藤原先生に「10年後、君に仕事はあるのか?」と問いかけれて自分に足りないのは能力や知識ではなくエンゲージメントだと思った、という話。
昨日、「10年後、君に仕事はあるのか?―――未来を生きるための「雇われる力」」を読みました。著者の藤原和博さんはリクルート社出身で、40歳の時に退職し、義務教育初の民間校長になった人。
どうしてこの本を手にとったかというと、西野亮廣さんTweetで、藤原さんのもう一つの書籍「僕たちは14歳までに何を学んだか」を知り、その中で紹介されていたから。「僕たちは〜」は西野亮廣さんをはじめ、堀江貴文さん、前田裕二さん等気鋭のビジネスパーソンについて、どうゆう少年であったのかインタビュー形式で紹介されている本です。素朴に、あの兵庫県川西市という田舎から、どうやって西野さんのような頭のきれる人ができていったのか興味があったんですよね。
で、「10年後、君に仕事はあるのか?―」の方はというと、思っていた以上に中高生に向けられた本でもありました。(タイトルを見た時は主に大学生〜30代ビジネスマン向けかなぁと思っていたのですが)基本的には、どの年代の方でも読み進められる本ですが、ただ藤原さんはおそらく、子供と、その子供を持つ親に向けて書いたのではなかろうかと。そんな本の内容について、91年生まれの27歳の目線でどう思ったのかを伝えていきますね。
まず、これは私もありがたいなと思ったのですが、親世代とその子供の世代は、常に状況が大きく異なることについて、冒頭でしっかりと語られています。私もそう思っていましたが、やはり他人の言葉って大きいですよね。経済も10年〜15年で大きく様変わるのにもかかわらず、親世代の価値観を強く受け継いでいる人をよく見かけます。「自分の父」とか「自分の母」という因果関係をそっと横においておいて、「60年代生まれの人の意見」みたいな感じで客観的に見れるように、早くなっておいたほうがいいと思います。
本の中で、藤原さんは「人が生きていく力」の三角形として
①情報処理力
②情報編集力
③基礎的人間力
の3つを提示していました。
①は学校の科目で例えられ、知識があるということ。②はコミュニケーション能力とかアウトプット能力とか。③は体力や忍耐力だったり、持久力や集中力だったり。①には正解を求める時に必要で、②は仲間と一緒に『納得解』を作り出す時に必要だと。AIが活躍するこれからは②の情報編集力が求められるのだと。
私は高校時代、演劇をやっていました。企画も、脚本も、キャスティングも演出も基本的には全て自分たちで作り上げていく作業です。今まで勉強は得意だったのですが、仲間と話し合って何かを作り上げていくのはとても苦手でした。1人で何かをする時には、時間をマネタイズして圧倒的な量をこなせば勝てる。そんな経験から、チーム制になっても、とにかく動いて量をこなせば良いものが出来上がると思っていました。その考え自体は間違っていないのですが、人が「動く」ためには理由もタイミングも必要で、それを合わせるための意見の出し合いやすり合わせ、傾聴やフォローなどが非常に苦手でした。時間の無駄だと思っている気持ちがどこかにあった気します。だからこそ質の高い話し合いができていなかったような気がします。もう10年前の話なのでぼんやりとしか覚えていませんが。
ただ、上記のような経験がなければ、それこそ情報編集力は0に近かったと思います。藤原先生が情報編集力は遊びや体験から生まれるとおっしゃっているのですが、高校時代に学んだ演劇では、子供以上に遊べと言われ、本当に全力で遊びながら演劇を学んでいました。皆が受験勉強に勤しんでいる時に、体を動かして、心を動かして、泣いて笑って叫んでいましたので、きっと情報編集力は当時の高校生より磨かれていたのではないかと思っています。
ただ社会人になり、己の無知に嫌気がさして、コンプレックスを感じながら情報処理力を高めようと必死になっていた気がします。でも情報処理力を高めるばかりだと、何も生み出していない事に気づくんですよね。先日NEWS PICKSのOCHIAI WEEKLY「働く女性をアップデートせよ」で正能さんがおっしゃっていたように、私達は「半分消費されたい」し「半分新しいものを生み出していきたい」世代。(まぁ世代だからっていう話じゃない気もしますが)
「処理アタマ」か「編集アタマ」か、
「仕掛けられる側」か「仕掛ける側」か、
「消費する側」か「造り手側」か?
君はどっちになりたいのか?是非仕掛ける人間になってほしい。と藤原先生は本の中で語ってくれています。仕掛ける側になるには縁を感じたらまず飛び込んでみて、挑戦することだと。
そして一番タイムリーでグッきたのが、就職や転職で会社を選ぶ際も、「処理」プロセスだと一生仕掛ける側になれないのだと。そこには会社と自分との間に「編集」プロセスが働いていないから。
サロンのようなコミュニティもきっとそうで、朝渋のサロンオーナー・5時こーじさんとお話する機会があって、朝渋サロンはROM専を基本認めていないことを知りました。おそらく仕事でがっつり参加できないであろう私は残念だったけれど、私もこーじさんの立場だったら、そりゃそうだよね、と。まだまだ大きくしていこう!としている段階で、200人の1人でも処理側(消費側)がいると、何かが生み出されるパワーが×マイナスで半減しちゃうであろうことを感覚的に分かっていらっしゃるんだろうなと思いました。比較的匿名性の高い(人数だけ)大きい組織で働いてきた私は、ここらへんの感覚が鈍っているから、20代のうちに叩き直したいと思っています!!!
まだまだ書きたいことはあるけれど、出勤なのでここらで…。
また本を読んだら感想かいてみよう♪