やっぱり僕は、THE BLUE HEARTSみたいな先生になりたい
先生になることへの志を強めていた8年前。
ある時、友人から「どんな先生になりたいの?」と質問を受けた。
僕はとっさに「THE BLUE HEARTSみたいな先生になりたい。」と、インスピレージョンで答えた。
あれから8年近くの時を経て、僕は今、先生として働き始めている。
そして今もあの頃と同じように、「THE BLUE HEARTSみたいな先生になりたい」と思っている。
そして、今になってやっと、「その言葉」を選んだ意味や想いが説明できるようになってきた。
なぜ僕は「THE BLUE HEARTSみたいな先生」になりたいのか?
僕は、人間はカラフルな柄のついた球体のようなものだと思っている。
つまり、“見る角度やスポットライトの当て方によって、全く違う印象だったり人物になったりする”ということだ。
しかし、学校社会の中では、そのスポットライトの当て方が一定になっていることが多い。
学力(定期テスト)や、運動能力(部活のパフォーマンス)や、内申点(いい子か否か)など。
“人間”に対して、ある一部分にだけにスポットライトを当て続けると、どうなるのか?
↓
【光が当たる部分で輝ける人は自信を得るけど、それ以外の人は自信を失う。】
これはまさに、僕が大学時代に経験した【絶望】そのものだった。
そして僕は幸い、その【絶望】を脱することができた。
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・“ここは天国じゃないんだ。かと言って地獄でもない。”という歌詞。
・「君みたいに真っ直ぐな人が、まだ日本にいたんだなぁ。」という声。
・“もうだめだと思うことは、今まで何度でもあった。”という歌詞。
・「あなたって、とっても情熱的で、すごく素直だよね。」という声。
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偉大な音楽や、素敵な人たちの言葉が、僕を救ってくれた。
その言葉は、今まで学校ではスポットライトを浴びることのなかった、“僕の魅力的な部分”を照らしてくれた。
弱い部分も、不器用な部分も、優しく受け止めて、認めてくれた。
THE BLUE HEARTSは、音楽を使い、世の中に対して「普段スポットライトの当たらない、人間の魅力的な部分に光を届ける」ということをしたんじゃないかと思う。
“学校でも、家でも、職場でも認められなくても、それでもあなたは素晴らしい。”
“くそったれでも、ロクデナシでも、ドブネズミでも、それでも美しい。”
だから僕は、
生徒にとってのTHE BLUE HEARTSになりたい。
普段スポットライトの当たらない部分に光を届けて、
「ほら、あなたって素晴らしいでしょ?」
「やっぱり、人生って素敵でしょ?」
そんなメッセージが伝えられる先生になりたい。
これが、2020年5月6日、現在の想いです。
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