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あきらめを通り越して絶望する。
お金の劣等感がトリガーとなり、その後さまざまな醜い自分が芋づる式に出てきて久々にしんどい一週間でした。
ここへきてようやく不の自分と折り合いがついたので、ここまでのプロセスを書いてみようと思います。
以前の記事に私にとって自分を受け入れるとは「自分をあきらめること」と書いたことがありました。
当時もネガティブな自分を受け入れるのが難しく、抗って疲れ果てた結果、あきらめ、ようやく自分を受け入れることができたのですが、今回はあきらめるどころではなかった。
心細くて不安で、焦燥感と失望感で胸がいっぱいになり、どうしていいか分からず……。
なぜそこまで苦しかったか。
それは私が一番嫌ってた「最低の自分」と対峙せねばならなかったから。
「生産性のない私は存在価値がない」
私の根底にはいつもこの思いがありました。
これは言い換えると、他者をもそう見ているということです。
「何かを生み出さない人間は生きてる価値がない」
生産性と人の価値が結びつかないことは頭では分かっているのに、この思考を消すことができない。
だからお金を沢山稼げる人はすごい、資産を築いてる人はエライ。
そしてそれができない私は価値がない。
こんなふうに思う自分が大キライで、人として最低だと否定してきました。
そんな自分を受け入れざるを得なくなったのは、お金のためだけの仕事ができなくなった自分がいたからでした。
収入を得るために本意ではない仕事をしようとしたとき、どうしてもやる氣がでない。とはいえお金は必要なのでガマンして面接を受けるも受からない。
心の中で「もうそういうのムリなんやって」と言う自分がいるものの「じゃあ生活はどうするんよ」と言う自分もいて、知り合いからもらった仕事のオファーもありがたいと思いつつ結局断るという事態に。
ほんと、もう氣持ちが向かないものはできなくなっているのです。
それでも先のことを考えると「このままで大丈夫なんやろか」という不安が押し寄せてきて。
もぉ…どうしたらいいの…。
そういった色々な思いがピークに達したとき、私は私に絶望しました。
あきらめを通り越して絶望。
もうムリ。
今のこの世の中で自分の持っているものをマネタイズして上手に稼ぐ技術もなければ、それをやりたいとも思わない。
ずっと分かってたけどそれが私の魂の望みではない。
もうホントの思いで生きるしかない。
そう観念したとき、あれだけ不安だった氣持ちも「なんとかなるだろう」という思いに変わっていました。
具体的に何がどうなるか道が見えたわけではないのに不思議と心は落ち着いていて。腹が据わった。
生産性と人の価値を結びつけている概念は物質至上主義の土の時代の考え方です。
私たちは社会からそれを受けつけられて生きてきた。
それが時代の転換期を迎え変わろうとしている。
私のホロスコープを見ると、今、お金の部屋である2ハウスに土星と海王星がいます。今年に入って家族の課題がひと区切りついたころ、あぁ次はお金だな、と思っていました。お金は私にとって大きな課題だと知っていたからです。
時代の後押しを受けて私はお金に対する概念を変えようとしている。
きっと土星と海王星が2ハウスを去る来年春には、鍛えられた私が誕生しているはず。
冥王星水瓶座時代に太陽/水瓶座を選んで生まれてきた私です。
大きな変容を促されることは覚悟しているけれど、ホントの自分に近づくたびに絶望を繰り返すのは勘弁してほしいなぁ…。
もうちょっとラクに変わっていきたい笑。
大きな波を乗り越え、脱力感の中でそんなふうに思っています。
今回も読んでくださりありがとうございます。
また書きます。