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好きと嫌いが反転するとき。
そしてこの期間は、自分の「好き」と「嫌い」が反転するときとも言えます。
あ、前回の続きです。
ずっと「好き」だと思ってきたものが、ホントはそうじゃなかった。
「嫌い」だと思ってきたものが実は思い込みだった。
そんなことが起こります。
どういうことかと言うと。
お酒を「好き」だと思っていた男性がいました。
仲間とワイワイ話しながら杯をかたむけるのが好きで、自宅でも晩酌は欠かさない。彼は長い間自分のことを「お酒が好き。飲みに行くのが好き」と思っていました。
が、あるとき彼が自分の内面と向き合ったとき氣づいたのは「お酒を求めていたのは自分の淋しさを紛らわしたかったから。根底にある “ 自分は独りぼっちだ ” という孤独感を感じたくなかったから」というものでした。
幼いころに感じた「自分は母親から愛されてないんじゃないか」というトラウマがずっと彼の心を巣食っていて、ひとりでいるときに感じる切なさから逃れたくてお酒に走っていたのです。
お酒に関わらず何かに依存してしまうパターンがこれで。
自分の闇を直視するのがコワいあまりその感覚を麻痺させる行動に逃げ、それが過度になり結果抜けられなくなる。
そんな日々を続けるうちに身体を壊したり、生活に支障をきたしたりして、自分と向き合わざるを得なくなり、心に抱えていたホントの思いにたどり着く、というケース。
結局彼はお酒に逃げていた根本原因と向き合い、未消化の感情と対峙することで徐々に心が癒され自然と飲まなくなりました。
これは個人的な見解なのですが、本当の「好き」とか「嫌い」というのは本能的なものなので、明確に理由が説明できないことの方が多いのでは?と感じていて。
理由がハッキリしているものもあるんだろうけど、その場合も説明臭くないもの、単純だったり幼稚だと感じるものほどホントなんじゃないかなぁと。
「誰かのため」とか「〇〇を成し遂げたいから」といった立派な理由があるものほど疑った方がいい。
なぜならもっともらしい言葉の裏には、大抵「見たくない自分」「感じたくない感情」「ゆるせない人(こと)」が隠れているから。
絶対に表には出せないもの(出したくないもの)を隠ぺいするためのフタが「立派な理由」です。
それぐらい人は自分の闇を見るのがイヤなんですね。
でもこの期間は、そんな闇に光が当たります。
「はい、これあなたの闇ですよー。見てきてくださいねー」的なことが起こりやすいとき。
それは誰かの言葉だったり、体調不良だったり、自発的に感情がこみ上げてくるなどトリガーは何にせよ、心揺さぶられることが多いときです。
星はそうやって私たちに圧をかけることで既存の枠から抜けることを促し、成長させてくれるのです。
今、つらい人は順調に宇宙の流れに乗ってる証拠。
ムリして回復を目指さず、ゴロゴロしたり好きなものを食べたりしてご機嫌に過ごしましょう。
私たちの意識はフォーカスしたものを拡大する性質があるので、しんどくても「しんどい」に意識を向けるのではなく、「氣のせい」ぐらいに思って心地いいことに目を向けた方が復活は早いはずです。
闇から抜けたとき、これまでの「好き」がニセモノであったり、今までの「嫌い」が何でもなかったり、といった氣づきがやってくるかもですね。
今日もお読みくださりありがとうございます。
また書きます。