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2023年4月11日に書いた言葉
現在、14:39分
さゆみのお産を病院内で待っている。さっき会えた時は、苦痛に歪む顔を見て、一瞬緊張したけど、俺と目を合わせた時に、少しだけほころんだ顔も見せてくれた。
手を握ったら、強く握り返してくれて、
「大丈夫。がんばれ。」の気持ちを送った。届いたかな。
待合室にいても時折さゆみのイキむ声が聞こえてきて、それを聞くたびに、ほんの少し苦しい気持ちと、エール的な頑張れという気持ちが、1:9
ある教員の言葉が、私の心を切り裂いた。
私は、大阪府にある公立中学校に勤めている。
その学校には、普通学級の他に、ひまわり(仮名)という支援学級がある。
私は、そのひまわり学級の担任のうちの1人である。
4月に入り、中1の学年を受け持つことになった。
入学式を終えた2日後に、学年集会を開いた。
・「学年目標ついて」
・「中学校生活について」
など、目標や注意事項を新1年生へ伝えた。
その中の1つに
・「ひまわり学級について」
ふりかえりと、燃えよドラゴン。
"支援担任"という役割での1学期が終った。
正直に言って、ゆるーく働いていたんじゃないかと、不安に思っている。
全力を出していけてたのか。なにかモヤっとしていた。
教科(体育)から離れて、「授業をする時間」がとても少なくなった。
それによって、生活時間に余裕は生まれたけど、
授業を試行錯誤する時間や、生徒の反応を感じられる機会は減った。
モヤっとの原因は、この辺りの変化が大きい。
支援担任
いい先生ってなんだろう?
ある日、僕は児童たちとレクリエーションをしていた。
その中で、ゲームのルールを全く守らないアオト(仮名)という児童がいた。
「それはダメ!しちゃいけませんー!」と、僕が声をかけても、一向に止める気配がない。
それに気がついた奥村先生が(仮名)が、アオトに近づいて、声をかけた。
『そうかぁ。アオトは勝ちたいんやなぁ。』
「うん。」とうなずくアオト。
『それやったら、ルールを破る以外の方法
フォルケが教えてくれた自己信頼
フォルケホイスコーレでの生活に慣れてくると、あることに気が付く。
「あれ、意外とみんなが認めてくれてるぞ。」
「やりたいって言ったら、案外やらしてくてれるみたいだ。」
フォルケホイスコーレという場所が、[Want to Doに対して、とても寛容な空間]であることがわかってくる。
そうなると、不思議と自分の中から「とりあえず、やってみよう(やってみたい)」がどんどん出てくるようになった。
僕
「フォルケホイスコーレ」という学校について、言葉にしてみた。
今から約4年半前。僕はデンマークにある「フォルケホイスコーレ」という教育機関に約1年間留学していた。
そんなことを話すと、たくさんの人から質問が返ってくる。
「フォルケホイスコーレって、なに?」
大体は「簡単に言うと専門学校みたいなものです」とか「大人のフリースクールって感じ」等々、適正率65%くらいの言葉で返していた。
だって「フォルケホイスコーレ」をちゃんと伝えられる言葉にしていなかっ
僕には、なにもできない
いろいろな人間がいて、それぞれに生きてきた人生がある。
どんな想いで生きてきたのかは、その人にしかわからない。
その人の人生は、その人のものだから。
僕には、なにもできないと思っている。
でも、無力だとは思っていない。
僕には、”僕のできること”がある。
それは、
【何を問われたとしても、真っ当に応えられるだけの、人生を生きること】
これだけが、僕が生徒に対してできる、唯一のことだ
僕にとって教育は、ただの”伝達手段”です
僕は今まで「教育」をテーマに掲げてきて、その根っこにあるものは何だろうと考えた。
そしてよくよく考えていくと、僕は教師にないたいわけでも、教育がやりたいわけでもない。という答えに辿り着いた。(極端に言うと)
結局突き詰めると、ある【2つの言葉が持つ”想い”を、困ってる人に伝えたい。】ということだけなんだと思う。
まずは、宮崎駿監督が引退会見で言ったこの言葉。
Q・これまでのすべての作品を通
「留学経験は必ず役に立つ」とあえて言いたい
僕には、留学経験があります。
そして帰国し、友人やいろんな方とその経験について語りました。
そこから僕なりに感じたことをシェアします。
僕は、世の中には二種類の【価値】があると思います。
それは【社会的価値】と、【個人的価値】
例えるなら、【社会的価値】は、ロレックスの時計。
それを売れば、いいお金になります。
つまり、誰にとってもわかりやすく、世の中に共通している価値。
【個人的