
「人力?」
「警察来ないん?」
「違法」
「やば」
「さっき通りかかったけど掘ってる人イケメンやった」
「工事じゃない?」
「人力であそこまで掘れるのヤバい」
「穴掘りガチ勢おった」
「違法じゃね?」
「結構深いはず」
「法律違反だろ」
「なにごと?」
「何したいの?」
「違法、はやく捕まえろ」

SNSインフルエンサーが数人、カメラを持って現場に駆け付け、素早く中継を始めた。

その中継を見て何らかの衝動に駆られた人々が、スコップを持ってスクランブル交差点へと集まってきた。穴を掘っていた男は加勢が来ると優しく微笑んで下に掘り進めるのを止め、今度は穴を横方向に掘り進め始めた。加勢に来た衆も各々穴に飛び降りると、好き勝手に自分の横穴を堀り始めた。

マス・メディアもSNSでの盛り上がりを見つけ、急いでカメラを担いで集まってきた。

皆が穴を取り囲んで固唾を飲み、ひたすらに穴が掘られていくのを見つめていた。警察官もサラリー・マンも、クラブ帰りのDJも、皆、穴を見つめていた。加勢としてスコップを持って穴に飛び込む人も相変わらず居た。渋谷ドン・キホーテに並んでいたスコップは早々に売り切れた。

9時半になって、渋谷区道路整備課の担当者がやってきた。

「困りますよ!勝手に穴を掘っては」

彼は、かぶっているヘルメットを押さえて、膝をついて穴を覗き込むと、穴の中へ声をかけた。

「勝手ではないんです」

穴の中から静かな声が、反響しながら返ってきた。その声があまりに自信に満ちていたので担当者は一瞬怯み、手許の資料を思わず確認した。そして今日の使用許可申請リストにこの場所の申請がないのをしっかりとみとめると、気を取り直して

「法律に違反するおそれがあります」

と畳みかけた。

「そうですか」

と穴から返事があった。

「穴掘りを一回やめて出てきてもらえますか」

「そういう訳にはいかないのです」

「こまります」

「掘らないとまずいのです」

「困ります…」

それ以降、返事はもうなく、困惑する担当者を押しのけてまた10名ほどのスコップを担いだ衆が穴に飛び込んでいった。

11時ごろ、要請を受けた機動隊が到着した。そのころにはたて穴から無数の横穴が伸びていて、時々、横穴から土が押し出されて、たて穴にボロッと出てくるだけであった。横穴で穴を掘っているであろう人々の姿は、竪穴を覗き込んでも見えなかった。

機動隊はとりあえず穴の周囲に柵を設置して、スコップを担いだ新たな加勢が穴に飛び込むのを阻止し、またやじ馬が穴に転げ落ちないように目を光らせた。

この頃になるとスクランブル交差点には見物人が溢れかえり、混乱のどさくさに紛れて焼きそばやフランクフルトに団子、そしてスコップを売る露店が開いていた。

13時を過ぎると、徐々にたて穴が埋まり始めた。

横穴から排出される土砂が竪穴に溜まり、機動隊ややじ馬の見ている前で、段々と穴は塞がっていって、しまいには元の植え込みと全く同じような平地になり、皆がポカンと口を開けている前には、男がたて穴を掘った分の土砂だけが残った。

「なに?穴が埋まっただと?」
「はい、横方向に掘った穴から排出された土砂でたった今、縦方向の穴が埋まりました。穴の上からですと、人の姿は全く確認できません」

部下から電話で報告を受けた渋谷区の道路整備課課長は、東京都の担当者に電話をかけた。

「そういうわけで、渋谷区にはもう手に負えませんので、責任と管轄を都に移していただきたい」

東京都の担当者も困り果てていた。

「事情は報道等で聞いておりますが、何ぶん初めてのことゆえ、、」

調整は国を巻き込んで難航したが、遭難事故の可能性ということで、穴掘りの衆を「要救助者」扱いで引っ張り出せ、という出動要請が総務省経由で東京消防庁に下った。

レスキュー隊はだいぶ前から現場にいたが、いざ命を受けて、たて穴を再度掘り返してみると、横穴が本当に無数に掘られ、また中で複雑に分岐しているせいでどこの穴に人がいるのか確認できないことが判明し、この作戦は一旦休止となった。

そうこうしているうちに、せっかくレスキュー隊が掘ったたて穴はまた、どこからともなく横穴から出てきた残土で塞がってしまった。

16時過ぎ、110番には「穴を掘っている人がいるんですけど」という通報がどんどん入るようになった。スクランブル交差点の穴掘り報道を見て、無性に穴を掘りたくなった人たちが、ところかまわず穴を掘り始めたのだった。

全国各地で穴を掘っている人は、全国各地の警察官の数よりも多かったので、穴掘りが法律違反だったとしても、国家権力には対応しきれなかった。人手が足りないため、実際に法律を執行する手段がなかったのである。



数日経った後、スクランブル交差点に積み重なっていた土砂は、その後の雨で徐々に流されていった。
植え込みの穴の痕跡も消えて、今ではもうどこに穴があったかも分からない。

その後、都内では突発的に地面から温泉が噴き出す事件が3件ほど起きた。また、住宅の床下に急に小さな山ができた事件も2件ほどあった。
いずれも一連の穴掘り騒動との関連性は定かではない、と警察は発表した。



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