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眼科(幼少期の思い出①)

 私は物心ついた時から両目ともに遠視であり、斜視もあったので、尼崎にある大病院の眼科に定期的に通わされていた。二つ上の兄も私同様に目が悪く、二人が幼少の頃から、母と兄、3人で連れ立って馴染みの病院へ行くことが恒例となっていた。その病院は、通いはじめて何年か経った頃にキレイに改装されたが、建て替わる以前は、いかにも昔ながらの大病院らしい陰気さが院内に充満しており、毎回行くのが憂鬱だった。しかし、この定期的な遠出は非常に憂鬱なものでありつつ、実は毎回楽しみでもあった。それについては後で述べることにする。

 別段痛みを伴うような治療をされるわけではないのだが、子供にとっては病院や医師というのは明らかに恐怖の対象であった。入り組んだ長い廊下とそこに並ぶ診察室のドア、すれ違う覇気のない病人たち、辺りに漂う臭気、そこかしこにある得体の知れない医療機器や薬品、それら全てから、外界には無い負の空気を感じ取っていたものだ。

 診察の中で、どうにも苦手だったものがある。それは目薬である。眼底検査を行うために事前に瞳孔を開く目薬を差されるのだが、この目薬をすると瞳孔を調節する機能が失われ、開きっぱなしになるので、辺りが白くぼやけた視界になる。暗いはずの院内ですらとても眩しい。数時間で元に戻るのだがこれがなんとも言い難い奇妙な感覚なのでとにかく嫌だった記憶がある。

 しかし、すべての診察が嫌いだったわけではない。中にはとても好きで楽しみにしていた診察がある。恐らく斜視の度合いを調べる検査だと思われるが、それはテーブルの上に設置された双眼鏡のような器具を使って行われる。私は医師による一連の検査を終えると看護婦さんに導かれて、診察室の一角にあるイスに座らされる。テーブルに設置された双眼鏡状の器具を覗くと、視界の右手には鳥のイラストが見え、視界の中央には鳥カゴのイラストが見える。その器具の横手にはハンドルが付いていて、そのハンドルを回すと鳥が左右に移動する。私はその鳥を動かして上手く鳥カゴの中央に収めなければいけない。子供にとっては、これはある種ゲームの延長のようなもので、これならばいくらでもやってみたいと思ったものだ。ちなみにこの画像には他にも、ライオンを檻に入れるなどいくつかのバリエーションがある。
私もそうだったが、斜視を持つ人は、両目の視野がずれているので、像が二重にボケて見える。私は中学生を卒業する頃には眼科に通院するのをやめてしまったが、結局視野はズレたままである。

 診察を終えると、処方箋をもらい、その後ちょっとしたご褒美があった。院内にあった喫茶店でパフェを食べることができたのだ。それは病院へ行く楽しみの一つだった。ただ、この病院に喫茶店が併設されたのは建て替わった後だったと記憶している。背の高いガラス容器に地層のように色んな具材が重ねられて、食べるたびに味が変わるのは子供にとっては夢のようだし、下部の方にコーンフレークが敷き詰められているのも何だか意味が分からなくて最高だった。

 喫茶店を出ると、次は病院でもらった処方箋を持って、いつもの眼鏡屋に移動する。病院から眼鏡屋までは、何らかの交通機関で移動していたように思うので、かなり隔たった場所にあったのだろう。わざわざ交通機関を乗り換えてまでその店に行くからには、恐らく評判の高い店だったのだろうと思う。
眼鏡屋に行くこと自体はそれほど苦痛ではなかった。なぜなら、いつもその時には、診察を終えた解放感で気分も晴れやかだったし、普段食べられないパフェを食べてご満悦だったからである。眼鏡屋は、いかにも町の老舗といった趣きの店だった。アンティーク調の木製扉を開けると、大きなガラス窓から差し込む柔らかな光に照らされた店内には、所狭しと眼鏡が陳列されている。私にとっては、街の雑貨屋や骨董品店、古い時計屋を訪れるようなワクワク感があったように思う。いかにも職人といった風情の年配の紳士が、見たこともないような機械で眼鏡を微調整する様子を見るのも楽しかった。眼鏡は、他の子供たちのかけているようなフレームの薄いものが欲しかった。しかし、遠視用眼鏡はレンズが分厚く選べるデザインは限られていた。学校では、それを理由にいじめられることはなかったが、中には時々軽い冗談のつもりでからかうものもいて、それがたまらなく嫌だった。

 眼科から眼鏡屋に行き、全ての用事が済んだ後は、大阪へ行くというのがお決まりのコースだった。大阪は、当時の私にとって唯一馴染みがある大都会だった。今でこそ、実家の最寄り駅から電車で30分ほどの距離だと知っているが、当時は尼崎で散々用事を済ませた後に大阪に移動していたので、大阪は遠くにある、滅多に行けない「特別な場所」として記憶されていた。

 ここからが本来書きたい話だったのだが、前段が長くなったので続きは次回とする。

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illustration by Ryosuke Tanaka


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