フォルケが教えてくれた自己信頼
フォルケホイスコーレでの生活に慣れてくると、あることに気が付く。
「あれ、意外とみんなが認めてくれてるぞ。」
「やりたいって言ったら、案外やらしてくてれるみたいだ。」
フォルケホイスコーレという場所が、[Want to Doに対して、とても寛容な空間]であることがわかってくる。
そうなると、不思議と自分の中から「とりあえず、やってみよう(やってみたい)」がどんどん出てくるようになった。
僕は、いろいろなやってみたいこと(未体験)にチャレンジしてみた。できるかできないかは置いといて。
・ステージに立ってラップをする
・即興劇をする
・ツリーイング・ボルダリングする
・野宿する
・ヨットで旅をする
・ヒッチハイクで旅をする
・器械体操の技術を高める
・デンマークの大学に行き学生にインタビューをする
そして、
・あらゆる場面で積極的に自分の意見を伝える。
・上記の行動にすべてにおいて、英語を使い意思疎通を図る。(自分としてこれが一番大きな勇気づけだった)
やってみたいこと(未体験)がどんどん発散される空間はとても心地よく快感で、なにより”自己決定”は楽しかった。
そして、
そんな自己決定を繰り返すうちに僕は、留学以前では考えられなかった”想像以上の自分”になっていることに気がついた。
僕はいつの間にか、デンマークという異国で英語を使い、自己実現に向けて直向きに生きていた。
しかも、その時の感覚は「外部からスキルを学んで、自分がパワーアップした。」というものではなく、
「自分の潜在能力を、自分が引き出した。」という感覚だった。
これは、自分の変化のベースに、”自分の自己決定”があったからだと思う。
フォルケは僕に、何も与えなかったけど、
フォルケは僕に、"僕の中に何があるのか" を教えてくれた気がした。
そして、フォルケ留学を終えた自分は、
「今ならなんでも出来る。なんにでも成れる。」という圧倒的な”自己信頼感”を掴んでいた。
言葉にするとロマンチックすぎて、リアリティーがないかもしれないけど、
間違いなくあの時の自分は、人生史上最好の”唯一無二の自分”だった。
今、留学して約5年が経つ。
帰国してから今まで、あの時のような自己信頼を持ち続けられているか?と言えば、もちろんNOだ。
環境が変われば自分も変化するし、信頼だってゆらぐし、自分を見失うこともある。
しかしそれでも、
フォルケでの経験は、今でも僕を勇気づけ続けてくれている。
きっと、これは永遠に変わらないと思う。
それはまるで、【ラピュタの飛行石】だ。
フォルケホイスコーレは僕に、自己信頼の感触を確かに感じさせてくれた。
これらの経験は【ラピュタの飛行石】に似た”お守り”だと思っている。
ラピュタの飛行石には2つの特徴がある。
・持ち主が急降下した場合、その落下速度を遅めて、持ち主を守ってくれる。
・目的地(ゴール)を光射し続け、決して光を失わない。
フォルケ経験が、現実世界に役に立ったり、困難から具体的に救ってくれるわけではない。だから困難だっていつも通り降りかかるし、普通に嫌な事と対峙したりする。
しかし、僕の気持ちが急降下しそうになった時、”フォルケ飛行石”はその衝撃を和らげてくれる。
「あなたなら大丈夫。」って。
そして、”フォルケ飛行石”は、自己信頼の感触を残して、ゴールに向かって今も光を刺し続けている。
僕のゴールは、
《僕がフォルケで感じたような勇気づけを、日本の教育の舞台で一人でも多くの生徒に届けること。》
そして
《あの時のような自己信頼を魂に宿して、自分自身が生きていくこと。》
フォルケという空間は、全てが自己決定で進んだ。
選択のひとつひとつが、”自分自身”を教えてくれた。
誰かの評価ではなく、自分の感情で”自分自身”を知った。
フォルケでの学びは、自己成長ではなく、自己探求だった。
それはフォルケホイスコーレだからこそ生まれたものだった。
そして最後に、フォルケホイスコーレは僕に、”ラピュタの飛行石”を授けてくれた。
この”フォルケ飛行石”は、間違いなく僕の一生の宝物です。
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