今日は月に一度のセッションDayでした。
Nさんは私が心から信頼してるセラピストさんで、彼女のサロンに通ってもう4年。
セッションでは毎回、自分では扱えない深いところにある感情を見つけ、癒し、次に進むヒントをもらう。
そして今日も。
私の根底にある「劣等感」「罪悪感」「不安」を、私がまだ大切なものとして抱きかかえていると指摘された。
顕在意識では「そんなものとっとと手放したい」とか言っているのに、まだ見ぬ自分になるのがこわくて、古くなって不要になったそれらを手元に置いておくことで安心を得てる、と。
ガーーーーン。
でも当たってる。
古い自分と新たな自分の狭間で揺れ、中々進めないことにモヤモヤを感じ続けているのはそういうことなんだろうなぁと納得した。
「劣等感」「罪悪感」「不安」を持っていることがデフォルトになり過ぎて、そうでない自分が想像できないのだ。
だからイヤだと思いつつ、馴染みのあるあり方にいつづける。
はぁ~っ。
ホンマやめてほしい、私。
大きくシフトチェンジする前が一番しんどい、とも言われて、大きく頷いた。
そしてこうも。
「別に今のままでもいいんです。変わるのってコワイし、結構しんどいから私もうここでストップします、という方も多いんですよ。どっちを選んでもいいんです。どうされますか?」と。
もちろん私は先に進みたい。
逆にここでストップしろと言われる方が私にとっては苦行だ。
私はどこまでもホントの私に還りたいし、それをやりに今世、今の時代を選んで生まれてきたという確信がある。
最近感じることなのだけれど、これまでの転生の中で私の魂は「劣等感」や「罪悪感」「不安」ベースで生きてきて、それらをはずしたことがなかったんじゃないかと。
なぜなら幼いころからこれらの感情を持っていたし、それが両親からの影響だけではないように感じていて。
これから本格化する風の時代は、集合意識がアセンションしていく時代。これまで人々が持ち続けてきた不の感情も比較的簡単に統合しやすくなるのだと思う。
そんな時代の波にのっかって私は長らく持ち続けてきたものを手放そうとしているのだろう。世紀の大変容のときを迎えているからこそ恐れも大きいのだと感じている。
セッション後の帰り道、色々考えてたら頭の中が混乱し「どうしたらいいの~?」とNさんにラインを送った。
すると「今は頭で考えると混乱してしまいますよ。何もしなくて大丈夫。考えて分かろうとしないことです」との返事。
セッション後、私はセッション中の言葉を思い出し「あれはこういうことだったのか? これはどういうことなんだろう?」と分析癖がさく裂してしまう。
そして余計につらくなる。
そう言えば昨日書いたばかりだった。
「自分の中に自然発生的におこるときを待つ」と。
しんどい時は早くラクになりたいがゆえ、ハートではなく頭で理解しようと焦りがでる。
ちがったんだった。
そんなときこそ待つんだった。
自分で書いておきながらなんだけど、待つのってツライ笑。
もういっそのこと私の固定概念がゴロリと変わるような異次元の環境に身を投じてみようか、などと考えてみたりもして。
「そのうちパズルのピースがハマってきますよ~」というNさんの言葉を信じて今は色々放置しようと思っている。
今日も読んでくださりありがとうございます。
また書きます。