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「チームの中で自分が果たすべき役割」。ーー入社10年目の今感じる、アライドだからこそ築けたエンジニアとしてのキャリア

アライドアーキテクツ10年目。ベトナム子会社2社のCTO 兼 バックエンドエンジニアの岩間亮さん。

プログラミングの専門学校に通うも、エンジニアを職業とすること諦めファーストキャリアを営業職からスタートさせた岩間さんが、なぜまたエンジニアへとしてのキャリアを歩み始め、アライドアーキテクツと出会い、現在のCTOに行き着いたのか。
そしてアライドアーキテクツでこれから何を成し遂げていきたいのか。

岩間さんのこれまでの歩みと、これからの想いについてお話を伺いました。

※この記事は2019/12/06に公開されたWantedly記事の転載です。

岩間さんの思う、エンジニアにおけるアライドアーキテクツという環境

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――まず始めに、岩間さんにとってアライドアーキテクツはどんな環境ですか?

働きやすい!アライドアーキテクツは最高に働きやすい会社だと思います。
ほかのメンバーも言っているのですが超優良企業です、エンジニアにとって。

僕が新卒の頃に抱いていた3K(きつい、厳しい、帰れない)とは大分ちがいます。
もちろん勝負所のようなタイミングはありますが、それはエンジニアに限ったことではなくてどの職種においてもあることだと思います。

ですが、通常の業務環境においては裁量労働制が適切に運用されていて、めちゃくちゃワークライフバランス整いまくっている会社です。僕自身効率を最大化する為の環境で働けているし、柔軟な環境を活かして子育てに積極的に参加しているメンバーも居るし、すごく良い会社だと感じています。

また、やりたいと思ったことは、根拠や実績、事業とのシナジーを説明できればチャレンジさせてくれるのもよい社風だと思いますね。
エンジニア発信でも新しいプロダクトを作れたり、入社当時も実務経験がないにも関わらずスマートフォン向けのアプリ開発に携わらせてもらえたのも、この社風あってのものだと思います。


――岩間さんは、アライドアーキテクツにはどんな人が合うと思いますか?

中途入社の方は、アライドアーキテクツではビジネスサイドとの連携が多い事から、プロダクトのビジネス的な側面も考慮したコミュニケーションが取れる人が向いていると思います。

初めから 「こういうサービスを作りたい」「こういう課題を解決したい」という強いマインドを持つのは難しいかもしれませんが、 エンジニアとビジネスメンバーで1つのチームとして共通の目標を持ち一緒に走っていく、そういうやり方になじめる人が活躍できると思います。

新卒の方は、プログラミングに対してアレルギーがないことが大事だと思うのと、長期的な将来の夢がある人が来てくれるといいなと思います。

長期的な目標を持っている人は「じゃあそこに行くためにどうしようね」という目標が立てやすいし、成し遂げるために何が必要で、どこまでできていて、何をいつまでにやる必要があるのかというのが想像しやすいです。また、長期的な目標を持っている人の方が入社後のミスマッチも少なくなると思います。

職業として選択したというより、好きを深めてこの道に来た

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――プログラミングの専門学校に行っていたのに、なぜエンジニアを諦めて営業だったんですか?

専門学校には行ったのですけれど、実は通っている時点ではプログラミングの基本的な構文をちゃんと理解することができなくて。
自分には全然向いていないと思ったし、当時プログラマーって「きつい、厳しい、帰れない」って言われていて、目指す気持ちもあまりなく。。それで地元の岩手で営業職をしていました。

2社目は派遣の会社に入ったのですが、最初に派遣された工場が派遣を雇っている余裕がなくなり契約を切られてしまい、次に派遣された現場がSIで、システムの運用を手伝う仕事をしていました。


――2社目のSIの運用を手伝う仕事でプログラミングを行うエンジニアとしてのキャリアをスタートされたんですか?

そうですね。でも初めのころはまったく。(笑)
ただ、僕は当時からゲームが凄く好きで。
工場で働いているころから、ゲーム好きが高じてゲーム関連のプログラミングに触れるようになって、まさに好きこそものの上手なれで、学生の頃理解できなかった部分が段々理解できるようになっていきました。

ふとしたことで僕がプログラミングの勉強をしていることが会社にも知られて、派遣先がちょうどSIの会社だったので「だったら」っということで運用を手伝うポジションから、プログラミングをするポジションに行ったのがエンジニアとしてのキャリアのスタートですね。


――どのようにプログラミングを勉強されたんですか?

最初は本を読んで、プログラムを書き写すのが主な勉強法でした。
当時は岩手に住んでいたのですが地元の勉強会に参加したり、東京や仙台の勉強会に行ってライトニングトークにも参加したりしていました。
前に出て喋る為に、その内容をより深く勉強するのは良い学習方法でしたね。

その他に、書いたコードを全部ブログにあげたら良いとアドバイスを受けて、そのコードの悪い部分を色々な人に指摘してもらったりもしていました。「ここがダメ」って印をつけてもらってそこを直していくという方法だったのですが印はついているけれど、どうするべきかは書かれていなくて(笑)
「なんでだろう?こうかなー」と直すというのを繰り返していました。
この頃の経験は、今も新しいことに取り組む際に役立っていると思います。

アライドアーキテクツとの出会い、そしてキャリアの変化

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――アライドアーキテクツに入ったきっかけは何でしたか?

