ポップカルチャーと美術館博物館(2)
前回(1)では美術そのものの陳腐化とその原因について列挙した。メディアの参画、美術の大衆化、企画展の種々の費用の高騰化を出したが、今回はそれらの理由からアニメや漫画などのポップカルチャーが美術館博物館で企画展として取り上げられる昨今の理由について、また、美術館博物館で開催されるにあたって、そこで開催されるが故の弊害(この言葉が正しいか不安だが)もある。今回はポップカルチャーと神格化についていくつか推論を展開しつつ、経験を元に論じていきたい。
2:ポップカルチャーと神格化
(1)ポップカルチャーが取り上げられる理由
前回では上述した理由によってポップカルチャーが取り上げられるようになったが、アニメや漫画などのポップカルチャーそのものが美術館に取り上げられる理由もまた種々の理由と利害が絡んでいる。
日本におけるアニメや漫画というものは、日本美術史を紐解くと室町時代の「鳥獣戯画縁起絵巻」から、江戸時代の浮世絵や瓦版、昭和における手塚治虫や石ノ森章太郎といった漫画家の作品、そして現代における多様な作品へ連綿と続いている。コンテンツの数を数えようとするとキリがない。
美術館や博物館にとってのリスクの一つに管理リスクがある。預かった美術品が災害で破損等が起きた場合、その責任は預かった側にある。修復費用も時間も相当かかるので「何もおきないこと」を祈るほかない。ポップカルチャーもリスクはそれなりにあるが、基本は「紙」をベースにした展示であるため、設営と撤収以外のリスクは大体の想像がつく。
美術館や博物館で取り上げることによる利害も利の方が多いことに気づく。例えば、ミュージアムショップの商品も基本はそのポップカルチャーの商品で埋めることが多く、ファンの多い企画なら商品の販売に係る利益もそれなりにある。特設ショップの場合だと、利益はその開設者に持っていかれるが、それ以上にその美術館等に来てもらえる、知ってもらえるという実利も大きいのだ。
つまりは美術館で行われる企画展は美術館側にとっても見る側にとっても、利権が絡むところもトリプルでウィンなのだ。
(2)美術館博物館に収蔵される事の意味
さて、先述は取り上げられる事によって3者が利益を得るとの話だったが、美術館博物館というのは基本「作品の研究」、「作家の研究」、「収蔵品の啓蒙」である。
ここでは一般的に分かりやすく説明するために目的を3つに絞っているが、実際はいろいろ書いてある。
美術館博物館に作品が収蔵される事とは早い話が「箔」がつくのである。箔がつくという事は作家にとって名誉な事である。コレクターが保有することも名誉な事であるが、有名無名もあるため、やはりネームバリューがものを言う。例えばゴッホの『ひまわり』は東京新宿の東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館が所有し(美術館名が長すぎる…突き指しかねない)、美術館が所有する代表作品となっている。また、トヨタ自動車もいくつか有名作家の作品を所有している。
誰が持っているかというのも妬みなのかもしれないし(実際個人蔵と書かれたキャプションは個人情報の観点から明らかになる事は絶対ない)、どこが持っているとなると「すごい」となるのだ。その辺は日本だからなのかもしれない。
だからなのかもしれないが、美術館博物館が所有するという事はステータスとなるだけでなく、作家本人の神格化(物故作家は別だが…)になりかねないのだ。実際に千葉のホキ美術館が「写実の殿堂」として開館して以降の写実絵画の市場が活発化となり、作家作品の取引価格が上がったという話を聞く。神格化というよりネームバリューが上がったというべきかもしれないが、業界以外の人間が表現するならば神格化はあながち間違っていない表現である。
今回はポップカルチャーと神格化について淡々と述べたが、神格化についてはあっさり述べてしまったが、次回は実際に見た愛知豊田の豊田市美術館で行われたジブリの建築物に特化した展覧会、愛知名古屋で行われた松坂屋美術館ルパン3世の原画展とエヴァンゲリオン原画展について自身の体験をもとに展覧会構成とその問題点を取り上げる。
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