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新卒2ヶ月でブランドディレクターになった話

こんにちは〜
新卒で地方に移住に加え、入社して2ヶ月でブランドディレクターになりました。
学生時代にブランドを立ち上げたこともないですし、ブランディングも行ったこともない。ど素人がまさかのブランドのディレクターになりました。

サポート<主導権

現在の会社に入社した動機はそのブランドに携わることでした。
携わる”ということです。=サポートかなと
チームでその誰かの下で方向性を一緒にやりたいと思っていました。普通チームプロジェクトとして運営するはずだと思うのですが、、、その話はこの後に詳しく書きます。
やりたいこととしては、モノが溢れている世の中で、だたのモノの生産よりも「コミュニティを生み出す」ことや「他のブランドと一緒に共創する」など、コラボレーションして価値を出したいと思っていました。

自由にやっていいよという言葉の罠

入社した時からブランドを動かして欲しいと言われ続け、まさかの5月末にこのブランドよろしく!と言われました。正直、「そっか、ブランド動かさないといけないのか」とふわっとしか思っていなく、実感がなかったです。
しかし、今やっている業務も圧迫しそうになっている状態になり、自分自身も余裕がなくり、夜ご飯をスーパーの割引になって残っている惣菜を買って食べる日が増えました。
何がわからないか、それもわからない状態で、一人で3歩先が見えないぐらい追い詰められていました。周りの人にも聞こうと思う時はたくさんありましたが、その人の業務もあるため、とてもためらいを感じてしまう時が多々ありました。特に、社会人になって2ヶ月で、大学生のような口調よりも「社会人」としてのビジネスマナーを重んじた方がいいと思い、表現や言葉使いに一段と気をつけていました。そのため、タイミングを失ったり、うまく伝えることができずに、もどかしい時がありました。
今振り返ると、「ブランドを任せる」、「このブランドを自由にやって」という言葉の罠に引っかかり、本当は後ろから突き放され、崖から落とされた気分でした。実際にバンジージャンプとか崖から落ちたことはありませんが、そういう感覚なのかなと思いました。より具体的にいうとセーフティーネットがなく、底も見えないところに、突然後ろから突き落とされた感じです。

一人でやるブランドとは?

蓋を開けてみると自分一人でブランドを運営して!ということでした。
自分以外に誰もいないということです。人によっては新卒で任せられるのすごいね!と思うかもしれません。たしかにすごいことだと思います。でも心の中では、葛藤の連続でした。
新卒で2ヶ月しか経っていない会社で一人で行うことはとても孤独でした。やっと報・連・相を学び、行動を移せつようになったという、赤ちゃんでいうよちよち歩きがやっとでした。それなのに「じゃあ、次の日からしゃべって!」と言われているようなレベルの上げ方が異常でした。
異常だと気づいたのはだいぶ後になるのですが、、、
自分が立ち上げたブランドであれば、熱量で頑張れる部分はあると思います。しかし、もともと会社にあったブランドで、入社する前から存在していたブランドでした。
そもそも一人でブランドをやる場合、企業に所属しなくてもいいと思うんです。今はSNSやBaseを使って、個人でものを販売することはできる世の中なので。

異常だと気づいた時

同期はいますが、同じ事業部にはいません。なので、同期で業務の比較することが難しいです。自分はブランドのディレクターに任せられたことは、他の同期と同じくらいかと思っていました。さすが、サポートが全くなく(セーフティネット)、同期で業務の話をしたところ、「え、大丈夫?」とガチめの心配されました。
それにやっと「この業務は異常なのか」ということに気がつきました。
会社には実は他にあと2つブランドがあります。そのため、ノウハウがあるかと思っていましたが、手探りでやることが多かったみたいです。また、たまたまのタイミングや時代的にマッチした時もあったとのことで、確実なルートは片手ぐらいしかありませんでした。

ブランドディレクターとしての仕事

当初の私の業務は大きく分けて3つありました
1. ブランドのブランディング→コンセプトや雰囲気などを決める
2. 在庫がある商品を再販すること→なぜか予定の販売日よりも勝手に1週間早められました。報連相じゃないの?と思いましたが、直接言うことが出来ず、そう上が決めたのであれば、確実に売ってみせるという負けず嫌いのところが出て、無事1週間早めた販売日に出すことが出来ました。心の底からドヤりった日でした。
3. ブランドの認知拡大、販路の確保
中途で、ブランドを立ち上げたことがある経験のある方なら、できると思います。知見があるので。しかし、私はまだ2ヶ月しか経っていなく、ブランド自体持ったことも、立ち上げたこともブランディングすらやったことがありません。それなのに、「販路を考えてきて」そして、「実行に移して」と言われても。コンセプトもふわっとしているのに、どうなのかと思う時が節々ありました。
それに加えて新卒らしい業務も重なり、正直仕事やめて、実家に戻りたいと思っていました。

我慢の限界の日

実は販売予定日の2週間前に商品の撮影のミーティングの時に、自然に涙が溢れてしまいました。今まで栓していただいた感情がいきなり溢れてしまい、止まりませんでした。ミーティングにいたカメラマンさんが特に自然体な方で、外部だが、何回か関わりがある方で安心感がありました。このミーティングのために十分に準備ができず、そのカメラマンさんから言われたことが的確すぎたため、溢れてしまいました。自分が伝えたいことが伝わらないことが一番辛い。

3ヶ月が経過しました

あっという間に3ヶ月が経過しました。まだコンセプトについて考えています。そもそもコンセプトやビジョンというものは一瞬でできるものでもない気がします。このブランドらしいを集めて、それが共通の言語として成り立つ時にそれがブランドのコンセプトが出来上がったというのではないかなと思います。
業務にだいぶ慣れることが出来ました。それよりもサポートを十分得られるようになりました。上司がブランド全体のスケジュールを把握していないのは課題だと思ったため、データでも紙でも誰にでもわかるように把握できるようにしました。そして、夕礼を設けて、ブランドのスケジュールと報連相を行う時間を作りました。
そのおかげで3歩先の暗闇から徐々にレールが見れるようになりました。

まだまだこれからと思う半分、頑張りすぎないように頑張ろうと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます


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