プログラミングの勉強を通して、Twitterをはじめたり勉強会や懇親会に参加するようになって、いろんな人たちと交流していく中でエンジニアに対するイメージが段々と変わっていって。
それでこの仕事を長く続けたいと思うようになっていました。

そこで「(正社員に)転職したい」とTwitterに投稿したら、あれよあれよと転職が決まり、とんとん拍子で東京に出てきました。でも、東京に出て来て最初の会社はリーマンショックの煽りをうけて、入社3ヵ月で経営が傾いたことにより退職する事になってしまって(笑)

その後は「このまま解散するのも寂しいよね」って事でその会社のエンジニアと営業数名で新しく会社を立ち上げて、1年位その会社で働いていました。会社の立ち上げに携われたことは良い経験になりましたが、元々中継ぎ的な位置づけの会社だったので安定していなかったり人の使うサービスを作りたいという思いがあって、徐々に転職を考えるようになりました。

Twitter経由で仲良くさせてもらっていた人の中に、アライドアーキテクツの社員の人がいて、 アライドアーキテクツも人を増やそうとしていたフェーズだったので「もしよかったら」と、声かけてもらえたんです。
プログラミングを始めてからずっとSNSやブログをベースに活動していて、SNSやブログが好きだから、それに関わった仕事ができるんだったらいいなーっと思って、2010年にアライドアーキテクツに入社しました。


――入社後はどんなことをやってこられたんですか?

最初は「品品(しなじな)」というサービスの開発に携わっていました。
その後入社して1年くらい経って、スマートフォンの普及率がどんどん伸びている時期でもあったので、社内でiPhoneアプリを作る話があり、入社前からスマートフォン向けのアプリケーションを作りたいと思っていたので、手を上げてプロジェクトに参加して。
それからしばらくは色々なiPhoneアプリを作っていました。

5年くらい公私ともに色々なiPhoneアプリの開発をしていましたが、スマートフォン向けアプリケーションの競争の厳しさや会社のフェーズも変わって来ていてキャリアを考え直してみました。
このままスマートフォン向けアプリケーションのスペシャリストを目指したとして、ある程度以上のポジションには辿り着けそうだけれど、割と狭い範囲のプラットフォームに縛られるのはリスクがあるなーと考えていたのと、通信速度や端末の処理速度が上がってきていることから、またWebアプリケーションの時代が来るんじゃないかな?と思ってWebアプリケーション側に戻ってきました。

そのあとは後輩の教育や指導、SNS運用メンバーの業務負荷改善プロジェクトの一環で、Twitterの運用を支援するツールなどを作っていました。
その後、現在のechoesの元になるプロダクトを作って、軌道に乗った辺りで「ベトナムでCTOをして欲しい」と打診されました。

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――これまでの仕事で一番印象に残っている仕事は何ですか?

一番印象に残っているのは「品品(しなじな)」ですね、なかなか上手く行かなかったプロダクトだったのですが、最初に関わったっというのもあって強く印象に残っています。

ただ、一番頑張ったというか、ドヤれる仕事はやっぱりechoesだと思います。
これまでのアライドアーキテクツでは、稼働中のプロダクトの追加機能でエンジニア発案の改善がはまって良くなるというのはありましたが、基本的にはビジネスサイドの発案で何かを作るというスタイルが主流でした。

echoesみたいにエンジニアから提案・開発し、それが事業部として立ち上がる規模まで成長した例が殆どないので、「やってよかったな」「うれしいな」と思っています。


――今はベトナム子会社のCTOをされていますが、これまでやられていたテックリードの部分とマネジメント、どちらの方がっていうのはありますか?

テックリードとして技術の勉強と情報の発信を続けてきたけれど、会社や組織のメンバー構成を考慮すると、エンジニア組織をより良くする為にはこのままの道を進むだけではダメで、技術面以外でも組織に貢献することが出来るポジションを目指さないといけないと思っていました。
だから、マイナスのイメージよりもプラスのイメージの方が強いですね、ただベトナムと日本での二重生活になるのは想定外でした(笑)

エンジニアって年を経たからといって、マネジメント人材に育つかと言われればそうではないんですよね。ずっと技術の勉強をしていた人が、ある日急にチームのマネジメントを任せられたり新人の教育を任されて上手く行かないという話しも良く聞きます。
ぼくもマネジメントの勉強をしたり、ベトナムのメンバーに「日本だとこういう感じなんだけれど、ベトナムではどうなの?」と聞いてみたり、これまでの自分の感覚だけで判断しないように気をつけています。

まだまだ至らない所も多いですが、色々なキャリアを経由してきたおかげでエンジニアリングだけではなく、他の分野にも手を出す事に抵抗があまりなく、それが今の会社の状況と噛み合っているのは面白いです。

働いていく上で自分の価値を高めるのは、どれだけの人数に影響を与えられたのかというのが大きいと思っています。そう考えたとき、これまでの経験を活かして技術でリードすることによって周りの人に影響を与えることもできるし、加えてマネジメントも始めたので、自分の影響範囲がとても広くなったと思っています。

――今後のキャリアプランを聞かせてください。

ベトナム側は人数も揃ってきて、組織として強くなる地盤ができてきたと感じているので、次は日本側をもっと強くしたいと思っています。

数年間ストップしていた、新卒採用も再開させ、しっかりとキャリアの指向にあった教育もしていきたいです。
また中途でジョインしてくださる方も増えて来ているので、その方たちがステップアップして自身を高めながら、長く働けるようにマネジメントもしていきたいと考えています。

――最後に、アライドアーキテクツに興味関心を持ってくださる方へ一言お願いします!

アライドアーキテクツのエンジニアは「One Team, One Goal」を掲げて、ビジネスサイド・エンジニア問わず、それぞれの分野でしっかりと貢献していきながら、1つのチームとして目標を追う組織です。

よって新卒・中途を問わずチームの中で自分が果たすべき役割や、自主性も大事になります。

沢山のチャレンジがある会社ですから、一緒に色々な事にチャレンジして行きましょう!

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